(by 吉野山早苗)
喫茶店に入れば、コーヒーを飲んだりおやつを食べたりするだけでなく、本を読んだりぼーっとしたりしたい。そうなると、“放っておいてくれる”お店はありがたい。喫茶店は個人経営のお店も多く、そんななかで常連さんが集う店となれば、気さくなマスターがいる確率も高い。うっかり話しかけられたりしたら、たいせつなひとりの時間が消えてしまう。というわけで、なるべくテーブル席のあるお店に入るようにはしている。
ところが先日、新規開拓ではいったお店は、5席ほどのカウンター席しかない狭小店だった。当然だけれど、カウンターのなかにはマスターがいる。近い。話しかけられたらどうしよう。何事もなかったように出ていくことも、いまさらできない。内心、動揺しながらも、「お好きな席にどうぞ」と言われるまま、腰を下ろした。
気さくなマスターもあれだけれど、気難しいマスターもいやだ。このマスターは後者のようだった。それなら話しかけてはこないだろうから、その点では安心だ。でも、何か粗相をしでかしたら、いたたまれなくなるのでは。くつろげる気がしない。しかも、メニューにもこだわりがあるようで、ひとつひとつ、説明してくれる。マスターのご機嫌を損ねないよう、説明されたとおりに注文する。そのあとは本を取り出し、おとなしく読むことにした。カウンターのなかでは、マスターがこだわりのコーヒーを淹れてくれている。
そんなとき、あらたにお客さんがやってきた。なんとなく助かった、と思ったのも束の間、彼女は天真爛漫さを炸裂させた。どう見てもお店のプライベートなスペースに荷物を置いていいかと尋ね(マスターも勢いに押され、「ど、どうぞ」と答える)、メニューにないものを注文しようとし、いま注文したものを取り消して「じゃあ、コーヒーゼリーを!」などと言っている。マスターがぴりぴりしていくのが、ばんばん伝わってくる。読んでいる本の内容も、まったく頭に入ってこなくなった。
それでも彼女は、天真爛漫だった。出されたコーヒーゼリーを「おいしーい」と言って食べる彼女にマスターの表情も緩み、そこからふたりの会話は弾んでいった。マスター、気難しい系じゃなかったんだ……あるいは、彼女の天真爛漫さが彼の心を解きほぐしたのか……わたしはといえば、放っておかれるのがうれしくて本を読みつづけていた。
すると、彼女はおもむろに荷物のなかからチョコレートの箱を取り出し、「よかったら食べてください」とマスターに渡した。マスターは戸惑いながらも受け取り、包装をあけて彼女といっしょに食べはじめた。そして、わたしにもひとつ勧めてくれた。放っておいてほしくても、わたしもそこまで偏屈ではない。ありがたく頂戴し、それから会話に加わった。来週、お店が雑誌で紹介されるとか、テレビの取材で○○さんが来たとかいうことを、マスターは話してくれた。でも、有名人のサインは壁に飾らない。それがポリシーらしい。
ちょうどいいころ合いを見計らって、わたしは店を出た。放っておいてほしいけど、こういうふれあいもいやじゃない、と思った。