【映画エッセイ】ジョエル・コーエン監督『マクベス』が描く、疲れた還暦超えマクベスの悲劇

【映画エッセイ】ジョエル・コーエン監督『マクベス』が描く、疲れた還暦超えマクベスの悲劇

(by こばやしななこ

幾度となく再演され映画化されてきたシェイクスピアの名作『マクベス』が、コーエン兄弟として知られるジョエル・コーエン監督の手によって映画化された。コーエン版『マクベス』は、省略や脚色を施しつつ原作の台詞をふんだんに使用し、極めて原作に忠実に作られている。それにもかかわらず、観賞後には『マクベス』に抱いていたイメージが一新されてしまった。

映画を語る上で、まず『マクベス』のあらすじを説明しておこう。

戦争に勝ち祖国に帰る途中の将軍マクベスは、魔女に出会い「コーダーの領主」「いずれは王になるお方」と呼びかけられる。そのすぐ後、なんとコーダーの領主は反逆罪で処刑され、魔女の予言通りマクベスが新たなコーダーの領主となる。ということは……魔女の予言通り、王にもなれるんじゃないか!?とマクベスは思うわけだ。予言のことを伝えると妻も「夫が王になる!」と盛り上がってしまう。予言と妻に背中を押されたマクベスはその手で王を暗殺し、自らが王となった。そして、王の地位を守るため次々と殺しを重ねていく……

映画で注目するべきは、デンゼル・ワシントン演じるマクベスのキャラクター。こんなに枯れているマクベスは見たことがない。マクベスというのは「ただならぬ野心を胸に秘めたギラギラした奴」というイメージだった。でもどうだ。このマクベスは目が死んでいる。瞳の中に野心を見つけることができない。

じゃあなんで、マクベスは王を殺してまで王位についたんだ?権力への野心がないのにそこまでする理由は?と考えると、1つの答えが浮かんできた。

彼はもう誰も殺したくなかったんじゃないだろうか。

序盤、戦争に勝って王の元へ帰るマクベスの姿は、ありえないくらい疲れている。勝ったのにちっとも嬉しくなさそう。そりゃそうか。もうこんなジジイなのに、さっきまで戦っていたんだもんな。人を殺していたんだもんな。

戦争はまた起きるだろう。将軍でいる限りマクベスは王のため、祖国のために戦い続けなければいけない。彼は疲れてしまったのではないか。殺し続けることに。

この考えは、あながち間違いではなさそうだ。

映画には反逆罪を犯したコーダーの領主の処刑シーンが出てくる。今まさにコーダーの領主に剣を振り下ろそうとしている男が手を止め、マクベスに向かって剣を差し出す。マクベスに手を下せということだ。マクベスは剣を拒んだ。

戯曲には、コーダーの領主が処刑される場面は出てこない。コーエン版の映画では、あえてこの「コーダーの領主を殺すことを拒むマクベス」を描いている。ここで、正当な理由があろうとマクベスはその手で人を殺めたくはないのだとわかる。

マクベスの年齢設定はわからないが、演じるデンゼル・ワシントンは撮影当時65歳。妻と2人ゆっくり暮らしたいお年頃だ。予言のことを知った妻は目を輝かせている。死ぬまで戦い続けるより、しばし王と王妃として夫婦で気ままな生活を手にしたいと思うのも不思議じゃない。

マクベスが王を殺してまでして得たかったのは「もう誰も殺さなくていい人生」だと考えると、彼に対して同情というか、わかる〜〜と言う気持ちが湧いてくる。野心家のギラギラマクベスにはいまいち共感できないが、彼のモチベーションが「疲れすぎてもう将軍やめたかった」なら俄然、共感できる。

「殺さないため」にした王殺しは、結局は次なる殺しを呼ぶこととなる。マクベスは君主を裏切って王になった。平穏に過ごすどころか、王になってからの彼には不安・恐怖・罪の意識が絶え間なく襲いかかってくるではないか。さらに、王殺しをお膳立てした罪悪感から妻まで精神崩壊してしまった。2人の楽しい老後のために王を殺したのに……!?俺はなんのためにここまでやったん!?とかなり虚しくなった。コーエン監督、人生の皮肉と悲劇性を描くのが天才的にうまい。

マクベスは台詞では「疲れた」とは言わない。「もう殺したくない」とも言わない。台詞だけに注目しないことで、それらの感情は浮かび上がってくる。

シェイクスピア作品に出てくるキャラクターは、とにかくよく喋る。シェイクスピアといえば台詞だ。韻を踏みまくり、ダブルミーニングのオンパレード。出版されている戯曲の「訳者あとがき」を読むと台詞の表現がいかに巧みか理解できる。

だが、台詞でなんでもかんでもぜーんぶ言い過ぎである。シェイクスピア演劇では、登場人物の本心は独白(1人ごと)によって語られると相場が決まっている。当時の照明もなく薄暗い舞台では「台詞で言う」くらいしか状況説明や感情表現をする手段がなかったからだ。もしシェイクスピアが現代にいたら、こんなにぜんぶ台詞で説明しちゃう戯曲は書いていないはず……

『マクベス』を黒澤明が映画化した『蜘蛛の巣城』は、原作の台詞を無視して筋だけ取り入れている。シェイクスピア原作の映画化の中でも、とりわけ完璧な作品だ。殺しを重ねたマクベス(三船敏郎)が正気を失っていく様子はすさまじく、目が釘付けになった。

今回の『マクベス』は原作の台詞を使ったうえで、役者全員が台詞になっていない域の感情表現をしている。演技と演出が台詞を超えているのだ。「疲れたマクベス」の姿に、こんなに胸を打たれると思わなかった。

大幅な改変をすれば「新しいマクベス」にはなるだろう。しかし戯曲を「変える」のではなく戯曲に書かれた見事な台詞を「超える」なにかを投入できるかが、シェイクスピア作品を成功させる秘訣なのかもしれない。

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(c) Apple TV+
『マクベス』Apple TV+配信ページ

 

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