【映画レビュー】『ベイビー・ブローカー』〜母親は赤ん坊を「捨てた」のか、それとも「託した」のか

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(by 碧月はる

“この世に生まれなければ良かった命など存在しないと、自分は彼らに言い切れるのか?”

映画『ベイビー・ブローカ―』の公式サイトに記載されている、是枝裕和監督の言葉だ。

生まれなければ良かった命。「そんなものはない」と、一片の疑いもなく言い切れたなら、どんなにかいいだろう。そう言い切ってしまいたい感情の奥で、日頃ひた隠しにしている本音が、うめき声を上げている。

「要らなかったのなら、生まないでほしかった」

私がそう言ったとき、母がなんて答えたのか、もう覚えていない。ただ、その顔は悲しそうではなく、面倒そうな、疎ましいものを見るような表情だったことだけは、鮮明に記憶している。父は、私を自身の欲求の捌け口として扱った。母は、そんな私を真っ向から拒絶した。そういう人間にとって、この問いは、あまりにも難問だ。

2022年6月24日に公開された映画、『ベイビー・ブローカー』。タイトルのインパクトが強烈な本作品は、公開直後から注目を集めている。ソン・ガンホ、カン・ドンウォン、ペ・ドゥナ、イ・ジウンなど、韓国の実力派俳優が難しい役どころを熱演。『万引き家族』『誰も知らない』などの話題作を手掛ける是枝裕和が、監督・脚本・編集を務め、現代の社会問題に真っ向から切り込む。

借金に追われるサンヒョン(ソン・ガンホ)と、児童養護施設出身のドンス(カン・ドンウォン)が、赤ちゃんポストの前に置き去りにされた赤ん坊を連れ去るところから物語は始まる。二人は、連れ去った赤ん坊を高値で売り飛ばす算段だったが、引き返した母親ソヨン(イ・ジウン)に真相を追及され、「大切に育ててくれる人を見つけてあげたい」と苦しい言い訳をする。様々な成り行きを経て、サンヒョンとドンス、ソヨン、児童養護施設で暮らす少年ヘジン(イム・スンス)が、4人で旅をすることに。旅の目的は、“赤ん坊の育ての親を探す”こと。しかし、時間を重ねるごとに各々に育っていく感情が、徐々に旅の目的を揺らしはじめる。

「赤ちゃんポスト」の存在の是非は、これまでも散々議論されてきた。「そんなものがあるから母親が無責任になるんだ」と憤る声。「虐待されて殺されるよりは、母も子も救われる」と賛同する声。当時から、不思議に思っていた。子どもは、ひとりでは授かれない。どこで生まれたどんな子どもにも、必ず「父親」が存在する。それなのに、赤ちゃんポストを取り巻く議論の中で、「父親」の二文字が存在しない意見は少なくなかった。なぜだ、と思う。二人の子どものはずなのに、なぜいつも母親にだけ命を背負わせるのか。なぜ子どもに何かあれば、「母親の責任」と言われるのか。その挙句に、アメリカの連邦最高裁判所で、「憲法は中絶する権利を与えていない」として、「生む・生まないの選択権は母親にはない」と言わんばかりの裁判結果が下されたのはなぜなのか。

映画序盤、「捨てるなら生むなよ」と吐き捨てた刑事スジン(ペ・ドゥナ)の言葉を聞いた瞬間、納得できない「なぜ」が、音もなく降り積もった。理不尽であるにも関わらず、「そういうものだから」と黙殺される痛み。その残骸に埋もれていく人々の声は、いつだってかき消される。

世の中には、生まれてくることを親に望まれない子どもが少なからず存在する。母親は生みたいと願うも、父親がそれを望まないケース。その逆も然り。また、両親共に誕生を望んでいない場合、さらには、性被害に遭った際に望まぬ妊娠を背負わされるケースもある。では、そのような状況下で、なぜ生むのか。これもケースバイケースであろう。誰にも相談できないまま、中絶できる時期が過ぎてしまった人。宗教によるしがらみで、中絶そのものを選択肢に入れられない人。パートナーに生むことを強制された人。パートナーが望まずとも、どうしても生みたかった人。バックグラウンドも、生活環境も、家族構成も、性格も、特性も、人により異なる。「望まぬ妊娠」という状況が同じでも、下す判断やその後の人生は、当然ながら千差万別だ。どれが正解かを決められるのは、他人ではない。人の人生を背負う覚悟もないくせに、他人が下した判断の是非を問う人間の何と多いことか。安全圏から物を言うのは容易い。まして、己の手を煩わす必要はなく、言いたいことだけを言葉にするのなら、尚更だ。

「必ず迎えに来るからね」と書き置きを残したソヨンが赤ん坊を手放した理由は、映画後半で明らかになる。理由を知り、頷く者。知った上でも、首を横に振る者。感じ方は人それぞれであろう。ただひとつだけ言えるのは、そのどれもが“外側から”見た意見であるということだ。

ソヨンは、赤ん坊を「捨てた」のか。それとも、赤ん坊の未来を守るために「託した」のか。ソヨンが守りたかったもの、そのために飲み込んだ想いと言葉を、私は否定できない。

私にも、二人の息子がいる。もしも自分がソヨンと同じ状況だったら、私はどんな判断を下すのだろう。わからないものは、想像するしかない。そして、想像の及ぶ範疇は、大抵の場合、現実の半分にも満たない。

人が人を想うとき、法律を守るより目の前の人を守りたいと切望することがある。それが例え間違いだとしても、多大なるリスクを背負うとわかっていても、そうせずにはいられないのだ。感情を抑えきれず、かといって理性を完全に手放すこともできない。そんな不器用な人間が大半で、何らかの法に触れた者すべてが極悪人なわけじゃない。この映画に登場する者たちも、みなそういう人たちだった。生きるのが下手くそで、不器用で、情が深くて、何度傷ついても人を信じることをやめられない。そういう人が転がり落ちていく前に、誰かが止められたらいいのに。心ない者に追い詰められ、心ある者が失い続ける。そんな世界は、あまりにも悲しい。私は、逆がいい。心ある者が守られ、ちゃんと笑える世界がいい。

映画終盤、ヘジンにせがまれたソヨンが、こんな台詞を口にする。

「生まれてきてくれて、ありがとう」

このときのヘジンの表情が、脳裏に焼き付いて離れない。たったこれだけの台詞を、ただの一度も言われないまま大人になる子どもたちがいる。そういう人が抱え続ける仄暗い足枷は、外側から見るよりも、ずいぶんと重たい。

生まれてきたことが罪だった。そう思いながら生きる苦しみを知っている。同じような子ども、大人が、大勢いることも。だからこそ、「それは違う」と私は言い切りたい。これが、冒頭に記した是枝監督の問いに対する私なりの答えだ。

私は、望まれない子どもだった。でも、私は、生まれてきてよかった。そう言い切れるくらいには、今がしあわせで、守りたいものがある。そんな自分を、ほんの少しずつではあるが、愛しはじめている。ソヨンの赤ん坊も、そうであってほしい。生まれてきたすべての命が、いつの日かそう思えたらいい。今すぐは無理でも、いつの日にか。そのためにも、「この世に生まれなければ良かった命など存在しない」と言い切れる世界を、我々大人が諦めるわけにはいかない。大人がきれいごとを諦めたら終わりだ。子どもの命と未来を守れるのは、私たち大人だけなのだから。

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(c)2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co.,
映画『ベイビー・ブローカー』allcinemaページ

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この記事を書いた人

書くことは呼吸をすること。noteにてエッセイ、小説を執筆中。海と珈琲と二人の息子を愛しています。