「レトロゲームとは、どのくらい前に出たものからのゲームをさすのか?」
という話題は、する時期で基準がズレていくものだし、時代の線引きでなぜか悶着がおきやすいのでわざわざ出さない。しかしながら、かつて遊んだテレビゲームの話をすること自体は、楽しい。
少年期・青年期のゲームにまつわる話を、同時代を経験した相手と着地点も決めずに語りあうのは、ある意味ココロのデトックス(※共通認識のない相手にやってしまったら、ただのハラスメント)。ゲームメディアのライターとして業界の片隅に身を置いていると、「あのゲームは実はこういう背景で作られた」みたいな貴重な話を聞く機会もあり、自身のインナーチャイルドがウッキウキになることもしばしばだ。
(シューティングゲームの)◎周目×ステージの復活パターンは……みたいなゲームそのものの深い話も楽しいが、個人的にはどちらかというと、それらに付随する体験談に惹かれる。
- 小学生時代の日曜日早朝のゲームプレイは、近所の駄菓子屋ゲーセンの入口のドアをドンドン叩いて店主のお婆さんを起こすことから始まった
- 『ドラゴンクエストⅡ』のいなづまのけん(最強武器のひとつ)が隠された場所を、家に来て教えて欲しそうだったクラスメート女子に、暗記していたマップをその場で書いて得意げに渡した
- 歌舞伎町や渋谷センター街のゲーセンで『上海』や『コラムス』を延々とやっている派手な服装の女性は、確実に私に声をかけられるのを待っていた
こういったエピソード(※ふたつが私の実体験で、ひとつが知人の体験談)は大なり小なり誰もが持っていて、そこにはテレビゲームが繋ぐ登場人物たちのさまざまな思いが詰まっている。たいしたこころざしや感動的な何かがなかったとしても、自分の人生が“面白くもないまじめなこと”で支配されているわけではないと実感できるだけで、十分に価値がある。
ある時……といってももう15年くらい前だが、同世代の身近な関係の人たちに、それぞれのゲーム遍歴を根掘り葉掘り訊いて回っていたことがある。ファミレスなんかにひとりずつ呼び出して、普段の雑談より突っ込んだ角度のゲーム話を2~3時間。ライター仕事のひとつであるインタビュー取材同様、音声録音しながらだ(もちろん相手の同意を得た上で)。それをもとに何かしてやろうという目的のない行為で、実際、以降の活動に何も活かしていないのだが、当時はなぜかそれをしなければという気持ちだった。いまにして思えば、30代も半ばを過ぎ世間的に若者と言い張れない立ち位置になったことで、自身のあるがままがもはや時代の最先端にリンクしていないこと、自分にとっての常識や肌感覚が、放っておいたらどんどん消えていってしまうことを感じ取っていたのかもしれない。
企業やNPO、研究家の尽力(と思惑)によって日々整理されているテレビゲームそのものの記録が“正史”扱いされる一方で、無数の個人のゲームエピソードは、ただひたすら消えていく。資料性、公共性がないから当然といえば当然だ。ネット常接続時代になってからは、“ゲーム実況動画”として生まれたそばから消費されるか、当人が意図しない形でのネットミーム・デジタルタトゥーとして残るくらいだが、それらもテレビゲーム史を振り返る上での重要なパーツのひとつとして残したい。せめて、自分が実感と愛情をもって振り返られる時代のものに関しては……との思いが強まった2019年。私は“テレビゲームと人の歴史”をテーマに掲げた同人活動を始めた。
近年では顧みられる機会が少ない、1980年代にリリースされたゲームの開発者インタビュー本、コロナ禍真っ只中でのゲーマーの日常を題材にした4コマ漫画集といった同人誌を8冊ほど作ってきたが(※2022年9月現在)、活動の本命は、PC用オリジナルノベルゲーム『レトロゲームエイリアンズ』の制作だ。レトロゲームの線引きの議論の余地もないほどに大昔のPCゲームを題材にしつつ、現代のゲーマーも気負わず楽しめるものになるよう、日々調整を施している。個人のテレビゲーム関連エピソードを新作ゲームとして体験することで、そのエピソードをいま現在の自分自身に取り込むことができたとしたらそれは、ある人にとっては新しいエピソードの始まりであり、またある人にとっては記憶の奥深くに眠っていたエピソードを蘇らせるきっかけとなる……そんな理想を抱いてしまったからには、作らないわけにはいかない。
ゲームの具体的な内容や、一介のライターがどんな風にして作っているかについてはおいおい紹介していく。それによって「こんな感じなら僕も私もゲーム作ってみようかな」と思っていただけたら、これ以上の喜びはない。