東京の空だって綺麗なんだよバッキャロー。
この人生で、何度そう思ったかわからない。
そんな私が、新海誠『天気の子』に大感動した話。
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創作物における定石はこうだ。
都会はダーティで冷たくて汚い。一方、田舎はチョット面倒くさいけれど、温かみがあって自然に溢れていて美しい。東京の空、というのはかなりの確率で「四角く切り取られて」いたりするし、色なんて「灰色」とか言われる。
灰色て。スチームパンクの世界じゃあるまいし、それ曇ってるだけじゃね?
私は東京生まれだ。
羽田空港のすぐ近くで生まれて、ダーティな下町の代表格である蒲田(ダーティじゃないもん、虹の都だし光の港だもん!)で育ち、オシャレタウン自由が丘や東京タワーを望む三田で学生時代を過ごした。
私の帰るべき故郷は東京だ。
東京に疲れたときに帰るべき「田舎」を、私は持っていない。
新海誠『天気の子』。
私にとってこの映画は全てを超えて感謝するべき、とてもパーソナルな大傑作だった。
8月初め。
渋谷のまん真ん中の映画館で『天気の子』を鑑賞した。
なんだこれ。
……なんだこれ。
前評判は、たくさん耳にしていた。
90年代エロゲ文脈だとか、相変わらずの映像美とか、新海誠のキモチワルサ(この場合、『いい意味で』という枕詞がついている)が全開だとか、なるほど台本も演出もそういった評判を巻き起こすのには十分だし、オタクに刺さる。
でも、もう、そんなことはどうでもよかった。
スクリーンの中には、私の故郷がめちゃくちゃ肯定的に美しく描かれている。
私の故郷が、東京が、とても綺麗なのだ。
新宿の街並みが。
煌めく摩天楼と夜空に咲く花火が。
雨に濡れる上中里の、だらだら続く坂道が。
どれも匂い立つように美しい。
新海誠監督の評価として、「東京をはじめとした大都市を肯定的に描くこと」に焦点を当てて論じることは、今や全く新しくもなんともない。でもそれは、宮崎駿にも庵野秀行にもなし得なかったことで、近年の新海誠作品の大きな特徴といえる。
今回の『天気の子』は、とりわけ東京の風景をとびきり美しく描いていた。
『君の名は。』においては、ヒーロー。
『天気の子』においては、ヒロイン。
それぞれが都会に生まれ育った、『東京から帰る場所』を持たないキャラクターだ。ただ、それは不幸ではない。だって、新海誠の描く東京は、どうしようもない場所だけれど、たしかに美しいのだ。
そう。
私は何度でも叫ぼう。
東京は、紋切り型に表現されるような冷たい街でも、余所者の街でもない。
東京で生まれて、東京で生きている人たちの、たったひとつの故郷なのだ。
そういうわけで、東京生まれ東京育ちのみんなたち、『天気の子』を観てくれ〜〜〜〜っ!!
(c)2019「天気の子」製作委員会
『天気の子』公式サイト