(by とら猫)
面白い。めっさ。
が、本作を“ドキュメンタリー”と呼ぶのには抵抗がある。実録として扱うには作為を感じさせる演出や、編集が、目につくからだ。トラビジネス界の大立者“タイガーキング”ことジョーの描き方も、その怨敵たるトラ保護団体の創設者キャロルの描き方も、『タイガーキング』は制作者たちの思い描いたストーリーが徐々に浮き彫りにされていくよう、意図的に(時に悪ノリぎみに)創られている部分が目立つ。
ざっくり言えば東スポ的だ。
そういうわけで、トラビジネスの闇に深く切れ込んでいくような、気骨のある展開は待っていない。『タイガーキング』はあくまでも、エゴの塊のような人間たちの醜悪な争いや、腹のさぐり合いを、これまたくせ者ぞろいの関係者たちの証言を交えて多面的に描いていく、露悪のストリップのような俗っぽいエンタメである。
それが良いか悪いかは別として、面白いのは確かだ。
おかげで深刻な社会問題(なんと野生のトラの生息数より、米国で飼育下にあるトラの数のほうが多い)を取り扱っていながら、喉ごしが良い。重苦しくない。巣ごもりが続いて倦んでいる頭をリフレッシュさせるには、なるほどぴったりの作品かもしれない。愛くるしい子トラもたくさん登場する。
何より、登場人物が揃いも揃って強烈だ。主人公のジョーはマレットヘア(世界一ダサい髪型と呼ばれる)にカウボーイルックで決め、カントリーアルバムまで(ゴーストシンガーを使って)出している。現在は殺人教唆などの罪により22年の実刑判決を受け、服役中。“ビッグ・キャット・レスキュー”の代表者キャロルは、ヒッピー風の格好を好み、莫大な遺産を独り占めするために元夫を殺害した(そしてトラに食わせた)疑いをかけられている。他にも若い娘たちを囲い、洗脳して、カルトの教祖のように君臨する希少動物ブリーダーも登場する。
彼らの放つ言葉もまた、強烈である。例えば、あるブリーダーは笑いながらこう言う。
「絶滅しそうなら増やせばいいのさ」
確かにそうだ。筋は通っている。問題を難しくしているのは社会や制度だと言わんばかりのシニカルさも、ちょっと胸がすく。もちろん、彼らはトラという種を守るためでなく、子トラを見せ物にして儲けるために繁殖させているわけで、それが後から付け足された方便に過ぎないことは明白なのだが。
『タイガーキング』のメインキャラたちは、こういった白々しい正当化を、息を吐くように口にする。それでも彼らの周りに人が集まってくるのは、皆が皆、発言の裏にある文脈を汲み取ろうとするわけではないからだ。それに一見物事の本質を捉えているような、こうしたシンプルで力強い主張には、つい自分も口にして訴えたくなる危険な魅力がある。手っ取りばやく、いっぱしの首唱者になれるから。きちんと精査されていない論説がソーシャルメディアに溢れているのと、たぶん根っこは似ている気がする。
冗談のような話だが、ジョーはなんと大統領選や知事選にも出馬して、むろん負けはするものの、それなりの票を集めてみせる。体制を嫌い、複雑な問題をわかりやすい怒りに置き換えて民衆に届けるのが巧いジョーは、天性のマニピュレーターであろう。
『タイガーキング』は元々7回で完結するシリーズだったが、本編終了後に後日談のような、登場人物へのインタビュー集が放映された。面白いのは、ここではシリーズ本編のような作為性がほとんど見られず、人々の発言をそのまま映し出していることだ。
そしてこのインタビュー集は、米国のトラビジネスに対して問題を提起するという、本編のトーンから考えたら取って付けた感たっぷりの、殊勝なメッセージで締めくくられる。
まるで悪ふざけが過ぎた子供が、全校生徒の前で反省文を読んでいるかのようなエンディング。制作陣が本気でトラのことを思ってこの後日談を作ったのか、その陰でゲラゲラ笑っているのかはまったく読めない。
ちなみに『タイガーキング』はドラマシリーズ化が決まったそうだ。ジョーに扮するのはニコラス・ケイジ。これしかないという、すでにもうメタジョークのような配役である。
いずれにせよ、トラたちをさんざん食い物にしてきたジョーは今後、同じくらい凶暴なメディアの食い物にされていく運命にあるようだ。
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(c) Netflix
『タイガーキング: ブリーダーは虎より強者?!』紹介ページ