新品の、まだ1枚も撮っていないインスタントカメラ。今日はこれがないと始まらない。絶対に持って行って、遺さなければならない光景がある。
その日、私は東京・錦糸町に住んでいる祖母と叔父に会いに行く約束をしていた。一週間前、叔父から「祖母の介護レベルが上がった」との連絡が来たからだ。
「もうかなりボケてきちゃってね。まだ憶えているうちに、会えるうちに会ってほしい」
報せを受けて、私はふたりに会いに行くことにした。そこにはひとつの決心があった。フィルムカメラで祖母と私の写真を撮ろう。家の周りの写真や、近所の公園の写真も。そう思い、カメラ屋に行ってフィルムを探したが見当たらない。店員に聞くと、入荷未定だという。フィルム市場はじわじわと撤退しつつあり、手に入りにくくなっていたのだ。
フィルム写真の持つ風合いとなつかしさに惹かれ愛用していた私は、時の流れの寂しさを感じたと同時に、固い決心に結びついた。デジタルの写真ではなく、アナログの、日付が印字されるフィルムで、祖母と彼女の周りの光景を記録に残しておこうと。
そして、しっかりとカメラを鞄に収めたのを確認し外に出る。白んだ太陽の光が眩しい。電車に乗り、錦糸町へ向かう。途中、幼い頃から祖母とよく買いに行っていた団子屋が開いているのを見かけ、あんこといそべを2本ずつ、母への手土産として買う。
錦糸公園を歩く。私が小さかった頃は木製の質素な遊具しかなかったが、今やすっかり様変わりして、道も広く舗装されている。両側に植わった木が色づいた葉を揺らし、男の子が舞い散る落ち葉を掴もうと駆けている。
この光景も、遺しておこう。
私は鞄からカメラを取り出し、1枚、写真を撮った。そのまま歩き出す。ただ粛々と、静かにシャッターを切る。秋の空気を吸い込んで、再び足を前へ踏み出した。

少し歩いて、祖母の家の前の路地にたどり着く。ここも昔は砂利道だった。野良猫に買ってきた缶詰をやったり、手持ち花火をしたり、今は亡き祖父が植木の手入れをするのを見つめていた路地。
写真を、撮る。コンクリートになったその道には、昔と変わらない穏やかな風が吹いていた。
「会いに来たよ、おばあちゃん」
迎え出てくれた叔父に挨拶をし、座椅子に横たわる祖母の顔を覗き込んで声をかける。祖母は眠たそうな目を開け、私の名前を呼んでくれた。
「叔父ちゃん、お願いがあるの。
このカメラで、私とおばあちゃんの写真を撮ってくれないかな」
カメラを渡す。昔ながらのカメラだね、懐かしい、と叔父は笑う。
「いくよ」
私は祖母の身体に寄り添った。パチ、と音がする。
遺す。今、ここに私と祖母がいることを。昔からずっとそうしてきたように、たとえ老いても成長しても、変わらない私と祖母の関係がそこにあった。
それから他愛のない話をいくつか交わし、私がまだ幼かった頃のビデオを見返して、家の写真を撮った。祖母に会ったら伝えたかったことを、彼女の窪んだ瞳を見つめて言う。
「おばあちゃん、私が小さかった頃、たくさん色んなところに一緒に行って遊んでくれてありがとう。おばあちゃんとの思い出、全部宝物だよ。楽しかったよ。本当にありがとう」
祖母はうん、うんと頷いて、叔父は神妙な顔をしていた。たぶん、この先の別れがあるから私が感謝を伝えようとしているのを察したのだろう。でも、本当に今しかないと思った。その時、伝えたかったのだ。あたたかい陽の光が降り注ぐ、今日のような好い日に。
「また来るね」
そうしてふたりに別れを告げ、元来た道を帰る。電車に乗り、最近観た映画『アフター・ヤン』のサウンドトラックを聴く。陽が傾き、電車の中には外から差し込む橙色の線が走る。
綺麗だな。遺しておきたい。この光も。
椅子から立ち上がり、ドアの向こうにカメラを向ける。窓に反射した光と、太陽から放たれた光がまっすぐに私の瞳を射る。眩しかったけれど、ちゃんと写真に遺した。
すべてを、遺したかった。今日という1日のすべてを、何ひとつ零さないように。
祖母が私に向けた笑み、握った掌のあたたかさ。変わってしまったけれど、匂いや風は昔のままの場所。変わらないもの。変わっていくもの。1分1秒、過ぎていく時間。
その日遺した15枚の写真を、私はいつしか胸に抱いて泣くだろう。きっと、そんな気がしている。寂しいし、哀しい。だけど、確かに胸はあたたかい。
大切なものを遺すために、ひとの人生はある。
たとえ未来にフィルムが消えてしまったとしても、私は自分の愛する人に、どんなにフィルムというかけがえのない記憶のかけらを愛していたかを話すだろう。
そういう日を、そして過去の日々を、強く抱きしめて生きていきたい。
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撮影:安藤エヌ