【映画レビュー】『街の上で』が描き出す夢の終着駅、安らぎの下北沢。

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(by すなくじら

お気に入りのスニーカーの靴紐を結び、古びたアパートのドアを閉める。キィと情けない音が周囲に響いて、白い陽の光が目に染みた。

わたしの母は一人暮らしの相棒であるこのアパートを「女の子が住む物件ではない」と称しているけれど、わたしはそこそこ、今住んでいる物件が気に入っている。6畳のワンルーム、オートロックのないユニットバスだって、住めば都とはまさにこのことだ。それに何より、このアパートに決めた最大の理由は「この土地に立っているだけ」ですでに果たされているのだから。

家から徒歩5分、下北沢の駅前は今日も騒がしい。駅前で開かれるフリーマーケット、休日のデートを楽しむカップル、改装が終わったオオゼキ、知らない誰かの夢が詰まった弾き語り。自分に才能があると信じてやまない彼らは、ほんとうは自分が握っているものが才能ではなく執着であることに気がつき始めている。

それはわたしも同じかもしれない。それでも、下北の街の平和で長閑な空気が、その痛みを柔らかな光の中へと還してくれるから、わたしはまだ生きていける。生きたいと強く思える。

--誰も見ることはないけれど、確かにここに存在している。

『愛がなんだ』で話題となった今泉力哉監督が、下北オールロケで制作に臨んだ映画『街の上で』。古着屋で働く主人公の青の生活範囲は非常に狭く、下北を出ることはほとんどない。『街の上で』はそんな青と、彼を巡る4人の女性たちの出会いを描いた恋愛群像劇だ。

恋人に振られること。好きな本屋があること。行きつけの店でお酒を飲むこと。ライブに行くこと。そして、新しい誰かと出逢うこと。

青の生活は映画のそれとは思えないくらいに、わたしたちの日常をクローズアップした物語に思える。激しすぎる恋や命を懸けた決断の数々で彩られた人生ではなく淡々と流れる穏やかな時間が、わたしたちを優しく包み込む、そんな映画だ。

わたしはどうしても、一人暮らしをするなら下北に住みたかった。家は正直屋根さえ付いていれば大きなこだわりはなく(年頃の女の一人暮らしとは思えない危機感の無さである)、今の家は家賃とアパートの名前に「下北沢」の3文字が含まれていることが決め手であった。アパート名に下北沢と書いてあれば、下北に住んでいると正式に称することができる、それで十分だった。

わたしは下北で泣いたり、笑ったり、恋をしたり、夢を語ったり、その夢に絶望感を抱きながら、いつの間にか大人になった。下北で触れたカルチャーや出逢った人たちの意思の名残りが、少しずつ積み重なって、気づけば今のわたしを模っていた。思い返せばこの場所でたくさんの人を傷つけたし、傷つけられた。それでも不完全燃焼のまま、ずるずると生きる日々さえそこにはちゃんと日常があって、生身の人間の愛があった。愛という言葉を使うと途端に陳腐に聞こえるかもしれないけれど、紛いもない、きちんと痛みを伴う真心のやりとりがあった、その事実。

誰も見ることはないけれど、確かにそこに存在している。青の生活は決して派手な冒険譚ではないけれど、わたしたちを本当の意味で助けてくれる純美な記憶の破片を捕らえて離さない。朝のイハの気の抜けた横顔や、田辺の見せた報われない涙に、記憶の中の大切な箱の蓋がゆっくりと開いていく音が聞こえた。記憶の海を深く潜り、目を瞑る。わたしの瞼の裏に焼きついた、一番美しい映像は、下北の駅すぐ、お気に入りのカフェのオレンジの灯の下で揺れる親友の艶やかな金髪。

映画を見終わったあと、明日になれば忘れてしまうような、取るに足らない一瞬を切り取った、『街の上で』というスクラップブックを読み終えた気持ちになった。そして同時に、もうきっともうすでにはるか遠く忘れてしまった自らの記憶を残念に思った。こんなに素晴らしい日常を、そう、素晴らしいからこそ覚えていられない。楽しい記憶や平和な日々だけを記憶していたいのに、人間の脳のつくりは不都合だらけだ。だからわたしたちは感情の上澄みを掬って、フィクションに重ねて何度でも思い出す。自分の力だけで鮮明に思い描けなくても、青と4人の女の子たちが、いつでも手を差し伸べてくれるのだから。

下北沢に集う旅人たちが語る希望は、やすやす夢から現実へと脱皮できるほど甘くない。その度に痛みをアルコールで流して、虚像の自分をいつか本物にできる日に向けて、また夢を語る。夢の痛みを夢で隠して、なんとか明日へと向き合う大きな子どもたちを、街は今日も静かに見守っている。

街の上で紡いだ、継ぎ接ぎだらけのわたしたち言葉が夢ではなくなる日まで。

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(C)「街の上で」フィルムパートナーズ
『街の上で』映画.comページ

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この記事を書いた人

本や映画のコラムを書きながら、日々の生きづらさをエッセイに昇華しています。Twitternoteも。