【名画再訪】『LEON』~大人を心に飼う少女マチルダと、その愛人について〜

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(by 安藤エヌ

困った。映画『LEON』についてレビューを書いてみようとしたものの、あまりに名作すぎて、中途半端な言葉でこの映画を説明したくない。何度観返しても、レオンとマチルダの愛をどんな言葉で説明したらいいのか分からずに頭を抱えてしまう。そもそも、2人の愛は説明が不要なのだ。あるいは、説明すると一気に興ざめになってしまう類のもの。

どうすればこの映画の魅力を伝えられるか真剣に考えて、レオンという殺し屋に身も心もささげる恋をしたわずか12歳の少女・マチルダについて自分なりの考えを書いておこうと思う。そこから、彼女の愛したレオンとの、1人ではない2人としての形を考えてみたい。

マチルダは父親が違法薬物を所持していたせいで自分以外の家族を麻薬取締局の人間に皆殺しにされ、天涯孤独になりアパートの隣人だった殺し屋のレオンと出会う。家族で唯一愛していた弟を殺した犯人の仇を討つため、レオンに殺し屋の心得を教えてもらうように頼み込む。当然、レオンはまだ少女であるマチルダに殺しの会得をさせることを拒み、世話をすること自体も断ろうとするが、次第に大人びた彼女に惹かれていき、世界の片隅で2人だけの関係を構築させていくようになる。

その美しさはとてもアンバランスで、しかし欠けたピースがぴったりと嵌るように、互いの欠落を埋め合い寄り添いあうさまは筆舌に尽くしがたい。到底言葉にならない美しさに、私は酔いしれた。まさに映画の中に陶酔する、といった体験をしたのだ。

そして驚くべきは少女マチルダの大人びた風貌だ。まるで彼女はその内に成熟した大人の女性を飼っているかのようで、細い手足に体躯、幼さを際立たせる切り揃えられた髪、長い睫毛に大きな瞳……その容姿からはまるで想像がつかないほどの熟した言葉と行動を持ち合わせる。若かりしナタリー・ポートマン演じる彼女は、当時少女にそういった演技をさせることに対して物議を醸したほどに危険な香りを漂わせ、煙草や酒も大人のように嗜み、豪傑に笑い、涙し、一途に恋をした。そして、銃で人を殺した。

レオンが買ってきたローズピンクのドレスを着て初体験がしたい、と彼に迫るシーンで、彼女の色香は最大値に達する。レオンが選んできたドレスはどこか幼稚で、子どもっぽい。マチルダは少女だから本当はそれが「似合うはず」なのだ。ふつうの少女なら似合うはずのそれが。しかし、「似合わない」。どうしても「ちぐはぐ」に見えてしまう。

それでもマチルダは「どう?」とレオンに聞き、レオンは「すてきだ」と言う。

「愛は誰にも止められないわ」

彼女はその歳で「喪失」を体験したから大人びているのか?
それとも、家族からの「愛」を幼いながらに諦めたからなのか?
1人の男を愛し続けた彼女は、どうして「子ども」だったのか?
もし彼女が「大人」だったら、この物語はどうなっていたのだろうか?

私は、マチルダが「少女」だったからこそ、この物語は成立したのだと思う。
レオンは彼女の内なるものに恋をした。彼女も内なるもので彼を愛した。

そこにアンバランスなものなどなく、ただ外殻だけはいびつで、だからこそ強烈に愛おしい。

彼女のレオンに対する愛は、他の少女たちよりはるかに大人にならざるをえなかった彼女にとっての初潮のような出来事だったのだと思う。初めて血を流すほどに痛ましく、忘れられない体験であり、いつしかその時のことを思い出すと、泣きたくなるほどに過去を愛おしく、淋しく思う出来事。

「愛してる、マチルダ」

“あの時”、レオンはマチルダにキスをしなかった。最後まで唇を合わせることのない愛し合った2人が、こんなにも私の胸に残り続けるのは、2人の愛が私にとって特別ほかならないことを証明している。

これを純愛と呼ばずして、何と呼ぼうか。

++++
(c) Les Films du Dauphin, (c) Columbia Pictures
映画『レオン』allcinema紹介ページ

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この記事を書いた人

安藤エヌのアバター 安藤エヌ カルチャーライター

日芸文芸学科卒のカルチャーライター。現在は主に映画のレビューやコラム、エッセイを執筆。推している洋画俳優の魅力を綴った『スクリーンで君が観たい』を連載中。
写真/映画/音楽/漫画/文芸