(by 安藤エヌ)
2017年に、6万字の小説を書いて文芸賞に応募した。仕事の合間を縫い半年間におよぶスケジュールを立て、自身の半生と向き合い、痛みと喜びを書きなぐった。ここまで長い小説を書いたのは、生まれて初めてだった。
それは物語の中の母親とその娘に、私の過去を追体験させた半自伝的な小説だった。心の病気になったことを母親に、幼い頃に女の子を好きになり、そこから性を自認した経験を娘に──それぞれに半身を与え、痛ましくも美しい世界の中で息づかせた。
今でもなぜこの小説を最後まで書き上げられたのか分からない。何かに取り憑かれたような、とよくいうが、そんな感じだったのではないかと思う。
一歩、また一歩。重たい足を引きずりながら、決して明るいとはいえない洞窟の中を裸足で歩いているような気分だった。終わりという名の光が見えたとき、ようやく私は自分の人生を肯定する準備ができた。
6万字の愛は、そうして私にとって忘れがたいものになったのだ。
書き上げた物語の後半では母から子へと視点が変わり、高校時代の章でひとりの少女が登場する。彼女には、私が当時恋をした人の面影を重ねた。電話越しに「私たち、お互いのことが好きってことだよね。だったら、付き合ってみる?」と親に聞かれないよう小声で囁いた日。その日から私たちは恋人同士になった。おそろいのネックレスを制服の下に忍ばせて、ダイソーにあったプリクラで写真を撮ったり、帰りの電車に乗らずに河川敷にかかる橋を渡ったりした。彼女は私の少し後ろを歩き、家に着いたら冷たい麦茶を飲み、そして、キスをした。
睫が触れるのではないかというほどの距離で見つめ合う。入道雲が遠い空に浮かぶ夏のことだった。親が帰ってきて、弾むように身体を引き離した。友達?うん、そう。同じクラスなの。そんな風に言ってごまかしたのを今でも鮮明に覚えている。
なぜ、嘘をつかなければならなかったのだろう。なぜ、私たち付き合ってるんだ、と言えなかったのだろう。その時抱いた違和感の答えは、大人になった今でも、そして小説を書き終え、すべてを昇華させた後も見つかっていない。
繋いだ手が汗ばむ季節を過ぎた後、短い夏の終わりとともに、私たちの恋も次第に終わっていった。互いに仲良くしていたもうひとりの同級生と折り合いがつかなくなり、それが結果的に私たちの恋に終止符を打ったのだ。
あんなに好きだと言ってくれた彼女は無口になり、やがて私から距離を取るようになった。首元から覗いていたネックレスのチェーンは、いつのまにか消えていた。
あっけないな。ひとりになった私は猛烈に恥ずかしくなった。何やってたんだろう、バカだ、と情けなくもなった。恋という生き物の死体を蹴って、なんだこんなもの、ただの若気の至りじゃないか、と強がった。
あの頃は自分の感情を上手く扱えず自暴自棄になってしまったけれど、今、大人になって思う。あの時の恋が今も生きていて、きっと生涯忘れられないのだということを。
賞の選考には落ちた。それでも終わった恋が刻みつけられた小説をないがしろにできず、本という形に残した。質量を持ち手のひらの上に収まった記憶に触れるたび、ひりつくような懐かしさが込み上げる。
あの頃の私には何も怖いものがなかった。どこまでも疾走できた。同時に、自分たちを自分たちたらしめる名前がないと訝り、不思議にもさびしくも思っていた。私たちには名前がなかった。つけてもらえなかったのだ。親にも友達にも先生にも、他人にも。
東京都が11月からパートナーシップ宣誓制度を導入する。同性同士やトランスジェンダー当事者など、性的マイノリティのカップルが宣誓をした場合に証明書を発行し、都民が受ける各種待遇に利用できるようにするという。
少しずつでも、ここで恋をしている、生きているのだと胸をはって言える世界になっていってほしい。“私(Me)”だけでなく“私たち(Us)“を知ってほしいし、名前をつけてほしい。分かってほしい。ここにいることに気づいてほしい。
本の頁をめくるたび、あの頃けんめいに恋をしていた少女の私を抱きしめたくなる。青く粗末な恋だったとしても、私にひとつの物語を書かせたこの恋を、これからも抱いて生きていく。それが、私の人生における欠けてはならない一部分だから。
『愛をくれ』。私の書いた小説の題だ。
今も、私は愛されたいと願っている。忘れられない一度きりの恋を、この手に抱きながら。
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画像提供 by 安藤エヌ