
(by とら猫)
努力ってけっこうむごい。成功を保証しないから。
フリーソロ。命綱のギアを一切使わず、己の手足だけで断崖絶壁をよじ登っていく、究極のクライミング。この世界で戦っている者たちは努力の残酷さを身に染みて知っている。一流クライマーとして名高いアレックス・オノルドもそう。彼の周りでは常人離れした努力を積んできた、“決して失敗しない”はずの優秀なクライマーたちが、次々と命を落としているからだ。
だからこそ、アレックスは入念に登攀プランを立てる。「滑落して死ぬのはまっぴらだ」と言い切り、綿密にルートを計算して、何度もロープ付きで練習を重ね、トレーニングを積んで、計算上は百パーセント成功すると思える段階にまで持っていく。
そう、アレックスは決して、失うものなど何もないリスクジャンキーのような男ではない。恋人もいる。仕事もある。それでも本人いわく“生を実感する”ため、最後には死と隣り合わせの矛盾したチャレンジへと向かうのだ。
いや、チャレンジという言葉はフリーソロの現実を前にしては生ぬるい。チャレンジという言葉にはどことなく、次があるような、「失敗を恐れずにやりなさい」といった優しさ、大らかさを感じるが、フリーソロに次はない。失敗すれば死ぬだけ。それも確実に。
誤解を恐れずに言えば、それはほとんど特攻に近い。目を凝らしても分からないくらい小さな岩べりに片足を乗せ、壁面のわずかな隙間に指を突っ込みながら、人間を嘲笑うかのようにそびえる断崖を一歩ずつ登っていくその姿は、人が今まさに死のうとしている瞬間そのものだ。あまりに現実離れしていて言葉を失う。
それと同時に、アレックスの言う“生の実感”もほとばしっている。小さなでっぱりを掴むたび、少しずつ這い登っていくたびに、アレックスの、おれは生きる、生きるんだ。恋人に会うんだ。家族に会うんだ。仲間に会うんだ。こんなところで終わってたまるか――という歯ぎしりまじりの悲壮な声が伝わってくるようで、ただただ壮絶である。アレックスがまさしく、生き残るためだけに絶壁を登っていることを実感させられる。
歴戦の撮影クルーすら目を背けてしまうその登攀シーンは、目の前で起きていることが咀嚼できないほど凄まじい。実際、本作の撮影にはそうとうな葛藤があったようだ。無理もない。このチャレンジは誰が見たって無謀であり、狂っていて、カメラが映し出すのはひょっとすると、かなりの確率で、アレックスが人形のようになす術もなく落下していく最期の姿なのだから。
それでも難所を超えるとアレックスは、クルーに向かって笑う。ひとつの死線を乗り越えただけに過ぎないのに、子供のように無邪気に手を振って笑うのだ。そしてすぐにまた、次の死に場所へと向かっていくのである。
努力はむごい。成功を保証しないから。
だがこれだけ努力しないと万に一つの成功もあり得ない世界もまた、むごい。
そんな世界で生きているクライマーたちのことを思って、震えが走った。
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