【碧い海に浮かぶ月⑥】365分の5日

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(by 碧月はる

大事すぎる思い出ほど、誰にも見せずに自分のなかだけに留めておきたいと思う。生まれたての赤ん坊を抱きかかえるように、そっと静かに、ゆらゆらと揺れながらその記憶に浸りたい、と。

誰かに読まれる場所に、鮮烈な記憶を置く。その行為の先で、己の人生の一端が奇異の目で消費されるたび、ゆるやかに胸を抉られていた。だったらせめて、それ以外の特別な時間は、自分だけのものにしたい。やさしかった時間まで、見知らぬ誰かに正否を持ってジャッジされたくない。そんなふうに、どこかで思っていた。

年が明け、2022年。つい先日そこにいた2021年は、すでに「昨年」と呼ばれ、過去のものとなった。大晦日と元日は1日しか違わないのに、人間だけが作った時間軸で明瞭に区切られている。

「今年最後のご飯だよ」
そう言ってメーダさん(我が家に住むメダカたちの愛称)にご飯をあげる私に、来訪していたパートナーが言った。
「メダカに年越しの概念はないだろ」
それもそうだと思ったが、こちらにその概念がある以上、無意識で声をかけてしまう。
「あるかもしれないじゃん」
意地でそう答えると、パートナーはわずかに口角を上げて笑った。

穏やかな年末年始だった。どこまでも安らかで、満ち足りていて、この時間が永遠に続けばいいと心から願った。乾いていた喉に滴る水は極上に甘く、ごくごくと飲み干すたびに、わかりやすく心身は潤った。誰かの隣で眠る。たったそれだけでこんなにも熟睡できることを、私の体はすっかり忘れてしまっていた。聞こえてくる寝息は、ほどよくうるさかった。耳を塞ぎたくなるようなイビキでもなく、すうすうと静かな赤子のそれでもない。布団のなかの体温と同じくらい、小さな雑音は私を安心させた。

世界でただひとり、私の悪夢を拭い去れる人。その人が、年越しにかけて我が家を訪れていた。彼とは、ずいぶん長い付き合いになる。幼馴染だった彼の隣で眠っていた昔、私は制服を身にまとい、世界のあらゆるものを諦めながら生きていた。現在は白髪が増え、体はゆるみ、目尻には無数の小皺が刻まれている。そして、世界を諦めまいと、心の真ん中に筆を置き、顔を上げて生きている。

互いに年を取った私たちは、要らぬ尖りが抜け、昔の何倍も素直だった。足りないものを補いあうように、背中に手を回す。一緒に食べて、一緒に眠る。そんな日々の繰り返しが途方もなくやさしくて、彼が寝たあと、こっそり枕を濡らす夜もあった。そんな私に彼は気づいていながら、知らぬふりをしてくれた。

誰しもに読まれる場所で彼との時間を綴ることに、大きな躊躇いがあった。パートナーだと言い切る自信もなかった。私たちの間には、わかりやすい約束が存在しない。将来結婚しようとか、何年後に一緒に住もうとか、世間一般でいう安心材料が一切ないのだ。ただ、今お互いを必要としている。それだけでつながっている。彼は故郷に住んでいて、私が現在住んでいる場所からは遠く離れている。だから私たちは、ほとんど会う機会がない。

それゆえ、一度は決別を選んだ時期もあった。それはあまりきれいな別れではなく、どちらかといえば醜いものだった。その後、紆余曲折を経て、私たちは再び手のひらを結んだ。でも、それもいつかまたほどけてしまうかもしれない。その恐れも手伝い、私は彼との時間をできるだけ表に出さぬよう努めていた。ひとたび表に出してしまえば、二度と取り消すことはできない。例え削除しようとも、人の記憶には残る。消せない場所に彼との時間を置いて、いつかまたひとりになったら、その寂しささえも私はきっと書いてしまう。全身が震えるほどの焦燥と絶望を、図々しく書き連ねてしまう。物書き特有の浅ましさを持ってすれば、あらゆる悲しみを「読みもの」にできる。その事実が、どこまでも私の決断を揺らした。

書きたい――そう思い立ったのは朝方5時、ふいに目覚めた瞬間だった。強い衝動だったにも関わらず、書きはじめてすぐ心が怯んだ。見せたくない。知られたくない。知られたあとで壊れてしまったら、あまりにもいたたまれない。しかし、読み終えたばかりの小説の一節に、ぐっと背中を押された。

彼は私の光だった。たった数ヶ月しかいなくても、一生消すことのできない、私の光だった。

西加奈子著 『白いしるし』より

彼は、光だ。私はずっと、そう思ってきたのではなかったか。だったらもう、いいじゃないか。私たちの手のひらが結ばれていようとも、例えこの先離れようとも、彼が与えてくれた揺るぎない光は、蓄えられた穏やかな温もりは、死ぬまでこの体に残り続ける。それだけでいいし、私はその記憶を書きたいのだ。そうはっきり自覚した途端、書く手は止まらなくなった。止めようがなかった。

海の底を旅するように、暗がりを恐る恐る歩いていた。そんな私に光をくれた彼が、しあわせであればいい。私たちの終着点はそこで、互いのしあわせが何よりの希望だ。しがみつかず、想い続ける。そんなきれいな恋は存在しないと思う一方、いや、ある、と思う。恋の先に愛があるのだと誰かが言った。でも、名前なんて正直どうでもいい。人が人を想う。その気持ちで、世界は回っている。だったらそれがどんな呼び名であろうとも、誰かの想いは、誰かの光だ。

世の中には絶対なんてないのだと、神さまの前で永遠の愛を誓った元夫との離婚の際に思い知った。だったらいっそ、不確定なこの世界を楽しんでしまえばいい。今ある温もりを存分に愛し、ゆっくりと育んでいけばいい。

過去、碧い海に浮かぶ月を二人で眺めた夜、私たちは子どもで、あまりにも力がなくて、涙も痛みも飲み込むしか術がなかった。でも、今は違う。私たちは大人で、自分の足で立つことができる。自分の意志で道を選び、涙も痛みも分け合うことができる。碧い海に浮かぶ月を眺めながら途方に暮れるのではなく、「きれいだね」と笑いあうことができる。

「ほんと、よく生きてたよなぁ、お前」

しみじみとそう言った彼の顔を、私は忘れない。一緒に食べた卵焼きが格別においしかったことも、市場でお刺身を値切ったことも、はじめてのサビキ釣りで1匹も釣れなくて、でもずっと笑いながら海を眺めていたことも。

私たちの未来は、誰にもわからない。でもそれは、今を否定する材料にはならないのだと、ようやく気づいた。物理的距離があり、365日のうち、およそ360日は心でしかつながれない。体温が全然足りなくて、胸がひりつく夜もある。そんな日は、大切に折りたたんだ記憶をそっと開く。そこに顔を埋め、匂いをかいで、深く息を吸い込む。そうやって夜を越えた先で、またいつか、彼に触れたい。

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画像提供 by 碧月はる

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この記事を書いた人

碧月はるのアバター 碧月はる ライター&エッセイスト

書くことは呼吸をすること。noteにてエッセイ、小説を執筆中。海と珈琲と二人の息子を愛しています。