(by 蛙田アメコ)
冬が好きだ。
無邪気にそう言えるのは、雪と無縁の地域で生まれ育った人間であるという証左だそうだ。重く閉ざされた雪に、春になれば消え去る雪「ごとき」に生活を脅かされる日々を想像すると、なるほどそうだと納得する。雪国の冬は好きとか嫌いとかじゃなくて、季節という名の定例災害の一種なのだろう。たまったものじゃない。
それでも、ごくごく呑気に冬が好きだ。呑気、ではないかもしれない。ひどく切実に、冬が好きだ。理由はたったひとつだけ。「許されている気がするから」だ。
そう、冬は、許される――許されている気がする、季節だ。この感覚は、肌で「わかる」人とサッパリわからない人がいるだろう。冬は日照時間の関係で鬱々とした気分が加速してしまうので苦手、という人もいる。冒頭に挙げた雪国の冬なんて、好きだのなんだのと呑気のことを言っていられないのだろうな……と想像する。
許されている、とはどういうことか。それは拾い上げてみればくだらない理由で、たとえば「洗濯が終わった洗濯物を放置していても嫌なニオイが発生しない」だとか「夏にはハツラツとしていた人も寒さで俯いて歩いている」だとか「1日シャンプーをサボっても髪がべとべとにならない」とか「作ったカレーを三日くらい冷蔵庫に入れなくても腐らない」とか(これは危険行為であることは、免責のため付記しておく)、……とにかく、そういったことだ。寒さは、私のどうしようもないだらしなさを少しだけ周囲とならして、平坦にしてくれる。
春は、生命の芽吹きにワクワクしなくてはいけない気がして苦手だ。
夏はみんながアクティブに人生を楽しもうというレジャーの季節で苦手だ。
秋はすこしはマシ。読書とか映画とか美味しいものを食べるとか、そういう文化的かつインドアな趣味が「●●の秋」という曖昧な大義名分のもとに大っぴらに楽しめるのでいい。学生時代、黒板の片隅に大きいようで小さい文字で「秋の読書週間」と書かれているのはちょっと気分がよかった。そのかわり、文化祭とか体育祭とかそういうハレの日もこの季節にあるのは、ちょっと苦手。
冬は、全部が停滞する季節だ。ヒトの活動も黴菌の活動も、寒さに凍えて縮こまって、家の中でただただやってくるはずの春を待っている。クリスマスという年間で一番煌びやかな行事が真冬にあるのは、きっと春を待ち望む人たちが肩を寄せ合ってちょっぴりの贅沢をするためなのかもしれない。恋人たちのためのクリスマス、という画一的な在り方はちょっと平成っぽくて、令和のクリスマスは気の合う友人たちと楽しく過ごす日に姿を変えているような気がする。クリスマスには毎年、六畳一間のアパートに集まってたこ焼きクルクルするとか。
冬は、好きだ。
少しだらしないことが、活発ではないことが、世界に許されている気がするから。
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