【ぼくが映画に潜るとき】第9回:『ピース・オブ・ケイク』〜綾野剛がもっとも輝くのは、誰とでも寝る男を演じるときである〜

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綾野剛に恋をして10年が経ってしまった。

いつの日か六本木の小洒落たバーかなんかで綾野剛と運命的な出会いを果たし、寄り添って夜の街を歩く綾野剛とぼくがフライデーに掲載され(もちろんぼくの目元には黒い線が入れられている)、その1年後くらいに「一般人Cさん」として彼と極秘結婚を果たす予定なんだけど、どうもおかしい。フライデーに激写されるどころか、まだ出会えてさえいない。出会えていないまんま、すでに10年が経過している。それどころか、ぼくはなぜか綾野剛とは正反対みたいな男と結婚までしちまってる。なんで?

綾野剛に心を奪われたのは、彼がまだ本格的にブレイクする前だ。彼を一途に想い続けて早10年、ドラマ・映画問わず彼の出演作を観る中で、ひとつの真理に辿り着いた。ひとつだけかよ、とか言わないでほしい。なんせまだぼくと綾野剛は、巡り合う前だから。そのひとつとは、ずばりこれだ。

“綾野剛がもっとも輝くのは、誰とでも寝るクズでだらしない男を演じるときである。”

その綾野剛の真髄をとくと味わえる作品が、2015年公開の映画『ピース・オブ・ケイク』である。

多部未華子演ずる主人公・志乃は後先考えず感情の赴くままに行動するタイプで、ある意味ピュアと言えなくもない。好きでもないのにだらだら元カレと付き合い続けて、誘われるままに他の男と寝て、挙句振られて。元カレ(の幻影)いわく、傷ついた自分を「かわいそうなアタシ」にくるんで自分を正当化して酔ってたいだけの、己の醜さや狡猾さから目を逸らし続けるような女の子。

高圧的な元カレと別れたあと、志乃は心機一転ボロアパートに引っ越しをする。そこで出会ったのが隣に住むヒゲの男性──綾野剛扮する京志郎である。

ふにゃりと柔らかく笑う、小汚くだらしない身なりの男。それなのになぜか、志乃は宿命的なときめきを覚えてしまう。

綾野剛ってこういう男を演じるのが、めちゃくちゃうまい。とんでもないイケメンでもなけりゃ、大企業の御曹司でもない。適当に着崩した服、よれよれのシャツも、どう見たって清潔感に欠ける。清潔感って、モテる男の必須条件かつ第一に来る項目のはずなのに、そこをぶち抜いてもたまらなくかっこよくて可愛くてとんでもなくエロい。綾野剛は、そういう明らかに“沼”みたいな男の役がとてつもなくハマってしまう役者なのである。

綾野剛、いや違う、京志郎はとにかくずるい。あかりという小説家志望で苛烈な性格の彼女がいながら、志乃に対して妙に思わせぶりなのだ。

志乃は友人の天ちゃん(松坂桃李)が務めるビデオ屋のアルバイトに応募するのだが、そこの店長が偶然にも京志郎だった。面接中の京志郎は、死ぬほどあざとい。「女子は可愛けりゃ入れることにしてるから」なんて台詞をさらっと吐いたり、不意打ちで髪を触ってみたり。待遇の良い遅番を希望する志乃に「家隣だし、帰りは俺が送って行く」と言い出したり。

京志郎に一目惚れをした志乃の恋心は、もう止まらない。酔い潰れて京志郎の部屋で一緒に寝ているところをあかりに発見され、突き飛ばされても、大泣きするあかりを見ても、どうしたって止められない。

たぶん志乃にとって、本当の意味での初恋だったんだろう。告白されて付き合って、1人よりはマシだからと言い聞かせて、でも真の意味で相手を大切に想えていないから、平気で他の男と寝ちゃう。これまでそんな恋愛ばかり重ねてきたから、ブレーキの踏み方もわからないのだ。

志乃をだらしなくていい加減でとんでもないビッチだと軽蔑するか、それとも自分を重ね合わせるか。たぶんこれは、きれいに二分するんじゃないか。ちなみにぼくは後者である。と言っても、彼女みたく告白されて付き合って、を繰り返してきたわけじゃない。むしろ彼女とは反対で、自分ばかり追いかけ続けるアクセル全開みたいな恋ばかりしてきた。

ブレーキを踏めなかったんじゃない、踏まなかったのだ。10代から20代、いつだって手に入らぬ誰かを追っかけてた。振られて1週間泣き続けてインスタのストーリーズに黒背景&ちっさい白文字で激痛ポエムを書き連ね、Twitterに意味深なつぶやきを投下する。すると決まってぼくに気のある誰かが「大丈夫? 話聞くよ?」とLINEを寄越し、駆けつけてくれた相手にさんざん愚痴を吐いたのち、しなだれかかってワンナイトに持ち込む。もちろん相手の好意に応える気などさらさらないし、翌日からはまるで何事もなかったみたいに接する。

虚を埋めるためだけに誰かと肌を合わせることも、それで相手を傷つけることにも、これっぽっちも罪悪感は抱かなかった。志乃とおんなじように恋に恋する自分を「まっすぐ」だなんてそれっぽい言葉で正当化してたし、そういう自分に酔うのがたまらなく楽しかったのだ。

だからいくら振られようとも、次の恋の相手はすぐに見つかった。結局のところ、ぼくは過去の恋人たちのことを、誰ひとりとして本気で好きじゃなかったのかもしれない。今となってはもうよくわからない。あ〜〜〜〜、ダメだ、痛い。痛すぎる。自分で書いてて死にたくなるレベルで痛い。

とにかくぼくにしろ志乃にしろ、これまで本当の意味で恋をしたことのなかった人間をずるりと“沼”に引き摺り込んでしまうのが、京志郎という男なのである。だって京志郎は、あかりがいながら志乃をきっぱりと突き放そうとはしないのだ。

2人が勤めるビデオ屋からの帰り道、深夜の15分間。手の甲が触れるか触れないかギリギリの距離までつめる志乃から、京志郎はけっして逃げない。想いを爆発させて縋り付いてくる志乃の手を、京志郎はけっして振り払わない。

「うん……でもダメだ。惹かれるけど、これ以上は」

まんざらでもない気持ちを、この男は隠さない。でもだからといって、そう容易く落ちてはくれない。あかりが去ってようやく志乃に振り向いても、なおそれは変わらぬままだ。あかりに縋られ呼び出されると、下手くそな嘘をついていそいそ慰めに行ってしまう。

そんな京志郎だから、好きにならずにいられない。追いかけずにはいられない。それまで誰にも本気にならなかった志乃なのに、京志郎がクロだったことが判明した途端、激怒して彼を罵倒する。京志郎に裏切られたことが許せないから。京志郎を失うのが怖いから。京志郎に本気で恋をしてるから。

「京ちゃんはね、自分でも気づいてないのかもしれないけど、自分の行動を正当化したいだけなんだよ」

かつて元カレ(の幻影)に言われた台詞を、そのまま志乃は京志郎にぶつける。真の恋を知らなかった志乃を、誰にも本気で向き合えなかった志乃を、京志郎だけが180度違う人間に変えてしまうのだ。

一緒にいるときは自分だけを好きでいてくれてるんじゃないかって思っちゃうくらい、どろっどろに甘やかしてくれる。そのくせ本心はどこにあるのか、てんでわからない。だからあかりも、志乃も、ぼくも、気づいたときにはもう遅い。頭のてっぺんまでずぶずぶに京志郎沼へ浸かっている。

一度踏み入れたらそう簡単に抜け出させてくれやしないのが、綾野剛という俳優なのだ。バラエティ番組で見せる茶目っ気たっぷりな笑顔も、ドキュメンタリーで見せる役作りに取り組む熱い眼差しも、何もかもがたまらなくかっこよくて可愛くてエロくて、でもいったいどれがホンモノなのかわかりゃしない。だからこそぼくは願ってしまう。いつかぼくと六本木のどこかのバーで出会って、恋に落ちて、そしてあなたの素顔をぼくにだけ見せてくれますように、と。

そうなったときに夫の目をどうやってすり抜けるか。それだけが問題だ。

追記:この原稿を書き上げたのは年明け前だったのだが、みなさんご存知の通りまさかの元旦に綾野剛が結婚を発表した。交際宣言でもなく、スキャンダルでもなく、結婚である。

ぼくが彼と六本木のバーで出会う世界線はこれで消滅した。おかげでLINEはあけおめことよろではなく、ぼくがこの10年間どれほど彼を愛しきたかとくと知っている友人たちからの「チカゼ、生きてる?!」という生存確認で埋め尽くされた。Twitterではライター仲間や読者さんから「お気を確かに!」「ニュースを見て真っ先にチカゼさんを思い浮かべました」などガチトーンのリプをいただいてしまった。各連載先メディアの編集担当さんたちからは年始の挨拶で「ところで綾野剛の件ですが大丈夫ですか?」と真剣に心配され、BCWの編集長からも「綾野剛、ついに結婚しちゃいましたね……」と気まずそうなメールを頂戴した。

ぼくはもう、終わりです。

〜Fin〜
++++
(C)2015 ジョージ朝倉/祥伝社/「ピース オブ ケイク」製作委員会
「ピース・オブ・ケイク」allcinemaページ

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この記事を書いた人

伊藤チタのアバター 伊藤チタ “ヤケド注意”のライター

エッセイスト。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。古着とヘッセが好き。
映画/小説/漫画/BL