(by 碧月はる

別に君を求めてないけど 横にいられると思い出す
君のドルチェ&ガッバーナの その香水のせいだよ

『香水』~瑛人

この曲を聴くたびに、あぁ、と思う。大抵の思い出の傍らには、何らかの香りが存在する。

香りが連れてくるものは、記憶だけではない。入り乱れる感情の波も、無意識に連れてくる。穏やかな波も、荒れ狂う波も、意図せずに。だから瑛人は歌うのだろう。「その香水のせいだよ」と。それは単純に辛い思い出だからではなく、思い出すことによって琴線に触れてしまう愛しみをも示唆しているように見える。

ふらりと入ったホテルの部屋に備え付けられていたロクシタンのシャンプー。ぷるぷるとした感触に惹かれてお揃いで購入した蒟蒻石鹸。一緒に頬張った焼き鳥。酔っぱらってキスをしたときの酒くさい息。

恋人との思い出は人工的な香りが多いのに対し、子どもたちとの思い出は自然界のそれであることが多い。花の香り、空の匂い、海の潮風。どちらを思い出すときも、僅かに胸が痛む。大切な誰かを想うとき、幸福と同じくらい切実な寂しさを感じてしまう。取り戻せないからなのか、忘れたくないからなのか。どちらかはわからない。

少し前まで続いていた肌寒さが嘘のように、汗ばむ陽気が続いている。例年より早く関東の桜が一斉に開花し、ところによってはすでに葉桜になった。枝先を彩る薄桃色が、淡い緑に染まる。夏の盛りとは違う新緑の穏やかな緑が、私はすきだ。

桜の前には、梅が咲く。ある小春日和の日、私は梅林をふらりと散策した。芳醇な香りを目一杯吸い込み、空を見上げる。白花と赤花のコントラストが、青空に映える。足元を彩る水仙やオオイヌノフグリが、色彩に色を添えていた。毎年のお花見のたびに「唐揚げ!唐揚げ入れてね!」とせがむ二人の息子の声が、梅の香りと共にどこからともなく漂ってきた。

空いているベンチに腰掛け、手持ちの文庫本を開いた。村山由佳さんの読みかけのエッセイを味わいながら、時々マスクを外して深呼吸をした。毎年馴染みの香り。一年に一度の、美しい春の香り。

はす向かいに座る年配のご夫婦が、ふと目に入った。色鮮やかな上着を着て、二人並んでお弁当を食べている。温かいお茶らしきものをおばあさんが手渡したとき、おじいさんが何ともしあわせそうに笑った。蕾が綻ぶみたいなその表情を見て、私の頬も自然と緩んだ。

毎年こうしてお花見に来ているのだろうか。何十年もの月日を誰かと共に生きる。その姿はとても幸福に満ちていて、人生のなかで幾度となくあったであろう苦労や苦難の色は、一切見えなかった。

同じ香りを吸い込みながら、それぞれが思い思いのやり方で春を満喫している。唐揚げを作らないお花見は初めてだったけど、これはこれで悪くないと、そう思った。来年の春、私はきっと、今年の梅林でのひと時を思い出すだろう。子どもたちとの賑やかなお花見の思い出と共に、見知らぬご夫婦の間に流れる慈しみの空気に思わず頬を緩ませた日のことを。

流れる月日を毎日追いかけていると、”いま”を取りこぼしてしまう。だからこそ無意識に記憶を掘り起こす香りに触れたときぐらいは、その感触をしみじみと味わってもいいのかもしれない。残っているからこそ、思い出すのだから。薄れはしても消えはしない。そんなピースを数えきれないほど鞄に詰め込み、私たちは日々を歩いている。

梅を眺め、芳香を味わい、ふわりとした気持ちで帰路についた。習慣となっている手洗いをしながら、またしても新たな記憶が胸を掠めた。引っ越しのお祝いにと友人が贈ってくれたハンドソープ。爽やかな柑橘系の香りが鼻先をくすぐる。

「しあわせを願っているよ」

そう言ってくれた友人と眺めた夕暮れの海の色を、今でも覚えている。防波堤に打ち付ける波の音も、潮風の香りも、一緒に食べたハンバーガーの味も。

生活の至るところに溢れる香り。そこに交わる感情と思い出。生きる限り更新され続けるであろう雑多なそれらを吸い込み、私たちの毎日は淡々と過ぎていく。季節の移ろいと人との繋がり。思い出すもの、思い出さざるを得ないもの。どちらも抱え、ときに喘ぎ、ときに笑い、そうやって生きていくのだろう。「横にいられると思い出す」香りを、時折持て余しながら。

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画像提供 by 碧月はる

 

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