【映画レビュー】『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』~ぼくらは勇者じゃないけれど~

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私はゲームをほとんどしない。
誰かがプレイしているのを、いつも後ろから見ていた。
『ドラゴンクエストV』もそうだ。3才年上の兄がスーパーファミコンでプレイしているのを肩越しに見てた。
だけどすごく印象に残ってる。この長く、不思議な物語。

*

生まれた直後、母マーサを魔物・ゲマにさらわれてしまったリュカ。幼いリュカが、父パパスと共に母を探す旅をしているところから『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の物語は始まる。
リュカの人生は過酷だ。ストーリーの序盤、まだ幼少のリュカの目の前で、パパスはゲマによって殺される。さらに、囚われたリュカはその後魔物の奴隷として10年も(!?)働かされることになる。

どうにか奴隷から脱したリュカは、ゲマの目的が大魔王ミルドラースを復活させること、それを阻止できるのは、「天空の勇者」のみであることを知る。
天空人特有の瞳の色を持つリュカは「天空の勇者」であることを、パパス、そして周囲から大いに期待されていた。
リュカもそれを自分の使命と信じ、勇者の証である天空の剣を引き抜……抜け……ない!

映画の原案『ドラクエV』の最大の特徴なのだけど、なんと主人公リュカは「勇者」ではない!
父を殺され、10年も奴隷として過ごし、その先に待つのが「自分は勇者ではない」という事実。あんまりすぎる。

ここから、旅の目的は「勇者として母を助ける」ことから「母を救うことのできる勇者を探す」ことにシフトしていく。でも、この衝撃的な事実を突きつけられて以降、どんなにリュカが剣をふるって活躍しても、心のどこかに「でもリュカは勇者じゃないんだよな」という思いが巣食う。

現実の私たちの人生は、たいがい報われないし、物事の中心にも立てない。
そんなことよくわかってるつもりだけど、フィクションの中でさえそれを突きつけてくるとは。
勇者ではないリュカの旅を自分の人生にオーバーラップさせながら、こう思わずにいられない。

“だとしたら、私の人生って何?”

映画の中でも、リュカは他のキャラクターから「あんた勇者じゃなくて魔物使いだったのね」「勇者でもないお前に何ができる!」とめちゃめちゃ煽られる。
おい、ここまで煽るからには納得のいく答えを用意してるんだろうな。答えがなかったらちゃぶ台ひっくり返すぞ。

映画は終盤、原案とは異なる、かなり思い切った展開をぶち込んでくる。
ネタバレはここでは書かないけれど、単純に『ドラクエV』の映画化だと思って観ているといきなりぶん殴られる羽目になる。
実際レビューはかなり荒れていて、SNS上では賛否両論、大盛り上がりのわっしょいわっしょい。
純粋に『ドラクエV』の映像化を求めていたら、もしかしたら裏切られた気持ちになるかもしれない。
観ないほうがいいかもしれない。
しれないんだけど。

この映画の副題は『ユア・ストーリー』。キャッチコピーは「君を、生きろ」。
私がこの映画で一番注目していたのは、「リュカ勇者じゃない」問題にどう答えを出すのか、だった。
そういう視点で観たとき、この映画はこの展開をもって、その答えをきっちり出してくれように思う。
フィクションとして、「リュカ」という他者の物語として映画を観ている観客に「これはお前の話なんだぞ」ということを伝えるために、予想外の角度から度肝を抜く荒業が必要だったのかな、とも。
スクリーンを超えて、フィクションを超えて、「私」に手を伸ばすために。

私たちは勇者じゃない。
いつだって、自分以外の誰かが勇者なのを横目に見ながら生きていく。
でも、でも、まぎれもなく主人公だった。
コントローラーを握り、ゲームを起動した時から。
いや。
生まれたときから、1秒もあますとこなく。
ゲームがエンディングを迎えたその後もずっと。

今こそ『ドラクエV』やってみようかな。
誰かの肩越しに見るんじゃなくて。
主人公に自分の名前をつけてみたりしてさ。

(C)2019「DRAGON QUEST YOUR STORY」製作委員会 (C)1992 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.
『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』公式サイト

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この記事を書いた人

音楽メインにエンタメ全般をカバーするライター。rockin'onなどへ寄稿中。個人リンク: note/Twitter