(by 蛙田アメコ

映画「ドラえもん のび太の新恐竜」を観に行ってきた。めっちゃくちゃに楽しかった。

本作はドラえもんの映画の一番はじめの作品、「ドラえもん のび太の恐竜」のリブート作品である。リメイクではない。ドラえもんの声が大山のぶ代さんから水田わさびさんに代替わりした年に、「のび太の恐竜」のリメイクはされている。

リメイクというのは、同じ脚本をアレンジして作り直すこと。
リブートというのは、作品の核になるアイディアは同じものの、脚本のストーリーラインからすべてイチから作り直すこと。

今回は、リブートである。
「のび太くんが恐竜の卵をふ化させて、生まれた恐竜を元の時代に帰しに行くまで」という核のアイディアをそのままに、恐竜を2匹の双子の翼竜にしたり、SF的なギミックをこらしたり……それはもう最高に面白くて、ドラえもんファンである私は大喜びをしてしまった。今回、新型コロナウィルスの流行で春休み公開予定だった本作品は夏休みの公開になったわけだが、それも逆によかった。映画ドラえもんにおけるのび太くんの冒険は、彼が小学5年生であることも影響して、そのほとんどの舞台が「夏休みに冒険に出かける」という筋書きなのである。夏休みに夏休みの映画を観るという体験は得がたい。昔は夏休みに公開していた気がするけれど、もしかしたら「クレヨンしんちゃん」とか「名探偵コナン」とか「ポケットモンスター」とかの大型子ども向け映画と公開がバッティングしないように、普段は上手く調整しているのかもしれない。

ともあれ、映画「ドラえもん のび太の新恐竜」である。
楽しかった、いや、最高に面白かったのだ。ただ、今回はリブートということもあり、脚本家の持ち味がかなり前面に出る作りだったように思う。脚本は川村元気さんで、『世界から猫が消えたなら』『億男』などのいわゆる「号泣!」という帯が巻き付けてあるベストセラーをたくさん書かれている作家さんだ。私は純真な心を失っているので、「このスローモーションで泣きを煽る演出……根性論を振りかざす流れ……川村元気だ……」という泣ける脚本を期待された作家がベストを尽くしたことに対してひねくれた感情を持ってしまった。いや、映画は面白かったのだ。けれど、その枠を超えたメタ的な何かが、大人になって、作家になった私の心の片隅にモヤモヤとわだかまっていたのである。「おら、泣け!」って言われている感じというか。その脚本そのものが嫌だというよりも、そういうことを考えてしまう自分がほとほと嫌だった。ものすごく、ものっすごく映画は面白かったのに。

さて。
当然ドラえもんを観に来るのはファミリーとお子様たちだ。大人ひとりでファミリーの間にポツネンと座っていた私は映画館においてマイノリティだった。私がそんなモヤモヤを抱いたりしているときに、映画館に押しかけた子どもたちはドラえもんの変顔にきゃっきゃと笑い、リアルな恐竜の動きに息を呑み、ティラノサウルスが出てくれば「うわ、やばい!」と歓声をあげ、映画のどんでん返しである仕掛けが明かされるともう言葉も出ないくらいに画面に食いついていた。私はそれを肌で感じながら、ああ、自分はいわゆる「老害」への第一歩を踏み出してしまっているのかもしれないなと思った。

私のなかの「のび太の恐竜」は、セル画のあの映画なのだ。どうしても。けれども、「のび太の新恐竜」で育つ子どもたちにとっては、2020年の夏の新型コロナウィルス対策で席を間引かれた映画館が、正真正銘の思い出の映画になるんだろう。それを気付かせてくれたのは、映画館にやってきた子どもの歓声で、モノを作る人間としてはあの子どもたちの歓声だけを道しるべにするべきなんだと思った。だから、私が抱いたモヤモヤはたぶん不正解で、子どもたちの感じたワクワクこそが大正解なのだ。だって、20年以上毎年毎年ドラえもんの映画を楽しみにしている中年はそりゃあドラえもんファンではあるだろうけれど、ドラえもんの映画の真のお客さんではないわけだから。

ちなみに、こんなにブツブツと色々言っておいて、映画自体はめちゃくちゃ面白かったので今週末には二回目の鑑賞に出かける予定であった。なお、「ドラえもん のび太の新恐竜」は真のお客さんではない私のような回顧に浸る大人にもちゃんと手をさしのべてくれていて、おっちゃんおばちゃんを大号泣させる嬉しいサプライズが用意されている。

ドラえもん大好き中年、チェケラである。

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(C)藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2020
映画『ドラえもん のび太の新恐竜』公式サイト

 

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