(by こばやしななこ)
バカみたいだけど、キアヌのことをとても身近に感じる。私の言うキアヌとは、キアヌ・リーブスのことだ。
こうなってしまったのも幼い頃、父親よりも画面の中のキアヌと過ごす時間の方が多かったからだと思う。
ガチョウやアヒルが、犬とか人間とか親以外の生き物を「親だ」と認識して後ろをついてまわる映像を見たことがある。あれと同じことで、もの心つく頃にキアヌを見すぎて、私の脳は彼を「親だ」と認識してしまったのかも。
ことの発端は1994年。キアヌの主演映画『スピード』が公開され、世界中の女性たちがスクリーンの中の彼に恋をした。そのうちの一人が、私の母だった。
母はミーハーなごく普通のキアヌファンになり、うちでは『スピード』のVHSが四六時中流れていた。『スピード』は当時4歳の私が観ても面白い映画だった。かっこよすぎる主役はキアヌ・リーブスという人だと母が教えてくれた。
そこから、うちではキアヌが出演する映画のVHSがどんどんコレクションされていった。
子供の頃観た記憶があるのは『から騒ぎ』『ドラキュラ』『ビルとテッドの大冒険』『バックマン家の人々』『マイ・プライベート・アイダホ』『ハートブルー』『リトルブッタ』あたりだ。
コッポラが監督した『ドラキュラ』は今でこそ切なく美しい映画だと思う。でも当時は母から「怖くないから一緒に観よう」と言われて観てトラウマになった。他人の「怖くない」は信じてはいけない。
私のお気に入りはダントツで『から騒ぎ』だ。シェイクスピア原作の喜劇で、キアヌは悪役。古風な衣装や美しい風景にうっとり見入ったものだ。『ビルとテッドの大冒険』も子供がワクワクする要素が詰まっていて大好きだった。
さらに、うちの写真アルバムの最後のページにはなぜか、キアヌが地面に座ってホームレスと酒を飲むパパラッチ写真の切り抜きがしまってあった。
キアヌはあの頃の私にとって確実に、一番身近な大人の男性だったと思う。
しかし、それは大きな勘違いだと1999年『マトリックス』の公開と共に思い知らされる。『マトリックス』が大ヒットしたことで、私はキアヌが自分の元から離れて行くのを感じた。実際は『スピード』の頃からキアヌはスターで、私の近くにいたことなどなかったが。キアヌがホームレスと酒を飲み交わすプライベートも、私と母だけが知っている彼の秘密ではなく、ファンの間では有名なことだった。
『マトリックス』の後しばらくすると母のキアヌ熱は冷め、うちでキアヌの出演作が流れることもなくなった。
母のブームが終わろうと、私の中でキアヌは特別であり続ける。それは俳優としてではなく、親密な男性1号としての特別さだ。
そして2017年。私は遂に『ジョン・ウィック2』の舞台挨拶で初めて肉眼でキアヌを見た。キアヌと同じ空間で同じ空気を吸ったのだ!
数々の来日したスターを生で見てきたが、キアヌのテキトーさはグンを抜いていた。大体のスターは通路沿いのファンとセルフィーしたり、握手したりとサービスしてくれるのだが、キアヌはファンを華麗にスルーし、瞬足でステージに駆け上がった。そしてゲストの和田アキ子氏とテキトーに絡み、テキトーな感じでイベントが終了した。ステージ上の彼から「早く仕事を終わらせてラーメン食べに行きたいぜ」という心の声が漏れ聞こえてきた気がした。
そのステージを見て、私が勝手にキアヌを特別に思っているだけなのだと痛いほど実感しながらも、生き別れの父を目にしたような気持ちで勝手に感慨深かった。
今作られている『ビルとテッドの大冒険』の新作が公開されたら、また勝手に感慨深くなるのだろう。
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