(by みくりや佐代子

「くらげみたい!」と笑ったのは私じゃなくて君の姉だから、どうか私を恨むのはやめてほしい。

エコー写真を覗きこんですぐ、6歳の娘は驚いて顔をあげた。「くらげ」と呼ばれたその命はまだ小さくて、大きさでいうと30ミリ、モノクロの感熱紙の右上に「10w」と“生”の記録がなされていた。ぽっこりと丸い大きな頭にいびつな手足が貼りついていて、これが「にんげんの元々」なのか……と思うとちょっと冗談みたいだった。

後日、娘の指していた「くらげ」は「クリオネ」のことだったと判明した。でもその頃には呼び名にも妙に愛着がわいてしまっていて、おなかの中の命は今日まで母親の私に「くらげ」と呼ばれてしまっている。気づけば10wと記録されたくらげも、26wと人知れず膨らみを増していた。

くらげは、うねる。胎児がおなかの内側をポコポコ蹴って「あ、動いた♪」なんて夫婦で微笑む素敵なシーンがよく描かれるけれど、現実はそんな可愛いもんじゃない。ぐねぐねと動くあの感じは「うねる」以外じゃ表せられない。ぐねぐね、ぐにぐに、ぐにゃぐにゃ、あたりの濁点を含んだ言葉がしっくりくる。

3度目の出産を目前にした初夏。そうやって胎動を感じるたびに「不思議だなあ」とやけに冷静になるのだった。私たちはどうしてこんなにも命の連鎖の仕組みを当たり前のように受け入れているんだろう?

だって、マトリョーシカのように人間の中にミニマムな人間がいるなんて、本来なら奇妙で不可解この上ないことなのに。しかもミニマムなそれがおなかの内側をうねるのだ。内臓を「邪魔だ〜」とどかすようにして。いや、あんたが新参者や。内臓の方が元々あったんやけん。そうツッコんでみてもお構いなし、くらげはその存在を誇示するように大きくうねる。そのたび私は愛しさよりも不思議さを先に差し出されたような、そんな感覚になるのだった。



私が小学生だった頃、道徳の授業だったか、先生が2枚のイラストを並べてなぞなぞを出したことがあった。

「右にあって左にないもの、なーんだ?」

右には家族が笑っている和やかなイラスト、左にはガイコツのイラストがあった。

なんだかんだと議論が為された後、先生は満足そうにしながら「正解は、命です!」と言った。家族のイラストには命があり、ガイコツのイラストには命が無いというのだ。当時からひねくれていた私は「そんなバカな」と心の中でツッコんだ。家族の「実物」ならまだしも、絵に命なんてあるかいな。私にとってはどちらにも命など宿っていなかった。

「みなさんは、どんなものに『命』を感じますか?」

素直な回答が活発に飛び交う。ペット、草木、海。私は脳内で「ハイ嘘、嘘、それも嘘」と悪態をついた。「人が死ぬ映画」という回答には一番腹が立った。フィクションだろうがと中指を突きつけてやりたかった。……許してほしい、本当にひねくれた子供だったのだ。

つまるところ、当時の私には「命」というものがピンと来ていなかった。

もちろん死ぬのは痛くて怖いだろうとそのくらいは想像できたし、飼い猫にだって「長生きしてね」と呼びかけては可愛がって世話していた。けれど、何も失ったことのない私に「命」をひしひしと感じる瞬間など生活の中には見当たらなかった。

それからしばらく経つ中で、祖父の葬儀を経験したりイジメのニュースに胸を痛め眠れなくなったりして、少しずつではあるけれど命の大切さ、かけがえのなさを感じる場面が増えていった。他人に自分を投影しては「当事者ならばどれほどつらいだろう」と塩梅を探るようにもなった。

とはいえ、もしも今の私があの日と同じ質問をされたら。「どんなものに『命』を感じますか?」と投げかけられたら。堂々と手を挙げて、しゃんと答えられるのだろうか。

そんなことを考えていると見知らぬ誰かの「ハイ、嘘」の声が耳元を掠めた気がした。

くらげは、うねる。とりわけ夜にうねる。寝つきの良い兄と姉に挟まれて、狭いおなかの中でうねる。

私は天井にぶら下がる豆電球の明かりを見つめながら、「今日も泳いでますなあ」と心の中で呼びかけた。くらげは夜行性。くらげは自由人。そうやって毎晩、母親の私の眠りを妨げるイタズラっ子でもあった。

おなかに手をあてて目を閉じる。深呼吸をすると、ベッドから体が深く沈んでいってそのまま世界の底へゆっくりと落ちていくような気持ちになった。

誰にも気づかれないで静かに私は底へ落ちていって、そこは暗い海の中、くらげが今見ているのはこんな風景なのではないかと想像した。暗闇なのに恐ろしさはない、「守られている」空間。

すると、気づく。このうねりを感じられるのは世界で私だけなのだということに。

世の中に妊娠を選択する人は私以外にもいる。けれど、くらげの「この」うねりを感じられるのは世界のうちで私だけ。私だけが、この子と結びついている。
わ、わ、わ。私は深い海の中ですごいものを見つけた気がした。それはきらりと輝いた。途端に泣きそうになった。胸にせり上がってくる感情をおさえながら、唇を噛みながら、これまで半信半疑だった自分自身を悔やみながら。

これか。これがそうなのか。

夜の狭間、寝室の真ん中で、あの日の問いに私はやっと答えることができる気がした。教えてくれたのはくらげ。愛おしい私の一部。

結局のところ、うねりの正体は「命」だったのだ。

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画像:祢音さんによる写真ACからの写真

 

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