(by とら猫

チェルノブイリ原発事故。人類史上最悪と呼ばれる人災。

そして福島の事故を経験している私たちは、当然のことながら、あの時の悪夢とこのドラマとを重ね合わせずにはいられない。

『チェルノブイリ』を観ていると、虚構であるべきものが現実を蝕み、自分のリアルがあえなく崩壊していったあの無力な瞬間を、息苦しいほどの緊迫感で追体験することができる。

炉心溶融。アンダーコントロール。当時さんざん耳にした、多くの日本人のボキャブラリーに一生刻み込まれたであろう言葉たちが、ドラマ内でもひんぱんに交わされる。何十年も前の出来事なのに、やっていることは変わらない。まるでデジャブだ。上層部は保身に走り、できるだけ事態を矮小化しようと努め、専門家たちの悲壮な警告を一笑に付する。

そしてその間、すべては着々と破滅へ向かって進行していく。

それらがあぶり出すもの――それは国家滅亡の現実的な危機が迫っていてなお、己にとって都合のよいシナリオで妥結しようとする権力者たちの愚かさであり、そんな愚かな人間たちが原発という怪物を当時も、そして当時や福島を経た今ですら、飼い慣らそうとしているという現実の滑稽めいた恐ろしさである。

我々は『チェルノブイリ』を前に、人間の業と否応なく向き合わされる。原発を生み出した人類が嫌になり、そんな人類の一部である自分が嫌になってくる。今なお平然と電気を使っている自分も嫌になってくる。人間だめだ。救いようがない。地球すまねえ。と底なしの自虐に襲われ、虚無に飲まれ、消えてしまいたくなる。

それでも人間をあきらめない人間もいる。彼らは死ぬことを分かっていながら、特権階級の尻拭いをするため、そしてより多くの無辜の命を救うために、どす黒い噴煙を上げる原発の中へと入っていく。決死隊に名乗り出る者も、彼らを見送る者も、様々な思いが入り交じった表情を浮かべている。

原発事故と知らない住人たちは、 放射性物質の降り注ぐ中、現場から放たれる変わった色の光を花火のように見物している。そして「きれいだね」とうっとりするのだ。この矛盾を支え切れる感情を、私は知らない。

『チェルノブイリ』は人間たちが犯した大罪に対する、人間たちによる告解のドラマだ。
そしてその言葉は遠い昔、人間という存在を創り出した何かに向けられている。

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