(by ハシマトシヒロ

「あなたたち、全然夫婦に見えない!」
作・演出の美奈さん(仮名・年下)が、怒って芝居を止めた。

二十数年前の僕は、あるお芝居の公演に参加していた。大きな芝居ではない。仲間内の芝居だ。その「仲間」というのも、所属劇団が解散した者、所属劇団をクビになった者、入りたい劇団に入れない者など、要は「あぶれた人間」の集まりだった。

僕は「入りたい劇団に入れない人間」だった。僕の「入りたい劇団」は東京の劇団で、主催のKさんはミュージシャンでもあった。そのKさんのワークショップ兼劇団オーディションに参加した時、思いのほか調子の良かった僕はKさんの受けも良く、「このまま受かっちゃうんじゃなかろうか。となると、大急ぎで東京で一人暮らししてる彼女を見付けて、そこに転がり込まねばならん……」と、皮算用をしていた。

ワークショップ三日目ぐらいで、親睦会があった。Kさんの真ん前に陣取った僕は、自分を売り込もうと積極的に話しかけた。

「僕、Kさんのアルバムほとんど持ってます!」
「ホント!? うわー、嬉しいなぁ……。ありがとう!」
「全部ブックオフで百円で買いました!」
「……百円かぁ……。頑張って作ったのになぁ……」
オーディションは落ちた。

失意で大阪に戻って来た僕は、「劇団をクビになった」廣田(仮名)に誘われ、この芝居に参加することにした。若い夫婦の何気ない日常を描いた芝居で、僕が旦那役、つまり主役である。もう一人の主役、つまり嫁役には、しのぶ(仮名)という女の子がついた。僕とは初対面である。

しのぶは元々東京の劇団にいた。その劇団は「暗黒の宝塚」とか「耽美派アングラ」とか呼ばれていて、マニアックな人気を博していた。そういう劇団は、得てして主催の好みで女優を選ぶことが多い。その劇団の女優のパターンは「アイドル系」であり、しのぶもしっかり当てはまっていた。

そもそも、そんな「アイドル系」美人と役柄とはいえ夫婦になれるのだ。本来、大変嬉しく稽古に通うのも楽しくて楽しくてとなりそうなものだが、僕は憂鬱だった。

しのぶのことが、どうしても好きになれなかったのである。

しのぶは、どこでも服を着替えた。しのぶが「脱ぎまーす」と言って手を挙げたら、男性陣は後ろを向かねばならない。ただ鏡張りのスタジオで稽古していたので、鏡越しにしのぶの下着姿がはっきりと見えた。興奮しなかったと言えば、噓になる。男性陣は全員、真面目に演劇論を戦わせつつ、しのぶを注視していた。
僕は、興奮しながらも不愉快だった。役柄上とはいえ、仮にも僕の嫁となる女性だ。清楚でいてくれ。貞淑でいてくれ。大和撫子でいてくれよ。

どうしても許せなかったのは、しのぶが「お米を食べられない」ということだ。制作の夏子さん(仮名)が人数分買って来たほか弁を一目見たしのぶは、「私お米食べられないんです~」と、のたまった。

はああああああ……?? にっ、ぽん、じん、が米食えへんて、どういうことやねん! お前、にっぽんで生まれてにっぽんで育って来たんちゃうんか!? 今まで何食って生きて来てん! 不思議ちゃんぶりっ子も、大概にせいよ……!
夏子さんの心の声が聞こえた。笑顔を貼り付かせたまま、イラついているのがわかる。

「夏子さん! 僕が二ついただきます! ちょうど腹減ってたんすよ!」
僕は空気を読んだ。僕が二人分の弁当を詰め込んでいるのを尻目に、しのぶは、手作りの胚芽パンのサンドイッチを、優雅に頬張っていた。

****

「お前、しのぶと一回やった方がええで」
薄いレモンサワーを吞みながら、廣田が言った。
「やるって、何をやんねん?」
薄いカルピスサワーを吞みながら、僕はわかってて聞き返した。
「何をって……ほら……あれやんか……」
急に口ごもり出した。下品なのか純情なのか、どっちなんだ。

僕たちはカラオケにいた。あの頃僕たちは、なんやかんや理由をつけてはカラオケに行った。そしてなんやかんやで朝まで歌うのだった。どうせ、マトモな勤め人はひとりもいない。みんな若かったから、寝ずにバイトに行っても平気だったし、なんなら電話一本で休んだっていい。バイトだし。

作・演出の美奈さんが、椎名林檎を歌い出した。僕らと同年代、もしくはちょっと下のこの女性アーティストが、ブレイクし出した頃だった。そしてこの時代に演劇に携わっていた女性は、みんなこの巻き舌で歌う女性アーティストが好きだった。少なくとも、僕の周りでは。
「♪じぇいあーるるる新宿駅の、東口を出たるるぁあいやいや……」
見事な巻き舌で歌う美奈さんに手拍子を打ちながら、僕はさっきの廣田の言葉を反芻していた。

「一回セックスしただけで夫婦に見えるなら、苦労はせーへんよ。大体、俺にもしのぶにも、選ぶ権利ってもんがあるやろ。いや、お互いに“選んだ”から夫婦なんか。役の上とはいえ、お互いを選ばんことには話にならんよな……。選べるか、しのぶを。あの不思議ちゃんを。そもそも、しのぶは選ぶのか、俺を。いっそのこと美奈さんが『あなたたち、今夜セックスしなさい。これは演出家命令です』とか言ってくれへんかな。しのぶは美奈さんのこと尊敬してるから、『脱ぎまーす』のノリで『セックスしまーす』ってな感じで、その場で布団敷いて服脱ぎ出すんやないやろか」
酔いも手伝って、僕の思考はどんどん最低な方向に向かっていた。

次の曲は、『いなかっぺ大将』だった。
「誰!? 『いなかっぺ大将』なんか入れたの!」
みんな色めきたった。入れたのはしのぶだった。

しのぶの『いなかっぺ大将』は、見事だった。こぶし、声量、節回し、全てにおいて素人の域ではない。その堂々たる歌いっぷりからは、いつもの不思議ちゃんな雰囲気は消え失せていた。

「やっぱり民謡やってたから、しのぶの歌はいいよね~」

美奈さんが言った。民謡をやってたのか。ではしのぶは、ろうそくの火を消さずに歌ったり出来るんだな。いつか見たコマーシャルを思い出した。引き続き、『天城越え』を情感たっぷりに歌い上げるに至って、だんだんしのぶが眩しく見えてきた。若い頃の石川さゆりに見えてきた。僕の中では、若い頃の石川さゆりこそが、大和撫子であり、日本美人の象徴であった。

僕の中でしのぶという存在が、「鬱陶しい不思議ちゃん」から「日本美人の象徴」へと、180度変化した。単純過ぎる自分を、可愛くすら思う。
「この大和撫子が、俺の嫁なんやなぁ……」
いい加減酔っぱらっていた僕は、幸せな気持ちでソファーに沈み込み、眠りに落ちて行った。

北京やらベルリンやら言ってる歌声で、目が覚めた。美奈さんとしのぶが、パフィーを歌っているようだ。廣田も夏子さんも、もう既に帰ったようだった。気持ち良くパフィーを歌い上げた美奈さんは、「トイレ、トイレ」と言いながら出て行った。

しのぶと二人になった。なぜか僕は、当然のようにキスをした。と言っても、唇が触れるか触れないかのフレンチキスだ。
「俺は旦那(の役)なんだから、キスぐらい当然の権利だ」
酔っぱらっていた僕は、明らかに間違った理屈で行為に及んだが、特に拒否はされなかった。そもそも、しのぶは多分へべれけなんであった。拒否以前の問題であった。なにやら、にへにへと笑っている。
「これは、ちゃんとしたチューも出来るのではないか」
しのぶがへべれけなのをいいことに、抱き寄せてキスをしてみる。抵抗はされない。ではこのまま舌を入れて……。

がじりっ……!

頭の中で、嫌な音がした。しのぶに舌を嚙まれた。
「あがだがががが……!」
両手で口を抑えてうずくまった。口の中で、血の味が広がる。変わらずにへにへとした笑顔で、どこを見てるのかわからないまま、しのぶが語り出した。
「ハシマくん、私、もうお芝居辞めるつもりで大阪に帰って来たの。でも美奈さんに誘われてこれに出ることにしたんだけど、ホントは乗り気じゃなかったの。でも廣田くんがハシマくん連れて来て、ハシマくんと夫婦のお芝居するようになってから、俄然面白くなった。私、ハシマくんが旦那さんで良かったよ」
「……お前は、ランナのヒタ(旦那の舌)を噛みちぎるのか……」
「別にちぎれてないじゃん」
「……ちぎれてたら、ひんでる(死んでる)わ……」
「えー、それぐらいで死なないよー」
なに言うてんねん、捕らえられた隠密とかが舌嚙み切って自決するやろがいと言おうと思ったが、やめた。舌が痛いので、無駄口を叩いている余裕は無い。
「……俺がランナれ、なんれ良かったん?……」
「あのね、東京の役者さんはね、みんな自分のこと『かっこいい』と思ってるの。もちろん女優さんは、『きれい』もしくは『かわいい』って思ってる。それでみんな、『俺ってかっこいいだろ?』とか『私ってかわいいでしょ?』っていうお芝居をするの。もうそれが気持ち悪くって! それで東京でのお芝居に疲れちゃったんだけど。でもハシマくんは、全然自分のこと『かっこいい』って思ってない。それどころか、なんか屈折してて、おまけにコンプレックスも抱えてて、多分自分のこと『かっこ悪い』って思ってる。よくこんな人がお芝居やってるなって……」
「……もひかひて、悪口……?」
「褒めてるのよ! 自分のこと『かっこいい』って勘違いしてる人と結婚したくないもん」
トイレから、美奈さんが帰って来た。
「ん? なんかあったの?」
「なんでもないですよ」
「なんれもないれふ」

本番は、一週間後だった。僕たちの夫婦役は、上手くいったと思う。元々しのぶは上手い役者であり、問題は僕にあったわけだから。
本番が終わると、アンケートを読む。

「作品は面白かったのですが、旦那さん役の方の滑舌が悪くて、セリフが聞き取りにくかったです」

こんな回答が多かった。しのぶが悪い。僕は何も悪くない。

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画像:貴坊さんによる写真ACからの写真
 

 

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