【恋愛エッセイ】愛するってどういうこと? 〜今こそ愛について考えたくなった〜

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唐突だが、私はまだ人を愛したことがない。
男の人をちゃんと好きになったことが、多分まだない。

恋をしたことはもちろんある。最後に恋をしたのはいつだったかな、中学3年生の時だ。相手は同じクラスメイトの川田くん。全然目立つような人じゃなかったけれど、運動会の練習で誰よりも大きな声を出して熱心に向き合っている姿を見ているうちに、その情熱さにやられ落ちてしまった。多分それは私だけじゃなかったはずだ。

後ろの席から川田くんの背中を眺められるというだけで、毎日学校に通うのが楽しみで仕方がなかった。人生で初めて土日なんていらないと思ったほどだ。

私は恥ずかしがり屋で、クラスの男子全員とは挨拶すらろくに交わしたことがなかったけれど、彼が同じ空間に存在しているというだけですべてが満たされていた。幸せだった。

運動会が終わった後、川田くんはクラスのとびきり可愛い女子と付き合い始めた。それを知っても全然苦しくなかった。

14歳の幼き私に所有欲や独占欲など持っているはずがなかった。ましてや性欲なんて。
あれを「好きだった」と言っていいのかはよくわからない。片思いなのは間違いない、それが恋なのだとも思う。

でも、好きだったかと聞かれると言葉が詰まる。

大学受験に失敗し、19歳で上京してからようやく初めて男の人と付き合うことを経験した。
今私は29歳。この10年間で付き合ったのは全部で6人だ。

6人付き合ってやっとわかったのが、「私はまだ人を愛したことがない」ということだった。

この中で私の名前をきちんと呼んでくれたのは半分もいない。私の誕生日だっておそらくほとんどが知らないだろう──そもそも誕生日がいつなのか聞かれた記憶がない。デートだってちゃんと予定を立てて連れてってくれたのは二人くらいじゃないかな。とにかく思い出が全然ない。そもそも会話をきちんとした記憶もないのだから当然のことだろう。一番長く続いた人で4ヶ月。それ以外の人は1週間から1ヶ月の間にだいたい別れている。

「知りたい」という感情すら芽生えないうちに関係を閉じたり閉ざされたりしてきた。
「知らなくていい」──多分そう判断したからなんだろう。相手も私も。

思い出は全然ないけれど、覚えていることはたくさんある。

例えば、道を歩いているときに手を繋ごうとしたら露骨に嫌な顔をされて手を退けられたこと。私が好きなバンドの話をすると「有名だよね」としか返されず、なんとなく嫌だなぁと感じたこと。私が作ってあげたご飯が、用事から帰ってくると冷蔵庫の上にどかされていたこと。電話をしている最中に「生理いつ終わるの?」と聞かれたこと。別れ話を切り出された夜、どうしてなのかと尋ねると「好きになれるかもと思って付き合ったけど、やっぱりなれなかったから」と言われたこと。同棲している彼が帰ってくるときに外の階段を上る音が聞こえる瞬間いつもビクビク怯えていた時のこと。つらいとか悲しいとかいちいち感じないために、心を殺し続けていたこと。

はっきり言って今まで付き合った男たちから愛情なんてものを感じた覚えは一度たりともない。多分、みんな私のことが好きじゃなかったのだと思う。

今となっては無理もないかなと感じる。
同じように私も誰のことも愛していなかったのだから。

19歳から26歳くらいまでの間に何人かと付き合ってきたけれど、若いときほど経済的な理由で余裕がなくて、男に甘えてばかりだった。私はアルバイトも長く続けられないどころか、求人応募の電話をかけることすら怖くてできないような人間だ。そのうえ、正式に医師から発達障害であると診断されている。わかりやすく社会不適合者と呼ぶにふさわしい。

そういうこともあり、早く結婚して専業主婦になりたい一心で、若いときほど男の人を捕まえるのに必死だった。

専業主婦になってしまえば家賃を払わずとも実家の外で暮らせるし、なんだったら住居にかかる諸々のお金も男の人がすべて払ってくれるだろうと信じて疑わなかった。

そんな自分にいざ彼氏ができると、まるで獲物を捕まえたようなおごった態度で彼女ヅラをやるのだから、当然男は苛立っただろう。

すべてにおいて私は受動的だった。

彼女なのだからどこかへご飯を食べに行っても奢ってもらうことが当然で、同棲するとなれば家賃は払ってもらうことが当然で、記念日を祝われたり何かを贈られることが当然であり前提なのだと。

それなのに、私には相手に何かを与えようという発想がどこにもなかったのだ。

これまでの私にとって恋愛は、他人の金に甘えて生きるために必要な道具に過ぎなかった。たいへん聞こえは悪いけれど、そういう風にして生きなければ自分に残された人生は実家でニートをするか生活保護を受給するか、あるいは自死を選択するか、その3つしか考えられなかったのである。

高卒で発達障害持ちで社会不適合者という圧倒的最底辺なスペックを兼ね揃えていることに大きな劣等感があったし、それは今でも変わらない。今でこそ多様性という言葉の普及によって「普通」という概念に疑問を抱く人々が増えたけれど、私はその「普通」に喉から手が出るほど憧れていた。

普通の人は中学から高校に進むと彼氏や彼女ができて、卒業すれば当たり前のように大学に行きそれにかかる学費や生活費は親が無条件で出してくれる。大学を出たら当たり前のように就職してスーツを身にまとい毎月月収を貰う。年に2度はボーナスで大金が入り、そのお金でブランド物を買う。やがて年を重ねアラサーになると結婚をし、第二の人生が始まる……

果たしてそんなテンプレートのような人生を送れている人間が何パーセントいるのか疑問だが、それが普通の人生なのだと信じ生きてきた。

それなのにどうして自分には病気や障害があって、どうして実家が貧乏で大学に行くお金もなくて、どうして求人に応募することすらろくにできないのか。

そしてどうして誰も自分のことを愛してくれず、こんなにも孤独なのか。

誰も愛してくれないのならば、生きている価値などない。実家でニートや生活保護を受給してまで生きるくらいならいっそのこと死んでしまった方がマシだと思っていた。

しかし大人になった今だからこそ気付く──自分の生きる価値は受動的に決まるのだろうか?

私は今まで付き合ってきた男たちに対して何かを知りたいと思ったことは、たぶん一度もない。何も知らない相手に何かをできることなどほとんどない。できることが何もないのに、相手のことを理解できるはずもない。

ある本を開くと、はじめの方にこのような引用が載っていた。

何も知らない者は何も愛せない。何もできない者は何も理解できない。何も理解できない者は生きている価値がない。(『愛するということ』新訳版より)

まったくその通りである。

なんとか自分の世話をするために必要な最低限のお金を稼げるようになってから、私にもようやく自立心が芽生え出したのか、過去の幻想から目を覚まし、結婚に執着を抱くこともなくなった。

それからは呪いのように自分を蝕んでいた「愛されたい」という願望が消えて、逆に「愛したい」という気持ちが芽生えるようになった。

今自分には好きな人がいる。その人のことを愛したいと心から思っているからか、誕生日も血液型も知っているし、当然なことなのだが本名もどういう漢字で書くか知っている。

その人が生きてきた・生きている世界を知りたいと思うから、一緒に映画を観たり行きつけのお店に行ったりする。その人の負担が少しでも減ればと思い、二日酔いが楽になる漢方を買ってきたり皿洗いや洗濯物干しなどの家事を手伝ったりする。

私は自分中心的な考え方に偏ってしまいがちだから、何事も疑問を持たずに当たり前に受け取ってしまう悪い癖がある。なのでなるべく「ありがとう」を返すことを心がけようと気をつけているところだ。

愛するということは運命でも偶然でもなく意思だなと、つくづく思う。決意であり、決断であり、薬草なのだと。
自分が相手のために何をしたいのかを考えて発言や行動をしたい、それが己の成熟にも繋がるような気がしている。相手を通して自分を見るのである。

そのときに見える自分があまりにも未熟だから、私はこれまで知りたいという態度を持てなかったのかもしれない。でも今なら恐れずやっていける気がする。

これまでの人生を無駄にしないために、愛と向き合っていきたい所存です。

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イラスト by おゆみ

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この記事を書いた人

おゆみのアバター おゆみ イラストレーター

東京在住の平成生まれ。2018年からイラストレーターとしてフリーで活動。
著書に『非・映え女子』(大和出版)。映画/漫画/グルメ