【エッセイ】私と世界のキリトリ線

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会社員を辞めた2016年には絵空事に近かった「ものを書いて暮らしていきたい」という希望は、今のところ達成されつつある。

生活費を稼ぎながらスキマ時間で配信コンテンツを観るか、創作をしてコンクールに送るか。それに寝食と入浴の時間を追加すると生活のリソースは完全に埋まる。仕事をしながら趣味を突きつめたり資格を取りまくったりしている人はどうなっているのだろう。

数ヶ月にわたり家から出ることなく、寝室から自室までの世界にこもっているうちに世の中に属しているという感覚がなくなった。好奇心が死に、Twitterもニュースサイトも開かずテレビもあまり観なくなった。いつしか私と社会の間にはうっすらとキリトリ線が引かれていた。しかも、キリトリ線のミシン目は日に日にはっきりしてきたではないか。

一度キリトリ線に気づくと、「この世界から切り離される」という感覚が拭えなくなった。深夜に「寂しい」と呟いた声は誰にも届くことなく、部屋の静けさの中に吸い込まれるだけ。誰かの存在を感じたくて、救いを求めるようにTikTokに登録した。

TikTokのライブ機能では夜中だろうがずっと誰かがリアルタイムで配信をしていて、おすすめ欄でフォローもしていない配信者の配信が無限に表示される。加工された瞳の大きな女の子たち、高価なギフトをねだるホスト、担当ホストの愚痴を言う女、不登校で昼夜逆転した学生、絵師、ゲーマー、エトセトラ。当たり前だけど、世の中にはいろんな人がいるもんだ。

最初は恐々と異文化圏を覗き見ていた私だが、次第にコメントを書いて配信者とコミュニケーションを取るようになった。

持病の双極性障害が悪化して休養中のぷりんちゃんの元を初めて訪れたのは、彼女が「泣いてて目が腫れているから」と顔を出さずに配信している日だった。

「なんか涙が出てくることない?今日ずっと涙止まらなすぎて、意味がわからなくて泣きながら笑ってたんだけど」

ちょうどその日、寂しさで涙をポロポロ溢していた私はコメントを打ち込む。

「わかる。今日は天気が悪いから調子悪いよ」

コメントを読み上げたぷりんちゃんが言う。

「それね。雨だと調子悪くなるよね」

近頃は世の中のあらゆるものに共感できなくなって「共感型のコミュニケーションなんかクソ」とイキっていたくせに、久々に他人から「それね」と共感されて自分の存在が認められたような充足感を覚えた。

ただ、存在を認知されたことで、ぷりんちゃんが配信するたびに「コメントしに行かなきゃ」と謎のプレッシャーを感じて苦しくなり、次第に足が遠ざかった。ネットでつながる人との距離感がいまいち掴めない。

もうひとり、よく見に行く配信は吉本くん。深夜の大阪の街をぶらぶらと散歩しながら「もう無職が長いから社会復帰できないんすよー」とボヤく彼に、会社員を辞めてだいぶ経った自分を重ねてしまった。無職ではないが、私も社会に属している感覚を失って長い。

何度か配信に行くうちに、吉本くんは私を見つけると「お、こばやしや! やっほー」と声をかけてくれるようになった。配信に数人しか集まらなかったある日、吉本くんはしっぽり語るスタイルでこう言った。

「ここにおる人は友だちやから。ズッ友やで。こばやしもズッ友や」

あれ?でも私、吉本くんからはフォローされてないような気がするけどな。

ふと気づいて吉本くんのフォロー欄を確認すると、そこには可愛い女の子のアイコンばかり並んでいた。なんだかやけに悲しくなって、TikTokを閉じる。窓の外が白み始めた午前5時。結局、世界とつながることなんかできない。

私は燃えるゴミをまとめて家の外へ出た。早朝の住宅街はしんと静まり返っている。パンパンになったゴミ袋を持ってマンションの下に降りると、背後から「おはようございます!」と突然の大声。びっくりして振り返ると、ナカノさんがいた。

ナカノさんは同じマンションの1階にもう30年住んでいるという、独り身のおじさんだ。彼は毎朝4〜5時に駐車場でストレッチをする。仕事を早期退職してライフセービングの資格を取ったナカノさんは、毎日ストレッチをしてからプールに行って練習しているらしい。昼夜逆転しがちな私がゴミを出す時間と、ナカノさんがストレッチをする時間は被りがちで顔見知りになった。

「おはようございます」

よそ行きの笑顔で挨拶をして、私ってこんなに感じよく人に挨拶できたんだと小さく感動する。

あそこまで泳ぎに行くんです、とナカノさんは水深の深いプールのある方角を指さして教えてくれた。

「ボクはとても楽しんでます!」

ナカノさんのあまりに真っすぐな言葉は、妙に私の胸を打った。

部屋に戻って歯を磨きながら、ナカノさんの元気に釣られて思わずニッコニコの笑顔で話した数分間のやりとりを反芻する。私と世界の間のキリトリ線は思いなしか薄くなっていた。

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画像:hooomeさんによる写真ACからの写真

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この記事を書いた人

こばやしななこのアバター こばやしななこ サブカル好きライター

サブカル好きのミーハーなライター。恥の多い人生を送っている。個人リンク: note/Twitter