【武道家シネマ塾】第4回:『キス・オブ・ザ・ドラゴン』~あの頃ジェット・リーは、もう少しでひとりのダメ人間を立ち直らせそうになった~

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(by ハシマトシヒロ

2001年。

大学まで出してもらったにもかかわらず、父親に怒鳴られ、母親に泣かれ、弟たちには白い目で見られ、「長男は元々いませんでした」という扱いを受けながらも、なんとか踏ん張っていた演劇活動も、すでにほぼ詰んでいた。

風呂無しトイレ共同で家賃一万七千円の木造アパートから、便利屋のアルバイトに出掛ける日々。その頃付き合っていた女性からは「もうお芝居やる気ないんやったら、さっさと就職したら?」と母親のようなことを言われ、アルバイトがない日はハローワークに出掛ける日々。

「あんた、選り好みしてるからいつまでたっても仕事見つからへんねん。贅沢言える立場ちゃうやろ?」

説教とも愚痴ともつかない彼女のセリフを背中で聞きながら、寝転がって発泡酒を呑む。ダメ人間の見本のような状態で、ボーっとテレビデオを見ている。ちなみにテレビデオとは、テレビとビデオデッキが一体化した夢のような機器。ただ、録画しながら裏番組を観れないという致命的な弱点があった。そのテレビデオから、公開中映画のスポットCMが流れた。

いきなり大写しのチェッキー・カリョが、不敵に「パリへようこそ」と囁く。両手にマシンガンの男と戦っているのは──「リー・リンチェイやん!」

ほぼ液状にとろけかけていた僕のテンションが、一気に上がった(リー・リンチェイが最近“ジェット・リー”というハイカラな名前に変わったことは知っていたが、まだその呼び方には抵抗があった)。

次の瞬間、ビリヤード球をジャンピング・ボレーシュートで蹴り飛ばし、二丁マシンガン男を倒したジェット・リー。そのシーンがあまりにカッコ良く、僕はテレビデオに釘付けになった。
そして、森本レオ的な、いい声のナレーション。

「この闘いに、愛などいらない。『レオン』のリュック・ベッソン最新作、『キス・オブ・ザ・ドラゴン』」

「次のリュック・ベッソンの映画、リー・リンチェイが主演みたいやで! ほんで、『ニキータ』のチェッキー・カリョも出てるみたいやで! これ絶対おもしろいやん! 観に行くぞ、明日観に行くぞ。明日に備えて早よ寝るぞ」

早よ寝た。

翌日、梅田の上映館を訪れた僕たちは、喜び勇んでパンフレットを買った。表紙は、ブリジット・フォンダを抱き上げるジェット・リー。うん。カッコいい。上段に大きな文字で、「“LUK BESSON” PRESENTS」と書かれている。そして下段には、小さな小さな文字で「A FILM BY “CHRIS NAHON”」と書かれている。

「あれ? リュック・ベッソンが監督ちゃうの? 誰なん? クリス・ナオンて……」

スポットCMに騙された。リュック・ベッソンは監督ではなかった。プロデューサーだった。「宮崎駿の映画だと思って観に来たら、監督は宮崎駿ではなく宮崎吾朗だった」ような按配である。

一気にテンションが下がり、コーラではなくビールを買った僕だったが、上映開始15分でテンションは再浮上した。

めっちゃおもしろいやん、この映画!

“巨大麻薬ルートを摘発するため、中国からパリにやって来た秘密捜査官リュウ(ジェット・リー)。しかし、リュウは腐敗したフランス警察の捜査官リチャード(チェッキー・カリョ)の罠にはまり、殺人の罪を着せられる。自らの無実を証明するため、そして同じくリチャードによって娼婦に堕とされたジェシカ(ブリジット・フォンダ)とその娘を救うため、リュウの孤独な戦いが始まる……”

当然ながら、ジェット・リーのアクションは素晴らしい。『燃えよ剣』のレビューの際に、原田眞人監督が岡田准一“師範”を指して「超一流の武芸者が俳優のふりをしているような人」と表現したことに触れた。「俳優のふりをしている超一流の武芸者」の元祖が、このジェット・リーである。

全中国武術大会を5連覇した本物の武術家が、19歳の時に『少林寺』(‘82)で俳優デビュー。

演技経験のないスポーツ選手をいきなり主演に据えるという冒険を冒すと、その作品は意図せずしてカルト的な迷作となるケースが多い。昔、『G』という有名格闘小説が映画化された。主人公は放浪の空手家。ライバルは若手プロレスラー。その主演2人を、本当に現役の空手選手とプロレスラーでキャスティングしてしまう。2人揃って喜怒哀楽すべてを常に半分怒ったような表情と、常に平板かつ投げ捨てるようなセリフ回しでこなし、結果またひとつカルト映画が生まれたのだった。

しかし、ジェット・リーは違った。デビュー作から既にその表現力は職業俳優のそれであった。若干その“あざとかわいい”笑顔に頼り過ぎではあったが、いいんだ、実際にかわいかったから。

ジェット・リーの表現力については、“組手”ではなく“表演”の選手であったことが大きい。表演とは、空手でいうところの“形試合”のことである。東京オリンピックで空手の形試合を観た方も多いと思うが、あの競技において大切なものは、“表現力”だと思われる。形の手順を正しくこなすのは当然として、他の選手に差をつける部分が“表現力”である。一流の選手の目の前にはちゃんと“仮想の敵”が実在していて、恐らくその“仮想の敵”はめちゃくちゃ強く、だからこそのあの気迫であり、あの技のキレであり、あの悲壮感なのだと思う。「この選手たちに役者をやらせてみたい」と思いながら中継を観ていたのだが、よく考えたら先駆者がいた。それがジェット・リーだ。

この映画の見どころは、身の回りにあるものをなんでも武器にしてしまう、ジェット・リーの“環境利用闘法”だ。テーブルやイスを使うのはカンフー映画では当然の作法だが、それだけではない。

熱いアイロンで相手の顔を挟む。大型乾燥機に蹴り込んで、スイッチをオンする。水切りスクイジーやデッキブラシは、当然棒術に使う。お箸は、突き刺すためのもの(冒頭、『箸は素晴らしい。フォークで突き刺して食べるのは、実に野蛮だ』という敵方のセリフがあるのだが、それを受けてのあえての“お箸突き立て”だと思われる)。

そして、この映画におけるメイン武器は、“鍼”だ。ジェット・リーは中国から来たエリート捜査官なのだが、なぜか鍼灸の心得がある。潰しが効くから良いと思う。意外に堅実だ。

戦闘中に鍼で相手のツボを突くのだが、基本的に動きを止めたり眠らせたりである。‘80年代のジャンプ漫画を読んでた世代からすると、派手に爆発して全て溶かし無惨に飛び散って欲しかったのだが、「まー、それをやったら漫画になっちゃうからね~」と、大人の納得をしながら観ていた。

しかし、そう思わせといて、ラストは見事に“漫画”だった。全て溶かし無惨に飛び散った。ジェット・リーも‘80年代ジャンプを読んでいたのだと思う。日本語訳の方も、そこは「ツボ」ではなく「経絡秘孔」と訳して欲しかった。

余談だが、柔術にも『キス・オブ・ザ・ドラゴン』という技がある。この技のフィニッシュ時の体勢と禁断の「秘孔」を突く時の体勢が似ており、かつ「わざわざこんな注文するのがちょっと恥ずかしいカクテルみたいな名前つけへんやろ~」との理由から、この映画をオマージュして生まれた技なんだと思っていた。友人たちにも豆知識として披露し、「映画にも格闘技にも精通している俺すごい」と、悦に入っていた。

当然、この原稿の初稿にも「映画にも格闘技にも精通している俺すごいでしょ! 褒めて褒めて!」なノリで、豆知識をひけらかした。

編集長からメールが届いた。どんな褒めでも受け止める準備が俺にはある。さあ来い!
「そのくだり、確かな出典はありますか?」と書かれていた。
出典? 出典もなにもそうに決まってるやん! えっ、ちがうの……?

幸い、この技の命名者とお友達という方がTwitterのフォロワーにおられて(Twitterすごい)、聞いてみた。
全然関係なかった、映画。それどころか、「下ネタ系スラング」である可能性も出てきた。
とりあえず、今までの僕の「悦」を返してもらいたい。

僕はものすごく映画の影響を受けやすい。“自分自身”というものがないのではと、時折不安になる。劇場から出た2001年の僕も、例にもれずジェット・リー化していた。

かつて人気だった吉田栄作を意識したさらさらセンター分けを、ワックスで斜めに流す髪型に変えた。そして。

「俺、自分がやりたいことがわかったわ! 俺、鍼灸師になりたい!」

そう彼女に宣言し、鍼灸師の学校のパンフレットを集めた。学校説明会にも行った。武道関係には鍼灸師も多く、いろいろ話を聞かせてもらい、その方の店でバイトさせてもらう話もつけた。そして。

一ヶ月が過ぎ、僕は相変わらず日がな発泡酒を吞んでいた。鍼灸師熱はどこかに行ってしまっていた。僕がダメ人間を脱却するには、更に2年の歳月を要するのだった。

++++
(c) K2、日本ビクター
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』映画.comページ

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この記事を書いた人

ハシマトシヒロのアバター ハシマトシヒロ 武道家ライター

武道家ときどき物書き。硬軟書き惑います。
映画/文学/格闘技