(by みくりや佐代子

「くらげ」と呼んでいたおなかの中の赤ちゃんが、第三子として誕生して約2か月。黄疸の検査で通院は続いていたものの空腹や眠気を訴える泣き声は力強さがあって、生命力のあらわれのようだった。

「新たな一員」を迎え入れたことは長男と長女の生活にも変化をもたらした。当然だが「はい!今日から5人家族!」とパズルのピースがちょうどよくハマるわけではなく、くらげを受け入れるために元々あった家族のパズルも形を変化させる必要があった。それも、1人1人がそれぞれのスピードで。

その変化が特に色濃く出たのが「朝」だった。

小学生の長男は朝が弱く、体を起こすのも朝食をとるのもスローペースで母親の私をヤキモキさせるのが常だった。けれど、くらげの誕生によりそれが一変! 速やかに支度を済ませ、時間を作ってはリビングにころんと転がっている小さな弟と戯れるようになった。

長女の場合は少しつらい変化だった。母である私と添い寝できないストレスと眠りを妨げるくらげの強烈な夜泣きによって、寝不足になってしまっている。以前までは朝からハイテンションで話し始めると止まらないほどだったのに、最近はぐずぐずと不満げな様子をみせる。

そして私の場合。くらげの誕生から、朝を二度見るようになった。

一度目の朝。それは、3時4時ごろからじわじわと白んでいく空のことだった。
くらげは朝3時に必ず一度目を覚ます。おむつ替えや授乳をして寝かしつけても、30分から1時間ごとに「う~う~」と唸る。すぐに落ち着けば「寝言のようなものだな」と放っておき、激しくなるようなら抱き上げる。

そうした選択を30分ごとにしていたら、いつのまにか出窓から見える空が白く、明るくなってゆく。「朝だ」。そこで私はいつも、朝は突然現れるものではなく夜が徐々に姿を変えたものなのだと気づかされる。

この一度目の朝は、新鮮ではあるが見覚えがあった。
学生時代、朝3時までのバイトを終えた後。仲間と連れ立って24時間営業の牛丼屋へ寄り、アパートに帰宅して6畳の自室に寝転ぶと、窓から見えるのが同じ白色の空だった。「今日も一日が終わる」、ぼんやりと考えながら眠りにつく朝。私はくらげの誕生を通して、この朝に再び出会ったのだった。

二度目の朝。それは、7時20分にベランダから受ける風のことだった。
子供たちを小学校へ送り出した後、毎朝くらげを抱いてベランダから外を眺める。そこから近辺の子供たちが登校するのが見えるのだ。

長男と長女は、それぞれ1人で歩いている日もあれば2人じゃれあっている日も、親しいお友達と合流している日もある。
光と風を真正面から浴びながら、小学生の群れの中に我が子のランドセルを探す時。もうこれが強烈に朝だった。

会社員時代は朝を肌で感じることはなかった。時間に追われながら子供らを車に乗せ、保育園に預けたらバスに乗り換えて出勤する日々。慌ただしい日々を思い返すたび、後悔に押しつぶされそうになる。どうして子供の様子をもっと見てやれなかったのか。園の駐車場のフェンスにしがみつく姿はどんなふうだったか。

朝を感じる余裕のない生活が長すぎたために、今こうして、ベランダから我が子のランドセルを探していることが不思議に思う。頬に風を受けて、腕の中に小さな命を抱いて。「朝だ」。こんな気持ちは今まで知らなかった。私はこの夏、初めての朝を見つけた。

私はこうして毎日、朝を二度迎えている。

そしてこの朝も、いつかは必ず見えなくなる。だから余計大切に感じて、今日も明日も記憶に焼き付けるように二つの朝を数えるのだろう。

朝の種類はいくつあるのだろう。行き交う人々をベランダから見下ろす時、そんなことを考えた。人はみなそれぞれの朝を持っていて、生活が変われば朝も変わる。
きっと私の知らない朝が数年先、数十年先に私を待っている。

「お兄ちゃん、行っちゃったねえ。お姉ちゃんも行っちゃったねえ」

顔を覗き込んで語りかけると、くらげは私の顔をじっと見ている。そろそろ視力も発達してくる頃だろうか。くらげの瞳に私の顔が映る。

「睡眠のリズムを赤ちゃんに習得させるため午前中はなるべく窓際で過ごすといいよ」と教わった。くらげの世界はまだ3時間ごとに回っている。昼も夜も区別ないその世界に、くらげは不安なのか私の服の袖をぎゅっと握る癖がついた。

「明るいでしょう。これが朝だよ」

私はくらげに朝を教える。遮光カーテンを突き抜ける細やかな光。くらげは眩しそうに目を開いたり閉じたりして、少しずつ朝を覚える。

(了)

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画像:すかぴさんによる写真ACからの写真


 

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