(by 満島エリオ

“パプリカ”。2018年の夏にリリースされるなり話題となり、子どもたちにも大ウケ、社会現象化したこの曲を私が初めて聴いたのは、割と遅い方だったのではないかと思う。あまりにも大流行りしたものに対して、天邪鬼の私は「別に無理に聴かなくてもいいですし?」と敬遠してしまう悪癖がある。

そんなわけで、ブームが落ち着いた頃にようやく「聴いてみるか」という気になった私は、YouTubeで“パプリカ”を検索した。先に聴いたのは、米津玄師のセルフカバーの方だ。

ずいぶん味のあるイラストでアニメーションを作ったなと、動画のサムネイルを見てまず思った。まだ流行に対して斜に構えていた私は、パソコンで動画を流す横でスマホをいじり、文字通り片手間にその曲を聴いた。

――なんだ、この曲。

曲が終わる頃、私は説明しがたい感情でいっぱいになっていた。その正体を知りたくて、もう一度同じMVを再生した。今度はスマホから手を離し、動画を凝視して。

和楽器のテイストが混じる、民謡のようなメロディ。絵葉書がそのまま動き出したような水彩風の世界で跳ねまわって遊ぶ子どもたち。子どもが3人いたはずだ、と1回目のおぼろげな記憶に照らして見ていると、そのうちの赤マントをつけた少年は、どうやら人間ではないらしいことがわかる。ほか2人の子どもの家の縁側に彼が駆け込んでくるシーンがあるのだが、大人にはどうやら彼が見えていないのだ。

子どもだけが見ることのできる、不思議な男の子。

入道雲、青々とした野原、風鈴、花火。

畳みかけるような夏の映像に見入っているうちに、笑えるくらいぼろぼろ泣いていた。

なんなんだ、この曲は。

もう一度思って、今度はFoorinが歌う方のMVを見た。そこでは、5人の子どもたちが赤い民族風衣装を纏い、緑の野原の中を踊っていた。

そこにいるのは、ただの子どもではなかった。それは、懐かしさへと誘う「思い出」そのものに見えた。

そこで私は、自分の勘違いに気がついた。子どもが喜んで歌ったり踊ったりしていると聞いていたから、“パプリカ”は子ども向けの曲なんだと思っていた。でもこれは、かつて子どもだった大人のための曲なのだ。

東京で育った私に、「青葉の森」で駆け回った記憶はない。MVに出てくるような野原や大木で遊ぶような、いわゆる「原風景」的な体験もしていない。

それでも、“パプリカ”の世界に私が感じたのは「自分はここにいた」という、確かな郷愁だった。そこにあったのは、「かつて子どもだった」という、ゆるぎないルーツだったのだ。

“パプリカ”のブリッジ部分の歌詞はこうだ。

≪会いに行くよ 並木を抜けて/歌を歌って/手にはいっぱいの花を抱えて/らるらりら≫

アニメーションMVの中では、かつて少年だった青年が麦わら帽子を花でいっぱいにして、赤マントの少年と出会った大木へと歩いていく。未来から過去へ、里帰りするように。

なんてあたたかい曲なのだろうと思う。

あどけない顔をした思い出が、笑いながら手を振っている。私たちはこの曲で彼らに会いに行くのだ。「未来も明るいよ」と伝えるように、いっぱいの花を抱えて。

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米津玄師公式サイト

 

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