【新作映画コラム】『NOPE /ノープ』~本当に“ありえない”ものは、果たして誰なのか

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(*本稿では一部、映画の核心部分に触れています)

「ノープ」は、「ありえない」「無理」という拒絶の意味を持つ言葉である。元々は「no」を強調させるために「nope」と言ったのがはじまりで、そこからスラング的な意味合いを持つ言葉へと変化した。

先日公開となった映画『NOPE /ノープ』は、まさにタイトル通り「ありえない」出来事の連続であった。映画の登場人物たちが、何度もこう叫ぶ。

「無理、無理、無理、無理!!」

もしもスクリーンのなかに紛れ込んでしまったなら、きっと私も同じように叫んだだろう。襲いくる恐怖と、その裏側に込められたメッセージ。斬新な切り口で現代社会の闇に切り込む、ジョーダン・ピール監督の最新作である。

映画の舞台は、南カリフォルニアの牧場。突如降ってきた謎の落下物が頭部を直撃し、主人公の父親が呆気なく死ぬ。言ってみれば、この時点ですでに「ノープ」である。しかし、これは序章に過ぎない。この事件を境に、牧場経営を営むOJと妹のエメラルドは、数々の“奇跡”を目撃する。だがそれは、ハッピーな奇跡ではなく、アンハッピー、もっというなら、“最悪の奇跡”であった。

主人公OJを演じるのは、ジョーダン・ピールの代表作『ゲット・アウト』でもタッグを組んだ、ダニエル・カルーヤ。妹のエメラルド役はキキ・パーマーがふんし、熱量高く自由奔放なキャラクターを演じきった。そのほか、映画の要となるテーマパークの経営者リッキーをスティーヴン・ユァンが快演。リッキーが過去に経験したトラウマも、本作のテーマに深く関連している。

映画冒頭、ひどくショッキングな光景が目に飛び込んでくる。倒れている女の子の足。口元と手を血で染め、興奮している猿。床に垂直に立つ片方の靴。怯える子どもの息遣い。

その光景と前後して、スクリーンにある言葉が表示される。

“I WILL CAST ABOMINABLE FILTH AT YOU, MAKE YOU VILE, AND MAKE YOU A SPECTACLE. ” – NAHUM 3.6
(私はお前に忌まわしい汚物をぶつけ、卑劣な扱いをし、見世物にする)

旧約聖書『ナホム書』の一文であるこの言葉の意味を、鑑賞中ずっと考えていた。冒頭の猿が意味するもの、あの目の奥に光る、切実な訴えの輪郭を。そのすべてを正確に掴みきれたかは、定かではない。ただ、血まみれの猿を見た当初に抱いた恐怖は、映画の幕が下りる頃、明らかに形を変えていた。

見世物にするもの、されるもの。その境目は案外曖昧で、いつ“そちら側”に立たされるかわからない。“される側”の恐怖は経験のあるものにしかわからず、“する側”にとっては、その恐怖心さえも「見世物」のひとつに過ぎない。

私たち人間は、見たいものを見たいように見る。本来見えているはずのものさえ、見たくなければ「見なかったこと」にできる。冒頭のシーンは、そんな浅ましい人間の性に対し、強く「ノープ」を突きつけているように思えた。

ここで一旦、あらすじに話を戻す。本作には未確認生物、いわゆるエイリアンが登場する。OJの父親の死因となった落下物は、エイリアンが吐き出した汚物であった。エイリアンは、自分の縄張りに入り込んだものたちを食らう。どんな生き物でも、どんな大きさでも。そして、食後に不要なものを汚物として地面に吐き出す。5セント硬貨や鉄製の鍵など、金属で成形された物体は消化できないらしい。

未確認飛行物体、未確認生物と呼ばれるそれらは、ずいぶんと昔から存在するか否かの議論が繰り返されてきた。UFOに関連して、ミステリーサークルと呼ばれる怪奇現象が話題になった当時、私はまだ小学生だった。

「宇宙には数え切れないほどの惑星があるのに、知的生命体が存在するのは地球だけだと考えるのは、奢りである」

テレビのなかで、研究者らしき人がそのようなことを言っていた。子どもだった私は、その言葉に妙に納得してしまった。それ以降、ひそかに未確認生物の存在を信じていた。

だが、この作品を観てしまった今、未確認生物の存在を信じたくない自分がいる。信じたくないというより、「存在してほしくない」と言ったほうが正しい。未知の生命体は、未知であるがゆえに怖い。「わからないもの」を「怖い」と認識してしまう。そんな臆病な自分を恥じる余裕もなく、鑑賞中、小さな悲鳴を上げ、体を震わせた。

OJとエメラルドは、未確認生物の姿を動画におさめようと躍起になる。バズを起こし、一攫千金を狙うためだ。しかし、その思惑を嘲笑うかのように、エイリアンは何もかもを飲み込んでいく。OJたちは、エイリアンを“見世物”にしようとした。しかし、本当に“見られていた”のは彼らのほうだった。しかも、“見世物”としてではなく、“捕食対象”として。

このエイリアンに捕食されない方法が、ひとつだけある。詳細は、あえて書かない。ただ、この唯一の法則が、現代の闇を明確に表していることだけは伝えておきたい。

命を顧みず、エイリアンにカメラを向け続ける人々。その姿は、現実世界でも案外あちらこちらで見かける。バズるためならなんでもする人。何かを見世物にするために、相手がいくら拒絶しようとも追いかけ、直視し続ける人。そういった光景は、主要メディア・個人のSNSともに、決して珍しくない。そこに、モラルは存在するのだろうか。その果てで、一体何人の人が命を落としたのだろう。表に出ている数字だけで判断しているのなら、それは愚かであると言わざるを得ない。

見れば、見られる。見なければ、見られない。
人に向けたものは、いつか返ってくる。映画冒頭に表示された一文の意味を、私たちは、もっと真摯に見つめ直すべきなのだろう。

「NOPE/ノープ」――その言葉が示す先にあるものは、エイリアンではなく、はたまた血まみれの猿でもなく、私たち自身なのかもしれない。

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(c)2021 UNIVERSAL STUDIOS
映画「NOPE/ノープ」allcinemaページ



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この記事を書いた人

書くことは呼吸をすること。noteにてエッセイ、小説を執筆中。海と珈琲と二人の息子を愛しています。