【連載/世界テーマパーク巡り】第3回: 麻豆代天府(台湾)~生きながら天国と地獄をひと周り~

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(by 冬日さつき

日本を離れ、わたしはみずから地獄へと向かっていた。台南にある麻豆代天府という寺院には、天国と地獄をモチーフにした施設があるのだという。台南駅から最寄りの隆田駅までは30分ほど。そこからさらに車で15分ほどかかるため、タクシーに乗り込む。帰りに困らないよう、時間を指定して戻ってきてもらうようにお願いをする。窓の外をながめながら、ここにはどんな暮らしがあるのだろうかと想像した。観光地という場所ではない。

思ったよりもはやく到着した。閑散期だったのか、あまり人はおらずしんとしている。カラフルな装飾がよく目立つ。本堂に入ると赤くて長い線香をいくつも手に持っている人がいる。無料でもらえるらしい。作法はよくわからなかったけれど、見よう見まねでひとつずつお線香をあげていく。

いよいよ天国と地獄へ向かう。大きな龍が目印になっている。天国の入り口にて入場料を支払う。天国では人びとはみな安らかな表情で、ボードゲームをたしなんでいる人もいる。ずっと遊んで暮らせるのだろうか。空色の壁が明るい。天国で撮ってもらった唯一の写真は、なぜかものすごくぼけていた。カメラがわたしの地獄行きを示唆しているのだろうか。

天国をさっと見てまわり、次はいよいよ地獄へ。入り口でまた、入場料を支払う。地獄に行くのにもお金がいる。天国と同様、壁には死後の世界へ行く人びとの絵が書かれていて、それぞれがなんとも意地のわるそうな、いかにも地獄に行かざるを得ませんでした、というような顔をしている。じぶんの顔もそんなふうでないか確かめたかったけれど、表情が確認できるような鏡がなくて不安になった。審判を経て、罪状によってさまざまな刑が執行されるらしい。足元にあるセンサーがわたしを感知するたびに、処刑がはじまる。なんだか執行人のひとりになったみたいでおそろしくなる。

『幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。』というトルストイの言葉を思い出した。処刑人が生前犯した罪や、罰され方のバリエーションがとにかく多い。天国では中国語でしか説明がされていなかったのだけれど、地獄には英訳がついていた。教育のために親が子どもを連れてくることもあるらしい。もしもわたしが小さい頃に連れてこられていたら、今とはまったくちがう人格になっていた可能性もある。

たぶん一生分の処刑を目にしてぐったりしながら外に出ると、地獄から天国へ向かう人たちがいる。もしかしたら順番を間違えたのかもしれない。たしかに地獄に行ったあとに天国へ行くほうが、ずっと幸せのありがたみを感じられるだろう。あんなふうにさっと見てまわったせいで、天国に対して無礼を働いたと死後裁かれる罪のひとつとしてカウントされないことを願う。「地獄には行きたくないから、正しく生きよう」というなんのおもしろみもないけれど、きっと全員が持つ感想をしっかり胸に抱いて、帰りのタクシーのもとへと戻った。

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「麻豆代天府」の情報ページはこちら

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この記事を書いた人

校閲者、物書き。

新聞社やウェブメディアなどでの校閲の経験を経て、2020年フリーに。小説やエッセイ、ビジネス書、翻訳文など、校閲者として幅広い分野に携わる。「灰かぶり少女のまま」をはじめとした日記やエッセイ、紀行文、短編小説などを電子書籍やウェブメディアで配信中。趣味のひとつは夢を見ること。

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