(by みくりや佐代子

コロナ感染症拡大の影響で気軽な外出もはばかられるようになり、それならばと思い切って遠出をすることになった。
車で一時間、街の外れまで家族でドライブ。川沿いの道を車は進んでいく。道幅が狭く対向車が近い。

「この道、ガードレールつけてほしいよね」

不満げなわたしの言葉に夫はフフと息だけで笑った。返事はない。本気で言ってるのに。もしそのうちここで事故があったら今笑ったきみも同罪、ていうかほぼきみのせい。わたしは警察に電話して「事故の前に可能性を示唆したらうちの夫が笑いました」と通報してやる。そしたらきみ現行犯で捕まっちゃうよ。

途中で夫が「コンビニに寄ろう」と提案した。息子と娘は喜んで、駐車場のアスファルトを飛び跳ねるように走っていった。
食欲のなかったわたしは「いい。ここにいる」と短く伝えて助手席に残った。

ふと顔をあげた瞬間に車の前を黒猫がしゅたたっと横切った。不吉。けれどもしっぽはくるりと曲がった鍵しっぽだった。鍵しっぽの猫は「鍵で幸運を引っ掛けてくれる」とその昔祖父に教わったことがある。わたしは「トントンか」と思った。黒猫だけど鍵しっぽ。幸運と悲運がトントン。

子供らが車に戻ってきてドライブは再開した。夫はハイラックスを容易く乗りさばいて(マイカーではあるがわたしは恐ろしくて一度も運転席に乗ったことがない)、ナビもついていないのに曲がりくねった道をおぼろげな土地勘だけで進んでいく。

思えば夫とわたしはあまりに性質が共通しない。わたしは運転も知らない道も苦手だ。
極度の心配性なので目的地に辿り着くまで気持ちが落ち着かず、変に喉も乾く。

こんなことがあった。昔、恋人同士だった頃。手を繋いで映画を観に行った。
物語に没入して号泣するわたしの横で、夫はけろりとしてポップコーンを食べていた。

鑑賞後に「あれはきっと暗喩だったんだね」「あのセリフは意味深だったよね」と興奮気味に話すわたしに「ああ、そういうこと?」「へえ、そういうことなん?」と夫は興味なさそうに返事をして、わたしは「結婚するならこういう人がいいな」とはっきりと思った。

我こそが正しいという解釈のこだわりや、意見がぶつかるほどの強い信念が同じフィールドにないところが魅力だったのだ。
感情が映画に影響を受けない、物語の伏線も回収しない、そういうところに強く惹かれたのだった。

橋を渡ってバイパスに乗って良きところで降りて、かと思ったら急こう配の坂道を駆けあがって、車は山の奥へ奥へと進んで行った。
駐車場の入場バーをくぐって、ひらけたロータリーをぐるりと大回りした時、左側を見下ろすとそこには大きな広場があった。

「プールだ」

ぽっかりと大きな穴が複数、無機質に空いている。夏はファミリーで大賑わいな県内で一番の大型遊泳施設がそこにあった。
わたしはうわ、うわうわうわと興奮して助手席の窓に額をくっつけた。プールが、空っぽ。誰ひとりいない。水もない。当たり前なのだけど。いつもなら階段に行列をなしている大人気のウォータースライダーも、刺すような冬の冷たい風にさらされて、わびしい。さびれている。
夫は興味のなさそうに「うん」とだけ答えた。

車はそのまま徐行を続けて、ほんの数分で別施設の駐車場に辿り着いた。本日の目的地はさびれたプールではなく「キッズパーク」と看板のあるこちらだった。
利用可能時間は90分、子供でもハーネスをつけてボルダリングができたり、密にならずに個別でトランポリンが楽しめたりするそうな。

さっそくお金を支払って入場証を腕に巻いてもらい、二階のテラスからボルダリングをする子供たちを見下ろす。器用な子もいれば、怖がって最初の一歩が出ない子もいた。

息子と娘もすぐにだーっと走り出してしまった。夫もボルダリングに興味があるようで入場口に歩んでいく。
これが「今年の冬の遊び方」かあ。そう考えながら、わたしの心はさっきのさびれたプールに持っていかれていた。

夏にあるべきものが冬に存在するのは、奇妙でいびつだ。しかも移動式でないものならば、そこにただ「いる」しかない。そこにいて季節が再び巡るのをじっと待つのだろう。乾いたまま。時間が止まったみたいに。

もしもあの場に、あの施設のど真ん中に今ひとりで立ってみたら、わたしは一体何を感じるのだろう?夏に裸足で歩くと死ぬほど熱い、あの焼けたプールサイドは今、キンと冷えているのだろうか。手で触れるとざらざらと痛いのだろうか。

あっという間に90分が過ぎて、息子も娘も名残惜しそうにスタッフに右腕を突き出した。
手首に巻かれた紙製の入場証にハサミの刃が入り、ちょきんと音がして非日常が剥がれる。

「帰ろう」

車が発進して体が一瞬縦に揺れた。そのまま来た道を戻っていく……と思ったら、車が先ほどのロータリーでぐわんと道を逸れた。
え?と戸惑ったのも束の間、夫が車を路肩に寄せて、さっき見たあのプール――冬に用のない空っぽのプールを、より近くで見えるように車を停めてくれた。

その瞬間、ああ、こういうことなのだと思った。

冬のプールってあんな感じなんだね、とわたしは言っていない。冬のプールがずっと頭から離れなくなっちゃった、とわたしは言っていない。それなのに夫はきっとわたしの様子を察して「もう一度見たいのだろうな」「もっと近くで見たいのだろうな」「帰りに寄ってあげようか」と考えてくれたのだろう。
それはとても些細なこと、けれど長く一緒にいるのには必要な、唯一のことのように思えた。

プールは変わらず空っぽだった。音もなく温度もなく、つぶれかけの遊園地のようだった。
わたしはシャッターを切るように瞬きをして、頭の内側にそれを貼り付けた。そして「冬のプール」とラベリングした後に思い直してデリートを押し、「夫の見せてくれた景色」と書き替えて保存した。

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