【名画再訪】『タイタニック』に見る、“死”を前にした乗客の人間ドラマ~私たちはその一人になる~

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(by 安藤エヌ

人生のうちでベスト5に入る映画は?と訊かれたら、私は『タイタニック』をその中に挙げる。いつまでも永遠に私の心の中に残り続ける、切なくも痛ましい、忘れ得ぬ記憶として心臓に刻みつけられる名作だ。

人生で大切な映画というのは、初見から二度目、三度目と時間を空けて観るのが望ましい。その折々でまったく違った見方が出来たり、その素晴らしさを噛みしめるように再確認することが出来るからだ。

先日、『タイタニック』を観返した。数年ぶりだろうか、久しぶりに観た本作は私の心をこれでもかと揺さぶった。情事シーンでは無知ゆえに意味が分からなかった少女の頃、それでも彼の持つ美の尊さだけは理解出来たジャックことレオナルドディカプリオの青年美。フィルムの中では永遠に健在で、不変となった時の中で閉じ込められた美しさに大人になってからふたたび唸る。ケイト・ウィンスレットの気高くも芯の強い、優しい微笑もそのままに、食い入るように観た映像の中で確かに彼らは、タイタニック号の乗客達は息をしていた。

虚飾のない圧倒的な描写力で目の前に迫ってくるタイタニック号沈没の瞬間は、いつ見ても目を見張るほどの素晴らしさをもってして私たちに訴えかけてくる。

「人は死ぬことが分かった時、その瞬間までどんな行動を取るのか」。私がなぜ、この映画を特別だと思っているのか――それは本作がジャックとローズの身分差違いの恋を主軸に描きながらも、タイタニック号に乗船している乗客一人一人にフォーカスを当て、彼らが沈没までのわずかな時間に取る行動で「人生」を表現しようとしているからだ。

海水が濁流となり押し寄せてくる客室の中でベッドに横たわり寄り添い合う老夫婦。
船を設計した男性は船とともに沈む決意をジャックらに告げる。
逃げ惑う乗客の中で、最後まで楽器を離さず演奏し続けたカルテット。
徐々に傾いていく船体の中、聖書を読み上げる神父と彼の手を命綱のように握る乗客。

タイタニック号、というひとつの舞台上で、様々な人間群像劇が描かれる沈没までのシーンは、「死がすぐそこまで迫ってきている人間の究極のリアル」を描き出していて、また、それぞれが諦め・縋り・求め・祈るものが違うことにより奥深い人間ドラマを生み出している演出といえる。

私はきっと『タイタニック』が仮にジャックとローズだけの話だったら、こんなに感情移入をしなかっただろうと思う。ドラマチックで悲劇的な恋――それも身分違いの、となると、映画としてはそれだけで成立するほどに魅力的だし、主演のふたりは隙がないほどに美しく、スクリーンを恍惚とした目で見つめられるけど、ただそれだけで終わっていたかもしれない。

本作が「不朽の名作」と呼ばれる理由、今なお絶賛され、人々の心に残り続ける理由。それはあの場所にいた全員の人生にスポットライトを当てたことにより、フィルムの向こう、実際の映画世界を想像させる厚みをもたらしたことによるだろうと感じている。

誰もが主人公になれるドラマを包含しているからこそ、私たち観客もまるでタイタニック号の乗客だと錯覚するほどのリアルを手に入れ、映画に没入することが出来る。

その中のひとりとして、最後のエンディングでのジャックとローズを見届けるのだ。あのシーンは、まさにそういうことなのではないかと思う。

観客と映画のボーダーを無くし、映画の素晴らしさを教えてくれた『タイタニック』は、今もこれからも映画を愛する人たちの心に刻みつけられ、忘れられない作品となるだろう。心の底から愛する映画として、私が作中のローズのように想いを胸に抱いたまま年老いても、必ず観返す人生の一本として掲げておきたい。

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 (C) 1997 Twentieth Century Fox Film Corporation and Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
映画『タイタニック』allcinema紹介ページ

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この記事を書いた人

安藤エヌのアバター 安藤エヌ カルチャーライター

日芸文芸学科卒のカルチャーライター。現在は主に映画のレビューやコラム、エッセイを執筆。推している洋画俳優の魅力を綴った『スクリーンで君が観たい』を連載中。
写真/映画/音楽/漫画/文芸