(by 隷蔵庫)(注:本稿では一部、物語の核心に触れています)

2015年の冬、映画『キャロル』が公開された。ポスターに印刷されたケイト・ブランシェットとルーニー・マーラと、美しいキャッチコピーが目を引く。

映画はとてもよくできている。原作の空気感やメッセージを十分伝えきれていると思う。フィルムのようなザラザラした効果や抑えた色調によって、実際の50年代アメリカへの想像がかきたてられる。キャロルは小説から飛び出てきたかのごとくイメージ通りだし、台詞もストーリーも原作をもとに伝わりやすく改変している。

この書評では、映画で語られなかった原作の表現について書こうと思う。

「ニューヨークの通りの多くがそうであるように、この界隈にも赤褐色の建物がひしめきあっていた。テレーズはかつて、褐色砂岩の建物が並ぶ西八十目付近の通りを歩いた日を思い出した。大勢の人々が生活を営むその場所では、始まったばかりの人生もあれば、終わろうとしている人生もある。あのときのテレーズはそれを思うと気分がふさぎ、アベニューへ出ようと急いだのだった。あれはほんの二、三ヶ月前のことだった。今では同じような場所を見ると心がわくわくして、ためらわずに飛び込んでいきたくなる。」
 
ハイスミスの小説では、しばしば主人公の疎外感や孤独を象徴した情景描写が目立つ。他作品だと『太陽がいっぱい』では、ニューヨークを去る前の主人公の心境が

 「日が経つにつれて、街がよそよそしく感じられてきた。現実感というか、重要さというか、なにかがニューヨークから失われてしまったようだ」

と書かれていたり、初期の短編「素晴らしい朝」では、それこそ街自体に強い希望や失望を抱く主人公が描かれたりする。最初に素晴らしい街だと描写されていても、次の日にはよそよそしく冷たい街になっていたりする。多くの場合、主人公の感情の浮き沈みは激しいため、同じ街でも描写がよく変わる。

上記の引用箇所はラスト、キャロルに電話する前のテレーズの心情を描いたものである。彼女に会う前のテレーズは、監獄のようなデパートで「無駄な行為や無意味な雑用」を強いられていたり、「風は行く手をはばむ人間がいない腹いせのように」街に吹き付けていると感じていたりする。テレーズはニューヨークの街並みを退屈に感じていたのだ。それが「今では同じような場所を見ると心がわくわくして、ためらわずに飛び込んでいきたくなる」とまで言われるようになっている。

そもそもハイスミス作品の主人公は、丁寧で裕福な暮らしをする個人に憧れるか、裕福な暮らしを手放すことが多い。これはほとんどの場合、暴力や殺人に落ちていく過程に使われるが、『キャロル』の場合は恋愛と成長を表すために描かれる。テレーズは良い職にありつけず金銭的に困っているが、キャロルは裕福な貴婦人で、テレーズをセンスの良いレストランに連れて行く。二人は年の終わりに自動車旅行に出かける。ニューヨークを旅立ち、アメリカを横断するかたわら、さまざまな街をめぐっていく。キャロルはテレーズの理想を体現したような貴婦人だが、旅行中、テレーズはキャロルの人間的な面と向き合うことになる。そしてラストではキャロルは離婚して働くことになる。裕福さを手放し、自分の信念に沿って生きることを決める。それまで作中で理想化されてきたキャロルがテレーズの成長によって変わった瞬間である。

ハイスミスの作品のほとんどは主人公が破滅したり何かを失って終わるが、『キャロル』はそうならなかった。それはハイスミス自身の半自伝的な作品だからかもしれないが(他の作品にもその要素は大いに含まれていると思うけれど)、他の作品と違って『キャロル』がハッピーエンドなのは、主人公たちがプライドを持っていたからだと思う。

テレーズはキャロルを形容する言葉を「誇り」と表現する。それはラストシーンでも変わらない。キャロルは疎遠になったテレーズに一緒に住まないかと提案するものの、テレーズは断る。キャロルはすがることはせず(テレーズの恋人だったリチャードとは違って)そのまま立ち去る。テレーズがもはや自分の知っている子供のテレーズではないと悟ったからかもしれない。おそらくその姿勢が伝わったからこそ、テレーズは最後にキャロルのもとへ走り出したのだ。

彼女の他の作品では、プライドはむしろ冷笑的に描かれることが多い。自分の弱さに勝てず嘘をついたり、殺人を犯したりする。もともと、彼女の作品の主人公はしばしば自尊心が低く、自分を哀れな人間だと思っており、現状の退屈な生活に満足していない。

彼女の描く街はどこでも美しい。登場人物たちには暮らしていくのに十分な金や物があり、公園もおしゃれなレストランも揃っている。

ただ退屈である。何かが起こりそうで何も起こらない。人々はそんな街で孤独に苦しみ、ゆっくりと死に向かっている。

キャロルとテレーズもまた、そんな世界で過ごしていた。だが二人は出会い、何もない街と生活を手放した。殺人を犯す必要はなく、ただ自分の信念に沿って生きることを決めればよかった。運命的な出会いが退屈な街を変えたのだ。

ハイスミスもクリスマスシーズンのデパートでアルバイトしていた時期、美しい金髪の女性に出会ったという。彼女は女性に恋をした。ハイスミスは女性の接客をして、配達先の住所と名前を受け取り、二度と会わなかった。彼女は何度か女性の家の近くまで赴き、家を遠くから眺めていたそうだ。

彼女が女性に声をかけることはなかった。物語は終わった。何も起こらない世界で彼女は生きていた。後年の作品は、そんな退屈で冷たい世界を壊すために書かれたものなのかもしれない。運命的な出会いでしか人生が輝かないと彼女が思っていたなら、かなり悲観的な見方だとも思う。それはハイスミス自身も手に入れられなかった幸運だからだ。

(著者 / 隷蔵庫、校正 / ばじるちゃん)
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小説『キャロル』amazon.comページ

 

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