【関根という名のうさぎ】第4話「うさんぽの思い出」

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どうも、関根です。関根という名のうさぎです。

わたしが死んでから約二ヶ月が経過しました。死んだあとの数日は意気消沈し、ペットロスまっしぐらの様相を呈していた飼い主その①とその夫である飼い主その②でしたが、今ではもう見違えるほど元気になり、毎日のように酒を飲んでゲハゲハやっています。一安心です。

この二ヶ月、わたしの骨壺の隣にはいつも花が飾られていました。わたしの生きた10年10か月を振り返ってみても、これは大変に珍しいことです。今まで飼い主その①は花にまるで興味がなく、花瓶すら持っておらず、上司の結婚式でもらったブーケトスの花束をビールジョッキに生けるような人間でした。そんな飼い主その①が、わたしの火葬のあと、自ら花を買ってきたのだから驚きです。骨壺と並べるのにちょうどいい小さな花瓶も買ってきました。わたしの体毛とよく似た、茶色の花瓶です。

花を飾ったあとの飼い主その①は、「せっきー、お花だよー」などと言って感傷に浸ったり、なんの脈絡もなく骨壺と花の並びを指さし、「カワイイ!カワイイ!」と絶叫したり、しばらく妙なテンションでした。たぶんこんな言葉はこの世にないのですが、ペットロスハイってやつだと思います。

張り切って花を買ってきた飼い主その①でしたが、そのずぼらな性格ゆえ世話が至らず、早々に花をシオシオにしてしまいました。しかも、シオシオで何が悪いと開き直ったのか、その後も堂々とシオシオを飾り続けていました。ずぼらな上に往生際が悪いです。

花の方からもういっそ殺してくれと懇願されそうなほど限界までシオシオになったタイミングで、飼い主その①の母親から「関根にお供えして」と新たな花が届いたのでほっとしました。それがまたシオシオになってしばらくすると、今度は祖母から、そのあとは友人からと、いい具合に花リレーが続き、おかげさまでわたしの祭壇にはシオシオを挟みながらも辛うじて花があり続けたのでした。ほんと、有難いことです。

さて、話は変わって、今日は「うさんぽ」の思い出について話したいと思います。

ご存知でしょうか、うさんぽ。うさぎを飼っている人たちの中で、うさぎを外で散歩させることをそのように呼ぶのだそうです。とは言え本来、うさぎは部屋の中を歩き回る程度で運動としては十分らしく、外の散歩は危険も多いため、うさぎにとってストレスになる可能性もあって注意が必要とのこと。

それを知った飼い主その①は、うさんぽがしたいという人間の欲でうさぎを危険な目に遭わせるなど言語道断、てか、うさぎと散歩でうさんぽって、何かうまいこと可愛く言いやがって、ケッ! などと得意のひねくれを発揮してイチャモンをつけていましたが、危険とかストレスとか言われて大いにビビってしまったのを虚勢で誤魔化していたに過ぎず、本心ではうさんぽに行ってみたかったに違いありません。その証拠に、飼い主その①と暮らしはじめて数年経った頃、わたしはついにうさんぽデビューを果たしました。場所は近所の公園です。

公園まではキャリーバッグに入れられて移動したので、突然、太陽の光が直に当たる世界に解き放たれて驚きました。四方八方から知らない匂いが物凄い勢いで迫ってきます。あまりに情報量が多すぎたので、しばらく座って様子を伺い、慣れてから周囲を散策しました。土の匂い、草の匂い、風の匂い、なんかの匂い。ハーネスは邪魔でしたが、広々とした世界を自由にあちこち嗅ぎ回れたのはなかなか面白かったです。

そんなわたしの様子をベンチに座って眺めながら、飼い主その①は缶ビールを飲んでいました。うさんぽという行為のメルヘン要素を缶ビールで中和させようとしたらしいです。缶ビールを飲みながらうさぎを散歩させている人というのが人間界でどのように見られるのか、うさぎながら多少心配にはなりました。

予想外だったのは、通行人にやたら話しかけられたことです。犬が主流の公園散歩界隈において、わたしはちょっとした珍獣扱いでした。犬の飼い主に、「あら~!うさぎちゃんもお散歩するの~!可愛い~!」と褒められたり、子連れの母親が「ほら!うさちゃんだよ!本物はじめてだねえ!」と声を上げ、幼児にじっと見られたりしました。幼子の情操教育の一端を担うことができて何よりです。などと誇らしい気持ちになったのも束の間、ジョギング中の高齢男性が近づいてきて、「それ、ねずみか?」って。うさぎです。

結局、10年10か月の間にわたしと飼い主その①がうさんぽをした回数は両手で数えて足りる程度でした。わたしのストレスを考えてのことというよりは、単に飼い主その①が出不精だからだと思います。わたしとしてもやっぱりケージの中で牧草をぽりぽりしているときが一番落ち着く時間でしたので、そういうところでは気が合っていたのかもしれません。

そういえば、飼い主その①と飼い主その②が結婚したときには、公園で一緒に記念写真を撮りました。

二人は角度がどうだのポーズがどうだの逆光だのと言いながら何度も何度も撮り直すので、付き合わされている身としては大変に迷惑でしたが、撮った写真を見てみると、自然の光の中、緑に囲まれた二人は普段の三割増しで爽やかないい表情に写っていましたし、木々の緑とわたしの茶色い体毛の組み合わせはとても相性が良く、これがアースカラーってやつか、と妙に納得したりもしました。わたしも地球の一員だったのです。部屋の外に出てみなければ、そんなことも知らずに生涯を終えたかもしれません。この時の写真は今もリビングに飾られています。

今となってはもう飼い主たちと公園に出掛けることは叶いませんが、まあ別にいいか、って気もします。死してなおインドア派のわたしです。この部屋の中で家具家電に宿りながら、シオシオの花と、あの日の記念写真を眺めてぼんやり過ごそうと思います。

++++
(c) 関根

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この記事を書いた人

長瀬のアバター 長瀬 文章的なものを書くライター

北の大地でエッセイなど書いています。
文芸/飲食/音楽/ラジオ