【フリーに生きる】第5回:システム開発者・ゆきうさぎの場合〜選択できることのメリット〜

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(by ゆきうさぎ

とあるIT企業の『会社員』を辞めて『フリーランス』となり、かれこれ5年が経過した。会社には10年ほど勤めていたため、3分の1をフリーランスとして過ごしたこととなる。早いものである。

なぜ10年もやっていた『会社員』を辞めたのか?

理由はいくつかあるが、その一つに『会社が求めていること』と『自分がやりたいこと』と主張が異なっていたからだ。

会社は「マネージャーとして人を使って利益をあげる人材になって欲しい」。
私は「技術者としてプロジェクトをリードし、貢献したい」。

自身の主張は胸のうちにくすぶっていただけのものではない。もちろん上司にも伝えている。しかし互いの主張は平行線。上司からの「今後、評価(給与)は下がるが文句はないな」。この一言がフリーランスになる決定打となった。

妻も息子もいる身としてコネがあるわけでもなく、すぐに仕事が見つかる保証もない。そういった状況でフリーランスで生きるという選択は当然歓迎されるものではなかった。

「ダメもとで2年やらせてくれ、ダメだったら会社員に戻る」

この条件で渋々了解を得られた。

「フリーランスで失敗したら会社員に戻れば良い」という考えの私にとって、フリーランスとは「チャレンジ」ではなく「休息」という位置付けであった。実際に開業届けを提出するまでの半年ほどはニートをしていた。

フリーランスとして、なんとか仕事をもらえ、積み重ねていくうちにいくつかわかった点がある。『フリーで生きる』というテーマにも関連するため、その一部をここで紹介させて欲しい。

1点目
会社勤めの頃、あれだけ求められていた『マネージャー』というポジションは求められなくなった。一人の技術者として契約するため「人や予算を管理する」という仕事を求められなくなるのは当然といえば当然である。

2点目
会社勤めの頃と比べ、技術者として『プロジェクトをリードする機会はぐっと減った』。近年、どの会社も技術者の育成、採用に力を入れている。技術的に価値のある仕事は社員へ依頼する。また、プロジェクトをリードするということは当然責任が発生する。フリーランスにそこまでの責任を負わせる会社も少ない。

3点目
フリーランスだからと言って働く場所に『自由』はない。仕事内容次第かと思うが、私がこれまで従事した仕事はセキュリティの関係で作業場所はお客様先で行うことがほとんどだった。COVID-19(新型コロナウィルス)の流行により、リモートワークが推進されてきたため、状況は変わってきているが、当時「フリーランス=ノマドワーカー」と思っていた私にとっては衝撃であった。

4点目
『仕事は選ぶことができる』ことを知った。これが私の仕事へのあり方を大きく変えた。

会社勤めの頃は、会社として受注した仕事を「お断りする」「契約を継続しない」という選択は基本できなかった。また、仕事を調整して『長期休暇を取る』ということもできなかった。長期休暇は「休職しなければならない」や「無職になった」時にしか取れないものだと思っていた。

今考えれば、会社と相談して長期休暇を取るという選択肢もあったのかもしれない。
しかし当時は『有給は病気をした時のために使わずにとっておくもの』と思っていたため(上司がそういった考えだった)、有給を活用してロングバーションを楽しもうという考えは浮かんでこなかった。

私のフリーランスライフは思ったほどフリーではない。

契約があり、作業場所の指定があり、納期があり、品質も保証しなくてはならない。
まして、自分のやりたいことが実現できているか?と言われたら必ずしも実現できていない。これはIT業界だけではなく、他の業種にも当てはまる部分があるのではないかと思う。

しかし、今の私は『仕事を選ぶ』ことができる。『休み』を調整することができる。
その選択肢があることこそ「フリーに生きる」ということではないかと思う。

今後、超少子高齢化が進み、定年が70歳になると、あと30年以上仕事をしなければならない。そう考えるとゾッとする。

まだ30年以上も仕事をするのだから、「実入りの少ない仕事はしない」そして「休む」という「選択肢」を行使してもよいと考えている。

人生を豊かにするなら選択肢が多いに越したことはない。『フリーに生きる』というのは選択肢を増やし、人生を豊かにする一つの生き方なのではないかと私は思う。

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この記事を書いた人

社畜とフリーランスの狭間で生きる、システム屋。モットーは「フリーランスだけど社畜より社畜らしく」。