(by ハシマトシヒロ

ある日、このサイト『BadCats Weekly』の編集長であるとら猫さんよりメールが届いた。

「ハシマさん、映画評も書きたいって言ってましたよね?『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』で一本書きませんか?」

「一般的には昆虫学者としての面が有名な彼だが、実は彼は詩人でもあり、また歌手でもあった……」
「それはファーブルだね」
嫁が晩ご飯を作りながら、こちらも見ずに言った。
「『ファーブル昆虫記』についての熱い考察を一万字ぐらい書いて、最後の最後に『あっ、ファブルでしたか! すみません!』とだけ書いて納品したら、怒られるかな?」
「怒られるだろうね。そして、もう二度と仕事回してもらえないだろうね」
「ちゃんとやります」

この『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』は、シリーズ二作目である。原作は『ヤングマガジン』連載の人気漫画。作者は『ナニワトモアレ』の南勝久先生。

“裏社会で恐れられる伝説の殺し屋「ファブル」。そのあまりの強さから、もはや都市伝説と化している。だが彼は、自らの殺しの師匠であり育ての親でもあるボスから、「誰も殺さず一年間普通に生きろ。もし誰か殺してみろ。俺がお前を殺す」と厳命を受ける。妹という設定のヨウコと共に、「佐藤アキラ」として一般社会で暮らし始めた彼。しかし、「普通に」生きようとする彼の思いとは裏腹に、まるで自ら引き寄せるかのようにトラブルに巻き込まれていく。果たして「アキラ=ファブル」は、誰も殺さず「プロの普通」を全うできるのか……”

僕は原作のファンである。連載開始からずっと読んでいる。毎週ヤンマガを立ち読みしているうちに、「もしこの漫画を実写化するならば、このアキラの役は俺がやりたい!」と思うに至った。二十代の頃に小劇場の底辺をうろうろしていただけで、今は普通のサラリーマンなのに。

そんなある日、「ザ・ファブル映画化」の報を聞く。

ほう。ということは何か。キャストは決まってしまっているのか。僕が仕事でフォークリフトに乗りながら練習した、アキラっぽいセリフ回しや猫舌でのけぞるリアクションは、全て無駄になってしまったというのか。アキラ役を射止めたのは、いったい誰だ。納得いかない人選なら僕にも覚悟がある……。

アキラ役は岡田准一であった。

当時の僕の中での岡田准一のイメージは、「武術や格闘技を『かじってる』ジャニーズの人」でしかなかった。そもそも僕は、したり顔で格闘技を語る「かじっただけ」の芸能人が嫌いだ。テレビ番組などで未熟な技術をドヤ顔で披露されたりすると、恥ずかしくてチャンネルを変えてしまう。岡田准一も、「その類」の人だと思っていた。

僕も弱いなりに格闘技を長年やっているので、格闘シーンが噓っぽいと途端に冷めてしまう。果たして顔がいいだけのジャニーズに、説得力のある格闘シーンを演じることができるのか。

まずYouTubeで、「岡田准一 アクション」で検索してみる。ひとつ目に出た映像。岡田准一は、キックミットに「スイッチからの左ミドルキック」を蹴った。
岡田准一、いや、岡田先輩、いや、岡田師範。「かじっただけ」とか言ってすみませんでした。ここまで呼び捨てにしてて申し訳ございません。「ホンモノの」左ミドルでした。なんなら僕より強い左ミドルでした。ご縁がありましたら(恐らく無いでしょうが)、今度左ミドル教えてください。アキラ役、喜んでお譲りします! 『ファブル』楽しみにしてます! 押忍!

しかして、岡田師範演じる「佐藤アキラ=ファブル」は素晴らしかった。「説得力のカタマリ」が、躍動していた。ここまで説得力のあるアクションができる日本人が出てきたことに、感動してしまった。

そして、満を持して二作目である。

岡田師範のアクションはますます切れ味を増しており、日々の鍛錬のストイックさが想像される。先ほどと同じく、YouTubeで岡田師範の日々の稽古の映像を観た。

大体において「格闘技やってます」という芸能人の稽古は、「プライベート・レッスン」という形式が多いと思われる。高いお金を払ってマンツーマンで指導を受け、ミットを持ってもらって「お客さんとして」気持ち良く褒めてもらい、強くなった「気になって」練習を終える(偏見と僻みが、多分に含まれています)。


一方、さすが岡田師範は全然違った。

一般道場生に混じってクラスに出て、一般道場生とスパーリングを行っている。そして何より僕が感動した点は、パートナーを組んだ一般道場生のミットを岡田師範自身が持っていることだ。同じ道場の仲間からも、「お客さん芸能人」としてではなく「大事な稽古仲間」として認知されているのではないだろうか。

その縁で、ブラジリアン柔術世界三位の橋本知之が、ファブルの敵役として出演している。この橋本選手のたたずまいが、なんというか、とにかくいいんだよ。僕自身の語彙力の無さは、また今後の課題として改善していくとして、とにかく橋本選手だ。

これからファブルと「命のやりとり」をするというのに、気負うでもなく、怯むでもなく、ただ「ぬぼーっ」と立っている。目の前に「伝説の殺し屋」がいるのに、「いま起きました」ってな顔で、ただ立っている。

僕自身の格闘技選手としての目で見ると、こういう選手がいちばん怖い。アドレナリン満々で向かって来る選手は怖くない。こっちもアドレナリンを放出して、迎え撃てばいい。

逆に一切アドレナリンも出ておらず、何を考えているのかわからない選手。こういう選手は怖い。関節なんか極められたら最後、躊躇なく骨を折られそうだ。そして骨を折ってなお、この選手の心拍数は一切変わらないのだ、多分。

この橋本選手と岡田師範の寝技バトルは、アクション映画史上もっとも「説得力のある」寝技バトルだ(そもそも、『アクション映画で寝技バトルはあまり描かれない。なぜなら地味だから!』という点は置いておいて)。「デラヒーバからのベリンボロ」という、柔術愛好家以外には1ミリも響かない技術をわざわざ映画用アクションで使う辺りに、橋本選手並びに岡田師範の変態ぶりが伺える(褒めてます)。

柔術つながりで、印象的なシーンがもうひとつある。ファブルの相棒ヨウコ(木村文乃)と敵方の殺し屋・鈴木(安藤政信)との格闘シーン。ヨウコが圧勝するのだが、決め手は打撃でも武器でもない。柔術の技でもある「三角絞め」だ。
ここでまた格闘技選手としての僕の視点で語る。あっ、ウザかったら言って下さい。まず、体格差・フィジカル差のある相手に、正面から打撃で勝ちを狙いに行くのは得策ではない。ましてや「男VS女」である。いかにヨウコが強かろうと、相手もプロだ。

フィジカル差のある相手にいちばん有効な技は、「絞め」である。気管や頸動脈に、体格差は関係ない。「絞めで決めよう」と考えたのも、岡田師範らしい。さすがわかってらっしゃる。弟子にして下さい。

ついでに、『キッズ・リターン』であんなに瑞々しかった安藤政信がすっかり渋くなってしまっていることに、深い感慨を覚えた。

この『ファブル』シリーズで、もう一点大事なポイントがある。
「ラスボスのキャラが複雑で、簡単には語れない」ということだ。

まず、第一作の小島役・柳楽優弥が素晴らしかった。関東人に「だから関西人って嫌い!」って言われそうな関西の「イヤ~な」要素を、さらに濃縮還元していた。凄まじい不快感だった。関西人の僕でさえ「だから関西人って嫌い!」って言ってしまいそうになり、自分のルーツとアイデンティティがどこにあるのかわからなくなってしまった。

それだけ「イヤ~な」キャラなのに、信頼する兄貴分・海老原(安田顕)の前では子供のように素直で純粋であり、「あれ? こいつ物凄い不愉快なクズ悪党やと思ってたけど、実は可愛げのあるいい奴なんかな?」と錯覚し、混乱してしまう。

そして、今作のラスボス・宇津帆(堤真一)である。
表向きは子供にとって住み良い町づくりを目指すNPO団体の代表、しかし裏では金持ちの子供をターゲットにしては金を脅し取ってから殺すという、凶悪犯罪者。一作目の柳楽優弥同様、クズ悪党である。

ただ、これは演者の堤真一本人のキャラもあるかも知れないが、時折「実は普通にいい人なんじゃない?」と思えてしまうのだ。

かつて宇津帆に売春組織に売られそうになった車椅子の少女・ヒナコ(平手友梨奈)にお茶を淹れてあげる、何気ないシーン。もう普通に「父親と、ちょっと反抗期だけど実は素直になりたい娘」みたいに見える。本来ヒナコから見た宇津帆は憎むべき相手のはずだが、ヒナコは宇津帆のこういった「さりげない優しさ」には、嫌悪感を示さない。

「表の顔」の宇津帆が親切にしている聾啞の少女がいる。少女も宇津帆になついている。「裏の顔」の宇津帆が、「あの子のリュックにお前へのプレゼントを入れておいたよ」と、ファブルを脅す。危険を冒してやっとの思いで少女の元にたどり着いたファブル。急いで開けたリュックに入っていたのは、ただの飴玉であった。

本来なら時限爆弾でも入れるところだ。普通の悪役なら、そうするだろう。「表の宇津帆」も「裏の宇津帆」も、双方ともにこの少女を純粋に可愛がっていたのかも知れない。この宇津帆というキャラクター、「今は『表』なんだろうか? それとも『裏』なんだろうか?」と、とにかく観る者を不安にさせる。なんにせよ、単純な「善悪」で語れる人物ではない。殺し屋でありながら実は男気のある鈴木がずっと相棒でいたのも、恨んでいるはずのヒナコが最後には宇津帆の遺体に手を合わせていたのも、宇津帆が単なる「悪100%」の人間じゃないからだろう。

最後に、僕的なこのシリーズの見どころは、「感情のない殺人マシーンであるアキラが、人間になっていく様」を見ることだ。

ヒナコの動かない足を確認する際、アキラの手に靴の泥が付く。「手が汚れるよ」というヒナコに対して、「こんなもの、汚れたうちに入らない」と答えるアキラ。

実は、僕がいちばん好きなシーンは、ここなんである。

今まで殺してきた人間の血で、アキラの手はさんざん汚れている。かつてのアキラなら、それを「汚れている」とも感じなかっただろう。しかし、ミサキ(山本美月)や田高田社長(佐藤二朗)らと触れ合う中で、「どうやら自分は普通ではなかった」と気付く。
恨みもない人間を殺すことに比べたら、手に泥が付くことなんて、「汚れたうちに入らない」ごく普通のことだ。

恐らく三作目もあるだろう。なければ困る。原作では、ここからさらに面白くなっていくのだ。ますます「プロの普通」となったアキラを観るのが、今から楽しみだ。

ちなみに余談だが(司馬遼太郎風)、佐藤浩市演じるボス。重要なキャラである。実は、僕の格闘家としての直接の師匠が、原作におけるこのボスのビジュアルやアクションのモデルとなっている(ヒント・南先生も僕の師匠も大阪泉南地域出身)。しかし映画とは関係ないので、触れない。

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(C)2021「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」製作委員会
『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』公式サイト

 

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