【エッセイ】バイクに乗るってことは人生に“責任”とるってことなのかもしれない

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(by 蛙田アメコ

オートバイのいいところは、一人乗りだってところだ。

サイドカーやタンデムシートをつけなければ、オートバイはひとりしかその背中に乗せてはくれない。それって、かなり痛快だ。

本当は私たちは毎日、自分の(あるいは他人の)生き死にに「責任」を負って生きていることになっている。そういうていで、現代社会は回っている。私はずっと、そのことを忘れていたみたいだ。

小学校の頃から繰り返し聞いている「責任感」という言葉が大嫌いだった。特にあの「責任感」とかいう言葉は、基本的には思い通りにならなかった他人を糾弾するために使われているものだ。

例えば担当教師は「このクラスのみなさんには、責任感がないのですか!」と上手く行くはずもない三十人もの児童の管理責任(ここにも責任だ!)に押しつぶされそうになりながら目をつり上げていたものだ。

「うるさいなぁ。だって学校なんて本当は来たくないし。行事だって参加したくもないし。責任って、いったい何だ。実態がない言葉だなぁ」

みたいなことを思っていた。最悪である。自分の担当生徒にこんなやつがいたら今すぐ消えてほしいと切に願う。ろくな大人にはならん。

当然、成長した今もろくな大人ではなく、今でも究極的には自分が責任を負うべきことなど存在していないと信じて疑わないタイプの人間のままだ。

かっちょいい覚悟とか。
背負うもののある強さとか。
そういうの、正直よくわかっていない。

だから、自ら進んで「責任」を追加注文するのは好みじゃなかった。結婚も、昇進も、あるいは、絶対にしたくないと思っていた出産もだ。そういう「責任」の二文字と併記されることのあるものは、なるべく避けて生きてきたように思う。別段それで困っていなかったし。重ねて最悪である。

さて。そんな私が先日、ある大きな買い物をした。
スーパーカブ110。型番はJA44。

原付二種、ミニバイク、色々な呼ばれ方をしているけれど、ようするにオートバイだ。お蕎麦屋さんや銀行マンがビジネスで乗っているスーパーカブと同型ながら、眩しい黄色や丸めのライトが可愛い人気の車種。アニメ『スーパーカブ』がきっかけで一目惚れをして、免許を取ってやっとこさ納車したお気に入りだ。嬉しくて、毎日あちこち乗り回している。

休日にふと思い立って、山奥のダムに行ける。
早朝に田んぼ道まで朝日を見に行くこともできる。
往復のガソリン代700円で富士山の麓にあるキャンプ場にだって行ける。
実家から電車で10分の羽田空港も、ターミナルへ続くワインディングやトンネルをすいすい走って違う景色を楽しめる。
それも、全部日帰りで。

オートバイに乗るということは、終電にも乗り換え時間にも、電車内での静かな席取り合戦にも患わされずにどこにだっていける自由を楽しむことらしい。スーパーカブという小さなオートバイでもそれは充分に楽しめるし、むしろ世界で一番乗られている(生産台数1億台だ)スーパーカブだからこそ、街中の細い道や裏通りにもそっと入っていくことができる。

暮らしがすっかり変わった。レジャーも買い物もとんでもなく選択肢が広がった。10キロ先の業務スーパーで激安冷凍食品を買いだめすることだってできるようになってしまった。エンゲル係数が下がり、食生活は豊かになり、ダイエットは困難を極めるようになった。とても楽しいことだ。

そしてもうひとつ。

あれほど遠ざけていた「責任」というものをスーパーカブは連れてきてしまった。生身がむき出しのまま時速60キロで走るのだから、転べばよくて大怪我、悪ければ死亡。自分の命に責任を負っていることを、嫌でも思い知らされる。それだけではない。カブの小さなエンジン音やヘッドライトは歩行者からも見落とされがちで、植え込みの影から家路を急ぐ人が飛び出してきて肝を冷やしたことが何度もある。自分の不注意ひとつで、他人の人生をめちゃくちゃにしてしまうかもしれない「責任」というのが、どうやら公道を走る人間には課されているようなのだ。こいつは参った、と私は思った。

ただ、考えてみると公道を走ることで「責任」が見えるようになっただけなのかもしれない。腐った肉は食べないとか、道に落としたキャンディを水で洗って舐めてしまうとか、そういうふうに私たちは選択を繰り返して、自分の命や健康に責任を持っている。仕事だってそう。10年以上続けている塾の先生の仕事は、人の人生を少なからず左右してしまう。

ならば、私は「責任」について考え直さなくてはいけない。学校や会社では自由を行使する際の「罰」みたいに「責任」を突きつけられる場面が多い。自由にしたいなら、責任が発生するぞ──と。それなのに、期せずして背負わされた「責任」の裏側に「自由」が隠れていることは教えてくれないのだ。

どうせ背負わねばならないのならば、その対として手にできるはずの自由を最大限に謳歌しないともったいないじゃないか。

だって、どちらにせよ自分の人生のケツは持たなくちゃいけない。自己責任という言葉が世の中にはみっちりと蔓延してて、私たちを逃してはくれない。

だったら、自分の命には責任をもっているのだと意識しながら生活していこうかと思った。誰かの車に相乗りするのではなくて、自分でエンジンをかけて、ハンドルを握って。

オートバイのいいところは、一人乗りだってことなのだから。

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画像提供 by 蛙田アメコ

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この記事を書いた人

蛙田アメコのアバター 蛙田アメコ ライトノベル作家

小説書きです。蛙が好き。落語も好き。食べることや映画も好き。最新ラノベ『突然パパになった最強ドラゴンの子育て日記〜かわいい娘、ほのぼのと人間界最強に育つ~』3巻まで発売中。既刊作のコミカライズ海外版も多数あり。アプリ『千銃士:Rhodoknight』メインシナリオ担当。個人リンク:  小説家になろう/Twitter/pixivFANBOX