【エッセイ】同人誌即売会でオリジナル小説を出したら1冊も売れなかった話

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(by 安藤エヌ

昔、コミティアという同人誌即売会に行った事がある。毎年夏・冬に開催されるコミックマーケットと違って、1次創作(オリジナル)の同人誌だけを頒布することができるイベントだ。私はそこに、オリジナル小説を刷って持って行った。

そしてものの見事に、1冊も売れなかった。その時のことはよく覚えている。隣のサークルは椅子から立ち上がり無料配布を握りしめながら道行く人に声を掛けていて、正面の島(サークル列)のお誕生日席(列の端に位置するサークル)は長蛇の列が絶えず、本にサインを求めている人もいた。私は自分のスペースで約3時間、地蔵のように何もしゃべらず、微動だにせず、もしかしたら興味を持って立ち止まってくれるかもしれない人を待ち続けていた。

私も隣のサークルのように声を張り上げて宣伝すれば良かったかもしれない。かもしれないではなく、そうだ。何もせずにただ座っているだけでは、来てくれる人なんていない。分かっていたのに、何もできなかった。たぶん私はその時点で、大きなショックと衝撃を受けていたのだと思う。

私の書いたもの、興味がわくとかわかないとかいう以前にくっそつまんないんだろうな、と思ったら、顔を上げられなくなった。ばかみたいな羞恥で、顔が真っ赤になった。

そしてそのまま来訪者数0のまま閉会を迎え、私はその足でビッグサイトの中にある海鮮丼屋でサーモン丼をかきこんだ。これが実際のサーモン丼である。

正直、美味しすぎて泣きそうだったし、悔しすぎて泣いた。ついに創作人間が歩む茨の洗礼を受けたか、という気持ちだった。怖くて無自覚に回避し続けてきた出来事がついに訪れたのだな、と感じた。

しかし私の良いところは、そこでめげて何もかも諦めてしまう、という性格じゃなかったところだ。元来負けず嫌いだった私は、自分がこの同人誌即売会でアウェイの逆風をもろに受けた事も、小説、というジャンルがマンガ同人誌の頒布数に圧倒的に負けていてその場では不利だったであろう事も(コミティアは圧倒的にマンガの頒布サークルが多いのだと後になって知った)、そして自分の作風・レベル諸々が読者を惹きつけなかった事もまるっとすべて、敗北を経てのリベンジに燃えるエンジンの着火に結び付いたのだった。

創作とは修羅道である。売れなかった事をバネにしてもっと良い作品を描こうと己をひたすら研磨するか、すっぱり諦めて筆を折るかの選択は今後の人生に深く関わってくるので、慎重になるべきところであるのは明確だ。しかしそう思わせる「敗北」の所以は、単なる自分の力量不足によるものだという事は一概に言えない。少なくとも「作品を発表したタイミング」「作品を出した場所」「テーマ、ジャンルの流行り廃り」など、様々な要因が影響して、結果、在庫を抱え帰ってくるという結果になるのだというのは、私がこの一件で精神を粉々にされ、冷静に考えた上で開き直りのごとく出された答えだ。

しかし実際、負け犬の遠吠えよりかはいくらか的を得ている気がする。同人、という自己表現は総合競技だ。執筆から本の作成、サークル参加から頒布に至るまで、さながらすべて1本のマラソンコースだと思う。つまり、マラソンを完走する策だったりペース配分だったりが必要になる。また、自分の作品を他人にどう「見せる」か。これがかなり重要な部分であり、そこを怠ると致命傷を負う。

私が好きなアニメのキャラクターがこう言っていた。

「作品があるだけではだめだ。客の購買意欲をかき立てる方法を考えろ」(創作者なら泣くほど頷く某アニメの某氏談)

まさにそうだ、と思う。作品が道端に転がっているだけでは、誰も拾わない。それがどんなフェチを描いたエロ本なのか、ゲーテの金言への考察なのか、未来を予言した古文書チックな本なのか、絵は好みか、装丁にそそるものがあるか、帯文句はどんな言葉か。「それ」の魅力を正しく明示するもの、作り手からのメッセージとその伝え方が重要になってくるのだ。

メッセージが伝わり、相手が「それ」を「欲しい」と思った瞬間、初めて本は「拾われ、売れる」。私はきっと、ここまでの考えに至っていなかったのだと思う。もしくは、足りなかった。相手に手に取ってもらうための努力を――、そう、隣のサークルが無配を配り続けていたような、自分から動き出すきっかけをつかみ損ねてしまったのだ。

あの日を境に、私は「どうすれば自分の作品を他人に見てもらえるか」ということに重きを置き、作品を発表するようになった。だからあの日の敗北は私にとって、しっかりと心に刻まれ次なる行動を起こすための経験として根付いているのだ。

何度でもいうが、創作というのは修羅である。だけれどその大半は、楽しくてやめられない、今更やめる方法が分からない、という。私もそうだ。走り出したら止まらない。クレイジーな生き方だな、と我ながら思う。

私の作品を手に取ってもらうためなら、これからも私はいくらだって考える。たとえペンを握って力尽きようとも本望だ。

考えることを止めるという事は、創作をやめる事と同じだから。

(イラスト by 安藤エヌ

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この記事を書いた人

安藤エヌのアバター 安藤エヌ カルチャーライター

日芸文芸学科卒のカルチャーライター。現在は主に映画のレビューやコラム、エッセイを執筆。推している洋画俳優の魅力を綴った『スクリーンで君が観たい』を連載中。
写真/映画/音楽/漫画/文芸