(by 安藤エヌ

好きな映画は何?と聞かれた時、私は大抵ひとつに絞れないので、ジャンルごとに好きな映画を答えるようにしている。SFもの、青春もの、ファンタジー、そしてラブストーリー。

「ラ・ラ・ランドとか、結構好きだな」
「えっ、そう?私はあのラスト、あんまり納得いかなかった」

そう、『ラ・ラ・ランド』という言葉を口にすると十中八九この問題が会話に付随してくるのだ。ラストシーンないし、物語の展開に納得できたか否か。そして映画自体が自分にとって是か非か、ということだ。

確かにこの作品はド定番の恋愛映画とは違って、主人公のミアとその恋人セブの間の関係はほろ苦くビターに描かれている。至極リアルで、余計な脚色を入れていない見たままの恋愛を映画にした、というような感じだ。当然、予定調和の出来事が起こるわけはなく、2人の恋愛は最も現実的な終わりへと着地する。

私はそれを「上手くいかなかった」とか「破局」とか「失恋」とかいう表現では呼びたくない。そういうのはもっと「意図的に描かれること」であって、この作品の2人における恋愛は「なんとかうまくやろうとしたけど、互いに人間であり、その互いを最大限尊重した結果起こり得たこと」であり、悲劇的な感情はそこに含まれない。あくまで互いの人生にどう影響し合うのが最善であったかを考えての結果なのだ。

では、何もかもが思い通りにいく(というのは人生上ありえない気もするが便宜上)、多くの人が選ぶであろうレールの上を歩んで適切に自分を幸福に導く人たちが間違っているのか?そうではない。映画に正しさも間違いもないのは承知の上だが、あえて映画が描いていない筋のほうを間違いと呼ぶのなら、そうは思わない。終盤、ミアがセブのピアノ演奏を聴いて走馬灯のように思い起こさせた「2人が順風満帆に人生を歩んだ場合」の絵のように、愛する人との間に子どもを授かり、幸せな結婚生活を送り、自分のキャリアも成功するといった人生を望む人だっていていいはずなのだ。

そこに私の拒否権も、『ラ・ラ・ランド』の拒否権もない。そういう人はきっとこの作品の終わり方が納得いかないはずだろう。でも、それでいいのだ。あくまで「あなたの望む人生を投影させた結果、感じたこと」なのだから、自由に考え、思い望み、願っていい。

そしてかくいう私は、彼らの決めた人生に自分の人生上のあれこれが共鳴したおかげですっかりこの映画の顛末が大好きになってしまったため、思い入れのあるシーンがたくさんある。

仕事を成功させるために妥協しようとするセブとそんな彼を愛するゆえに口論になってしまうミアのシーン。鳴かず飛ばずだった女優志望のミアが、オーディションで叔母の話をしながら歌うシーン。どれも人間としての血が通っていて、そして苦しい。人間とは悩んでしかるべきなのだ、道を迷って当然なのだと言わんばかりの華々しくない、しかし胸に迫ってくるシーンの連続に、私はすっかり『ラ・ラ・ランド』的人生を歩んでいくであろう自分のことを思ってグッときてしまったのである。

「そう?私はあの終わり方、好きだけどな」

ラストシーンについて訊かれた時、私はいつもこう答える。それが私の人生における答えだからだ。だけど、好きじゃないという人がいてもいい。もちろん、映画自体が好きじゃないという人だっていてもいい。だけど、私にとっては愛おしい映画に他ならない。

人はそれぞれ自分の人生を生きている。映画にもならなければ小説にもならない、世界の片隅で回り続ける日常を生きている。けれどもしかしたらそれも、憧れだった銀幕の中のストーリーと似通ったものがあるかもしれない。

友人とはこれからも、互いの人生を生きながら映画の話をしたいと思う。『ラ・ラ・ランド』が是か非かという論争は、もうこれでやめにして、友人が自分とは違う人生を生きているそばで、今日もコカ・コーラ片手に映画館へ行こうと思う。

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『ラ・ラ・ランド』映画.comページ

 

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