(by 安藤エヌ

8月某日、私は非常にくさくさしていた。

仕事の悩みが堂々巡りになりつつあったのと、コロナ禍で友達と会う機会も少なくなってストレスを発散することができなくなってしまっていたのが重なり、精神衛生は最悪だった。私の場合、こうなると大好きなエンタメにもなかなか手を伸ばせなくなるので厄介だった。

しかし思い出した。そういえば、楽しみにしていた『イン・ザ・ハイツ』がもう公開されている……このまま時間を浪費しているより、気分転換に観に行ったほうが有意義か。そう思い、重たい身体を引きずって映画館へ向かったのだった。

そして、映画館を出たとき。私はまるで別人になっていた。

とにかく踊り出したくてたまらない。今すぐにでも公園で踊り狂いたい。道のど真ん中でもいい。私の身体の中にラテン・ミュージックのリズムが流れ出し、自然とステップを踏んでいた。夏の暑さなんてご愛嬌だ。むしろ今が蒸し暑い夏であることをこんなに嬉しく思ったことはない。

瞼を閉じれば街の消火栓から水しぶきがあがり、空に小さな虹をつくって、ハイツの住民たちが寄り添い合って眺めている姿が目に浮かぶようだった。

退屈ついでに観よう、という気持ちで観てしまったことを恥じるくらいにすばらしい映画を観てしまったおかげで私はすっかり元気を取り戻し、自分が愛してやまないミュージカル映画に対する狂おしいいとおしさを改めて感じることとなったのだった。

『イン・ザ・ハイツ』は2008年初演のブロードウェイ・ミュージカルを映画化したもので、移民が多く暮らす街ワシントン・ハイツを舞台に、都市の高級化(ジェントリフィケーション)で生活苦を強いられる住民たちが逆境にも負けずたくましく生き、夢を追いかけ続け、遠く離れた故郷を思い日々を暮らす姿を描いた作品。

ディズニー映画『モアナと伝説の海』で音楽を手掛けたリン=マニュエル・ミランダが原作・主演を務めたミュージカルの映画版ということもあって──私は『メリー・ポピンズ リターンズ』で彼のファンになったが──、リンの音楽家としてのたぐいまれなる才能がほとばしる名曲の数々を楽しむことができる。

本当は全曲紹介したいところだが、ひとまず印象に残った曲をいくつかセレクトしてその魅力をお伝えしたい。

まずは主人公・ウスナビが、ハイツに住む住民たちをラップと歌に合わせて紹介するオープニングナンバー「In The Heights」。初っ端から観客を「この映画、もしかしてすごく良いのでは……?」と確信させる力がこの曲にはある。原作がミュージカルだからこその、登場人物たちがウスナビの営む商店に次々とやってくるという舞台的な演出とぴったり合わさった音楽が小気味いい。最後には街を行きかう人々とのスペクタクルなダンスが披露され、ダン!と音楽が終わった瞬間に思わず立ち上がって拍手しそうになるのだが、この映画のすごいところは、そういった規模の大きいダンスがいくつものシーンに登場することだ。オープニングの高揚感が最後まで続く、というところか。歌とダンスに圧倒され、息つく暇もなく心が動かされるミュージカル映画なのだ。

ミュージカル映画ならではというと、街の住民たちにとっての“よき母”であるアブエラが独唱する「Paciencia Y Fe」も観逃せない。

オリジナルキャストから唯一映画版へ続投となったオルガ・メルディスが素晴らしい歌声と表現力で魅せるバラードだが、歌だけでなく劇中のダンスも非常に芸術的で味わい深い。複数人でのコンテンポラリーダンスで表現される感情の機微や身体を使ったメッセージは、観る者に深い鑑賞体験をもたらす。

全編にわたりラテン音楽の主張が強い作品であるが、こういった曲や現代ポップスのラインを感じさせるナンバーもところどころに登場し、観客が映画を観て感じる感情の起伏をうまくコントロールしており、リンの音楽家であり劇作家としてのセンスが光っているといえる。

そして、満を持しての「Finale」。何を隠そう、私はミュージカル映画好きとしてフィナーレ曲をこよなく愛しているというのもあり、本作におけるフィナーレであるこの曲もいたく、いたく感動してしまったのだ。あまり詳しく話すとネタバレになってしまうので控えめにしておくが、実に“ミュージカルのフィナーレらしい”曲とでも言っておこうか。登場人物たちがなぞってきた物語が、主人公ウスナビの元でひとつになり、彼の決断を後押しする形となって音楽の上に表現される。キャラクターそれぞれが抱える苦しみ、それでも描こうとする夢。それらがしっかりと自立して『イン・ザ・ハイツ』というタイトルのもとに集まり、大きなひとつの主流の中に描かれているからこそ、この曲は集大成的な感動を観客の心に呼び起こすのだろうと感じる。

すべてのミュージカル映画好きに贈りたい『イン・ザ・ハイツ』は絶賛公開中。どこか弾け足りない夏を特別なものにするために、感動の渦に胸を浸したいと感じたとき、ぜひ観てみていただきたい。

あぁ、ミュージカル映画って、いいなぁ。

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『イン・ザ・ハイツ』公式サイト

 

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