
(by とら猫)
床屋が苦手だ。
あれは基本的に拉致と同じで逃げ場がない。考えてもみてほしい。鋭利な刃物を手にした他人の前で、己の急所を無防備にさらけ出す。そういった状況に置かれるのは普通に生きていればオペのときか、テロリストに捕まったときくらいである。
人はいつ発狂するかわからない、ということを私は多くのアメリカ製映画で学んだ。一見温和そうな床屋のマスターだって、いつなんどき狂気に駆られて、手にしたカミソリで喉笛を掻っ切ってくるかも知れないのだ。
そういう意味で床屋とは私にとって、この世でもっとも殺戮に近い場所だ。 中世においては外科医が理容師を兼ね、理髪店のサインポールは血管を模しているという説もあるから、床屋に死の匂いを感じるのは特段的外れではないのかもしれない。
そういうわけで、私はできるだけ床屋に近づきたくないのだが、それでも人は床屋から逃れられない。なぜなら髪は放っておいても伸びるし、伸びるものはこれ切らないと、いつかは邪魔になって手に負えなくなるからである。
そこへ救世主が現れた。キュービーハウスだ。
そのデフレ商売的な姿勢ゆえクオリティへの懸念も少なくないキュービーハウスだが、上述のような理由から床屋を恐れている私にとって、何よりも優先させたいのは質ではなくスピードである。可及的速やかにあの場から立ち去りたい。
というか私はたいてい帽子をかぶっているので、基本どういう髪型にされようが最終的なルックスに大差は生じない。ちなみに酒席などでは「帽子の下はどうなってるんですか」とよく訊かれる。怪物くんかよ。
また、散髪担当者との間で交わされる“当たり障りのない世間話”も、職業柄引きこもりがちで、コミュニケーション能力の劣化が止まらない当方にとって相当な関門となるが、キュービーハウスではこれが発生しない点もありがたい。この店のスタッフは髪を切るために必要なことだけしか喋らない。無駄口をたたかず、仕事だけをこなす真のプロである。ゴルゴのような。
そうは言ってもやはりそこは髪を切るための理髪店、自分がどういうヘアースタイルを望んでいるのか的確にとは言わないまでも、あるていど先方に指示しないと事が先へ進まない。ところが前述のとおり、帽子が髪型と化している私には「自分に合ったヘアースタイル」という概念が存在しない。お気に入りの帽子があるだけである。そのため自分は髪型に何を求めているのかよく分からず、よって相手にもうまく伝えられない。
できれば散髪のぐあいをこう、牛丼屋みたいに「大」「中」「小」と分類してあって、タッチパネルで「中」を押したら、ほどよく髪を切ってもらえる、といったシステムが確立されていると助かるのだが、それでも多くのトライ&エラーを重ねる中で、今では自分なりのテンプレートを完成させるに至った。すなわち「バリカンオッケーなので耳が出るくらいまで」とスタッフに伝えれば、まあ、なんかこう、全体的に変なふうにならない感じでぼちぼち切ってもらえる。
あとから「もみあげの長さ」を訊かれたりもするが、これはたいてい確認のための修辞的な問いなので、無心でうなずいておけば乗り切れる。前髪の長さについて訊かれたときも同様で、それがどういった問いかけであろうと、「自然な」というキーワードにすばやく反応してうなずいておけばよい。
ひととおり施術が終わったら、お決まりの「大きな音がしますけど大丈夫ですか」という問いに対してもう一度うなずき、「櫛を持って帰りますか」という問いに対してかぶりを振る。これですべては終了し、今回も無作為の狂気に遭って殺されることなく家路につけるわけである。
もちろん帽子をかぶって。
(イラスト by Yumi Imamura)