【コミックレビュー】心の中に、雪が降る。私はそれをじっと見つめた~『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』に寄せて

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子どもの頃、雪が降ると生まれ変わったような気持ちになれた。

足をばたつかせ、海を泳ぐように雪の上を走る。かじかんだ指を雪の粒に滑らせ、おにぎりの形にして雪玉をつくり、大好きな友達に掛け声をかけて思い切りぶつける。空気に弾け、こだまする笑い声。顔を真っ赤にして教室に帰ると、大きなストーブの周りに人だかりができていて、私も輪の中に入り、身体を温める。

『雪の街』という短編を読んで、心が一掃されたような清々しい読後感に満たされ、それからファンになった漫画家・大白小蟹先生の初単行本『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』。 幸せだった冬の日の記憶が、この本を読んで蘇ってきた。

先生の作品は絶対に紙にするべきだし、私はそれをずっと大事に抱えて生きていく決意をとっくにしていたので、単行本化のニュースにはいの一番に食いついた。表紙や装丁が明らかになっていくにつれて、早く手に取りたい気持ちが逸るのを抑え、迎えた発売日当日。初回配本特典としてポストカードがついてくる近所の書店に足を運び、他の本には目もくれずまっすぐこの本めがけて突進していき、意気込みたっぷりにレジに向かった。

そして大好きな行きつけのカフェでゆっくりと1頁ごとに噛みしめるように読み進め、静かに涙を流し、ぱたん、と本を閉じ、これを書いている。

今、私の心の中には雪原がある。よく晴れている空の下に広がるその雪原は、生まれたての朝の光を浴びてかがやいている。大白先生の漫画は、雪がよく似合う。その証拠に、収録されている短編の偶数話のタイトルにはどれも「雪」ということばが添えられている。

雪、とひとくちにいっても、それは色々な形をしている。小さい粒となって空から降ってくる雪、私の心の中に生まれたような、一面真っ白でひとつの汚れもない雪。大白先生は、さまざまな雪を漫画で描く。『きみが透明になる前に』では、突然不慮の事故により透明人間になってしまったモリゾーが、裸になって外を歩くシーンで雪の積もった地面に残った足跡を。『雪を抱く』では、パートナーと暮らす主人公が妊娠し、自分の身体について考えを巡らせる中でイメージする雪のかたまりを。『雪の街』では、親友を失った主人公が彼女と過ごした街を訪れ、彼女の後輩である青年と見つめる音もなく降り積もる雪景色を。

雪とは、つまり人が生きる上での「余白」のようなものなのだとも思う。純粋で、まっさらで、それ以外に何もなくて。猥雑に、そして時に人間くさく生きる私たちがふと立ち止まる時に必要な余白を、雪はもたらしてくれるのではないだろうか。

だからこそ、大白先生の作品は「余白の物語」と言い換えることもできる。小説の行間、物語が終わった後の空白の1頁、映画のエンドロール、そして、なんといっても「ことば」だ。本作には、各話が幕を閉じたあとに1首の短歌があわせて載っている。なかでも私が好きな短歌が、『雪を抱く』に添えられたこの1首だ。

ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、はだかのからだ抱きしめてセンター街走る女たち

私はこの、ダ、と続く、決して美しいとはいえない走り方に、幼い頃の自分を重ねた。雪に足を取られようとも、靴が濡れようとも構わず疾走していた、無垢な私。センター街という名の人生、煩わしい人生の真っただ中を、ただ純粋に心をからっぽにして走り抜ける。ことばが生むリズムと、そこにある絶対的な自由、降りたての雪のような余白。それらがすべて合わさって、この短歌に表現されていると感じた。

雪に触れると、あたたかいものに触れたくなる。それはもしかしたら表題作『うみべのストーブ』で主人公スミオに語りかけるストーブがもたらす熱かもしれないし、『雪子の夏』で雪女である雪子が出会った人間の女性、千夏の優しさであるかもしれない。光に手を当てると、道理は分からないけれど人の手は温かくなる。雪というあまりにも真っ白すぎるものに出会ったあと、かじかんだ手を温めることも必要なのだ、ということも、この本は教えてくれている気がする。

少しざらついた紙に乗ったインク。二色刷りされた橙色のインクからこぼれる温もり。装丁もまたすばらしく、本作を引き立てている。片手を広げた大きさくらいのこの本を、私は後生大切にして生きていくだろう。

「うみべのストーブ」を抱えて眠るこの冬に降る雪は、どんな雪だろう。静かな夜に耳をすませる。どこかで、彼らの生きる音が聴こえてくる。

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(c) トーチweb, (c) 大白小蟹
トーチweb「うみべのストーブ」ページ

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この記事を書いた人

安藤エヌのアバター 安藤エヌ カルチャーライター

日芸文芸学科卒のカルチャーライター。現在は主に映画のレビューやコラム、エッセイを執筆。推している洋画俳優の魅力を綴った『スクリーンで君が観たい』を連載中。
写真/映画/音楽/漫画/文芸