【エッセイ】12月16日。ほくろを取った。

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(by みくりや佐代子

2020年12月16日。天気、曇りのち雪。仕事、休み。こんな繁忙期に一律の平日休みである。

休みは多いにこしたことはないが、いったい誰の都合でこの日に定まっているのだろうと考えると、働き方改革という耳障りのいい言葉に、名前も知らない大きな者の怪しい目論見が隠されているような不自然さを覚える。

朝9時半。バス停でふと顔を上げると、コンクリートの道路に魚が落ちていた。なにも読み間違えではない。魚だ。みなのよく知る、あの「魚」。あれを見て、昨晩の夕飯を思い出す人もいるんじゃないだろうか。私の夕飯はハンバーグだったけど。

本日の予定。ほくろを取る。チャームポイントだと思っていた頬のほくろが、20代後半から膨らむように大きくなってきていた。そんな折に職場の隣のデスクのお姉さんが「ほくろを取った」とタイムリーな話をしてきたので、どこで取れるんですか、いくらかかるんですかと質問攻めにしたが最後、気づいたらホットペーパービューティーから美容外科の予約を取っていた。

元々、こうと決めたらセルフオピニオンしか受け付けずに行動するたちで、夫にも親にも、ほくろを取る相談を全く持ちかけなかった。

唯一話した旧友、それもたまたまその時期に連絡が来たから話しただけなのだけど、その彼女にも「ほくろ?あったっけ?」と言われる始末で、私はこれから1万円を払って肌を削ってそれがどんな未来をもたらすのかなど全く誰にも言い張れぬまま、その程度の覚悟で、バスに揺られていた。

隣に座っていた年配の女性が、ぱっと小ぶりなコンパクトを開いて、マスクを取ってファンデーションを始めた。その時の私が漫画だったら、金田一少年の事件簿さながら「!?」という吹き出しが出ていたに違いない。

道路の魚に、無作法なマダム。私の人生に危害こそ及ぼさないが、一度目に留まるとそれ以降気になってそわそわしてしまう。まったく左頬のほくろと同じである。

バスを降りて、ふと思い立ち父方の祖母に電話をかけた。けれどコール音が一定のテンポで続くだけで誰も出やしなかった。
私は父と仲が良く、父方の祖父母とも仲が良い。祖父は残念なことに私の29歳の誕生日に亡くなってしまったのだけど。

私の声を聞くと喜ぶだろうと思ったのにな。仕方なく電話を切って、父に「おばあちゃんってまだ入院中?」とラインを送った。もう高齢な祖母は入退院を頻繁に繰り返しているから、正直なところ「今どっちなのか」がいつも把握できないのだった。



午前10時。初診カウンセリングはウェブで済ませてきたから全てがスピーディーに進んでいき、ほくろの大きさを定規で測られて(4ミリだった)、あれよあれよという間に手術台の上にいた。

「ちくっとしますよ」という女性医師の可愛らしい声と共に頬に麻酔が打たれる。痛い。刺した瞬間よりも、ぐーっと何かが肌の内側に注ぎ込まれる瞬間が痛い。それから可愛らしい声は「削っていきますね」と続き、じりじりという音と共に何かが焦げ付く匂いが広がっていった。

施術はほんの10分程度で終わり、「ご確認をどうぞ」を手鏡を渡される。

手鏡に映るのは見慣れた顔と、中心部がぽっこり丸く凹んだ頬。なくなった。あの黒い丸。32年間そこにあったものが、たった10分で、私の意思で。

それから傷口を軟膏で埋めテープでふさいでもらい、当たり前のように術後用のコンシーラーを買わされ、クリニックを出たのが午前11時。スマホに目をやると父からラインがあった。「おばあちゃんは退院しているよ。デイサービスの日じゃけえ16時以降にかけてあげてね」。

せっかくの休みなので一人でランチでもして帰ろうかとも思ったものの、ただでさえ感染症拡大が叫ばれるこのご時世、おとなしく帰路につくことにした。

帰りのバス、身を乗り出すようにして窓の外を覗き込み道路を見渡したけれど、さすがに魚は、そしてハンバーグも、落ちてはいなかった。



夜5時。鶏肉とキャベツを雑にフライパンに入れて、その上にトマト缶をどぼどぼ流し込んで、控えめな火力で煮込みながら祖母に再度電話をかけた。今度はすぐに出た。スマホを左肩に挟み、あ~久しぶり~元気?と尋ねる。

「こないだはありがとうね」

「ありがとう」というのは私の息子のことだ。先日、父が祖母のお見舞いに行くと言い、その日バスケットボールスクールが急きょ休みになって暇そうにしていたうちの息子が駆り出された。あいにく私は別の用事があり夫と娘と過ごしたのだけど、息子はとても嬉しそうに祖母の病院へ出向いた。

祖母は相当感激したようで、これでもかというほどに息子のことをベタ褒めした。おばあちゃん、言い過ぎよ。私はそう笑いながらも、うんうんと、話に付き合った。

ふと、何の気なしに尋ねてみた。
「ひ孫は、かわいい?」
すると祖母からこう返ってきた。
「ひ孫は、孫に似とるけえ、かわいいよ」

そうか、孫に、私に似とるけえか。思いがけず胸を突かれ、不覚にもじわじわと涙が瞳の表面までせりあがった。

おばあちゃん、私もう32歳じゃわいね。かわいいゆう年齢じゃないんよ。年に一度しか顔を見んくなった私を、気まぐれにしか電話かけてこん私を、いつまでも愛しすぎなんじゃあるまいね。そうよ私、今日ほくろがなくなったけど、おばあちゃん、きっとそれにも気づかんね。

電話を切ってからフライパンに蓋を乗せ、鏡を見た。茶色い保護テープが頬の穴ぼこを隠している。明日も明後日もマスクで隠すそこには、誰も知らない、誰にも影響を与えない「跡」がある。

明日からは、この顔を愛すのだ。穴の空いた顔を、不完全な頬を。

今日、4ミリの細胞を失った私。そしてまた再生する私。いつまでも私は私を循環させていく。
もしもこの先心に穴が空いても、それすら軟膏を塗って保護テープで塞いで、それもまた、まるっと愛すのだ。何度だってそうやって生きていくのだ。

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