(by 碧月はる

家族が増えた。小指の先ほどの、小さな小さな家族。
全部で4匹、いや、4人。“匹”という単位は、昔から字面がすきじゃない。

先日、離れて暮らす息子たちが遊びにきたとき、川べりでメダカを捕まえた。「逃がそう」と何度か提案したが、まだ幼い次男坊はがんとして首を縦に振らなかった。

「おうちに連れて帰るの。決めたの」

突然捕まえられて人生、もとい魚生を決められたのでは、メダカもたまったものではないだろう。

「家族と離れちゃったら、寂しいんじゃない?」
「大丈夫だよ。1匹じゃなくて、たくさん連れて帰ればいいんだよ」
「でも、メダカさん連れて帰っていいかどうか、お父さんに聞いてみないと」
「なんで?」
「なんでって……突然メダカさん連れて帰ったらびっくりするでしょう?」
「向こうのおうちには連れて帰らないよ?」
「は?」
「お母さんちでお世話するんだよ。そしたら、お母さん寂しくないでしょ?」

思いがけない台詞に苦笑した私は、根負けして次男坊の頭を撫でた。そりたての坊主頭が、しょりしょりと手のひらをくすぐる。

「そうだね。お母さん、メダカさんと一緒なら寂しくないね」
「でしょ?次にちびたちが来るまで、ちゃんと大事、大事してね!」

“大事、大事してね”

次男坊独特の言いまわしに、思わず頬がゆるむ。こういうのもあと数年、早ければ来年にはきれいさっぱり消えてしまうのだろう。幼子特有の言い間違えや口癖は、期間限定の宝ものだ。「貯金箱」を「ちゃりん箱」と言っていた長男は、今ではつんとすました顔でスマホをいじっている。子どもの成長は素直に嬉しい。でも時々、ああ、こんなにも遠くまで来てしまったんだなあと、妙に感慨深い気持ちになる。

そんなわけで、現在メダカたちと共同生活をしている。名前を付けようと思い、候補をいくつか考えた。でも、誰が誰だか一瞬でわからなくなったので、みんなまとめて「メーダさん」と呼ぶことにした。

その後、再び我が家を訪れた次男坊が言った。

「家族、増やしたくない?」

ホームドラマのような台詞を真顔で言う6歳は、なかなかに見ものである。

「うーん……お母さん、今の家族だけで十分しあわせだよ」
「増えたら楽しいよ!絶対!!」

そういうのは、共に育てる覚悟のある者だけが口にしていい台詞なのだよ。

過去、元夫に言えなかった台詞を次男坊にぶつけるわけにもいかず、服を着込んで虫網を持ち、私たちは外に出た。北風が吹きつけるその日の気温は、わずか6度。厚手のジャンパーを身にまとい、虫網を振り回す少年。何かがおかしい。そう思ったけれど、これがうちの子どもたちだ、と思い直した。

思えば、長男もそうだった。二人揃って外がすきで、自然がすきで、生きものがすきで、季節を問わず裸足で過ごし、虫網を振り回していた。ゲームもYouTubeもすきだけど、風を切って走るときが、一番生き生きとしている。

目的地に辿りつくと、次男坊は声を張り上げて私を呼んだ。

「お母さん!大変!パリンってなってる!!」
「昨日も寒かったからねぇ。それじゃ、メダカさんもいるかどうか分からないね」

「パリンってなってる」とは「凍っている」の意味だ。冬の寒さで、川の浅瀬や溜まり場の池に薄氷が張っている。氷中に無数のモミジの葉が閉じ込められていて、その美しさに一時ぼうっと見惚れた。しかし、幼子を連れて情緒に浸れるのは、ほんの一瞬だけである。

「ちょ、待って!ダメ!その氷は薄いから!すぐ割れちゃうから!!」
「えー、スケートしたかったのにー」
「この氷でスケートはできません」
「やってみなきゃわかんないじゃん!!」

両腕を掴むのがあと3秒遅かったら、次男坊は冬の池にドボンであった。尚且つ、諦めの悪さもピカイチである。

「じゃあ、押えていてあげるから、軽く足で踏んでごらん」

落ちないように両腕で小さな身体をしっかりと支え、次男坊に氷の薄さを体感させる。軽く体重をかけただけでパリンと割れた氷から、みるみる水が浸食していく。その様を見てようやく、彼にもここでのスケートは無理だと理解できたようだ。

「小さいねぇ」
「そうだねぇ」

おそらく「薄いねぇ」と言いたかったのだろう。正しい言葉を教えるのも親の仕事だけれど、子どもがしみじみと何かを感じている様子を黙って見守るのも、親の仕事だ。

「氷の下は水なんだね」
「そうだね」
「じゃあ、いるね!」
「ん?」
「水があるなら、きっとメダカさんいるよ!」

言うが早いか、次男坊は虫網の先で氷を割り、そのなかに網を突っ込んだ。見るからに冷たそうな水の下には、泥の固まりが沈んでいた。すくった泥を重そうに持ち上げ、迷わずそのなかに手を突っ込む。ジャージや靴に泥が跳ね、何なら私のズボンにも泥が跳ねた。

「いた……!おかあさん、いた!!」

嘘でしょうと思ったが、本当にいた。水は冷たいけれど、泥や落ち葉が堆積している箇所は温かいのかもしれない。数匹のメダカと小さいエビが、ピチピチと水を求めて泥のなかを跳ねていた。

「いた……ねぇ」
「ほーらね!おれって天才!」

嬉しそうに小躍りする彼の手のひらは泥だらけで、何なら私の靴もそれなりに泥だらけで、かじかむほどに冷たい指先は家のストーブを恋しがっていたけれど、冬空の下で過ごす時間もそれはそれで尊いものだ。メダカに負けず跳ねまわる次男坊に、こっそりスマホカメラを向ける。シャッター音が乾いた空気に響く。その音に気付かぬほど夢中で氷の下に繰り返し網を差し込む次男坊を、私も夢中で連写した。

人生は旅だというが、確かにそんな気もする。自分の体を機関車に喩えるなら、この車窓は存外面白い。

星野源 著『いのちの車窓から』より


歌手や俳優としても活躍している星野源のエッセイの一節だ。私の車窓の景色には、どんなときも息子たちがいる。傍にいるときも、いないときも、彼らの溌剌とした笑い声は私のなかに確固たるものとして焼き付いているのだ。カメラロールに収めるのは、あくまでも保険に過ぎない。あらゆる記憶をぽろぽろと落としがちな日々においても、息子たちのことだけは忘れようがない。

人生の旅も、ようやく折り返し。この年まで不器用ながらに生きてきた私の旅路は、今後どこへ向かうのだろう。終着点がどこであれ、こういう時間を忘れずにいたい。通り過ぎた景色を愛おしめる自分であれば、いつか彼らが巣立つときにも、笑って送り出せる気がする。

何はともあれ、次男坊の宣言通り、またしても家族が増えた。現在の我が家には、メーダさんが7人とエビが2人。エビの名前は、まだ決めかねている。

自分以外の生き物が同じ家に住んでいる。その事実に、不思議なほど背筋が伸びる。どんなに辛く苦しい朝も、食事が喉を通らない夜も、メーダさんたちのご飯だけは欠かさない。正確に言うと「欠かせない」のだ。私がそれを放棄したら、メーダさんたちはあっという間に死んでしまう。だから私は、メーダさんたちが元気なうちは元気でいなくちゃならない。なるべく心身をすこやかに保ち、毎朝毎晩、彼らに「ご飯だよー」とささやく義務が私にはある。

メーダさんたちは、おそらく私より先に死んでしまうだろう。生の隣に死があるのは世の常だ。両極のようなそれらは驚くほど近しいところをすれすれに漂っていて、何かの拍子にふと混ざりあう。水草とメダカの尾びれがぶつかるように、ごく自然に。

メーダさんたちは、今日もスイスイと気持ちよさそうに泳いでいる。メーダさんたちが泣くことのないように、次男坊との約束を守れるように、私は今日もまずは自分を「大事、大事に」する。

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画像提供 by 碧月はる

 

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