(by チカゼ

大学生のとき年上の社会人の女性と、少しだけ付き合っていたことがある。いわゆるTwitterの裏アカがきっかけで、初めて会ったその日にホテルに行った。告白は、していない。ぼくも彼女も「付き合おう」「好きだよ」などという明確な約束は、最後まで口にしなかった。違う、できなかったのだ。

彼女と会うのはいつも決まって恵比寿駅だった。あのあたりはこじんまりしたバルが裏路地にいくつかあるし、駅からほど近い場所にホテル街もある。新宿二丁目みたいなあからさまな場所よりも、かえってぼくたちを隠してくれる気がしたのだ。だからぼくも彼女も、恵比寿を好んだ。

でもひとつだけ、恵比寿で嫌な場所があった。それが、JRの改札前だ。終電近くなると大学生くらいの男女がどこからともなく現れ、ぐにゃぐにゃと腕や脚や舌を絡ませ合う。蛍光灯に群がる虫みたいに、なぜだか決まって奴らは改札前に集合するのだ。ぼくはそいつらを横目に山手線で家路につく彼女を見送りながら、「いいよなあんたらは。ぼくたちはおやすみのキスはおろか、手さえ繋げやしないというのに」と胸の中でいつも毒づいていた。

『ブロークバック・マウンテン』を初めて観たのは、たぶん中学生のときだ。中学3年生のある朝学校に着くと、ヒース・レジャーの訃報で教室中がざわついていたのを今でも鮮明に覚えている。ぼくはこの映画で彼を好きになったから、そのときショックだったということはすなわち、その時点ではすでに観賞していたはずだ。ただ、どこで観たのかはまったく思い出せない。今調べたら、公開は2006年となっていた。友人の家だろうか、それとも映画館だろうか。記憶にあるのは、観終わったあとに泣きすぎて頭が痛くなったことだけだ。

舞台は1963年夏、ワイオミング州。ヒース・レジャー演じる寡黙で繊細なイニス・デルマーと、ジェイク・ギレンホール演じる陽気でハンサムなジャック・ツイストが、ブロークバック・マウンテンで羊番をする季節労働者として雇われるところから始まる。冒頭、車のバックミラーから熱っぽい瞳でイニスを盗み見るジャックと、その視線に気づいていながら黙り込んだままのイニス。この運命的な出会いの場面から、すでに2人の関係は決まっていた。動くのは、いつもジャックだ。イニスは最後まで、ジャックと真正面から向き合うことはしなかった。

ブロークバック・マウンテンでの過酷な労働の中、ある晩ジャックに誘われる形で、2人は関係を持ってしまう。しかし、イニスにはすでに婚約者がいた。山の風景の中でじゃれあって転げ回るイニスとジャックの姿があまりにも美しいのは、刹那的なものだからだろうか。やがて2人の関係を悟った雇い主・アギーレから、当初の予定よりも1ヶ月早く労働契約終了を告げられる。別れの直前、やり場のない激情を文字通り殴り合ってぶつけあう姿に、胸が軋んだ。

60年代の、同性愛者への差別が苛烈なこの時代では、イニスとジャックが「恋人」になることすら難しい。ただ恋に落ちただけなのに、一緒にいたいだけなのに、それすら叶わない。そのため下山後ジャックと別れたイニスは、路地裏で慟哭するのだ。

それでも4年後、諦めきれないジャックは、結婚したイニスを訪ねる。この再会が結局は、イニスの人生を狂わせることになってしまった。おそらくジャックが動かなければ、イニスはこのまま妻アルマや娘たちと平穏な人生を送ったに違いない。イニスはアルマに恋はしていなかったものの大切には思っていたし、なにより娘たちのことは愛していたから。

再会をきっかけに、2人は年に数度、山中で逢瀬を重ねるようになる。ジャックはイニスに2人で牧場を経営しようと誘うが、イニスは頑なに頷かない。家庭を壊す勇気も、町中の人間たちからの迫害に立ち向かう勇気も、イニスにはない。20年ものあいだ関係を続けながら2人ができたのは、人里離れた場所で束の間抱き合うこと、たったそれだけだ。ぼくと彼女が、ホテルの中でしか触れ合うことが叶わなかったのと同じように。

ぼくも彼女も、イニスもジャックも、ただ恋に落ちただけだ。誰にも迷惑をかけていないし、誰をも傷つけなどしていない。お互いがお互いと一緒にいること、それのみを切望していた。

ジャックはもとより男性しか恋愛対象じゃないのではないか、とぼくは推測している。そしてイニスはたぶん、ジャックと出会う前までは女性としか交際経験がないように見えた。ジャックと初めて体を重ねた翌朝、イニスは言い訳みたいにこう言う。

「俺はゲイじゃない」

彼女もまた、レズビアンだった。恋愛対象は女性のみに限られ、男性に惹かれたこと/惹かれることは今までもこれからも一生ないと、そう言っていた。だからずっと、ぼくは言い出せなかった。自分が本当は、女性にも男性にも惹かれる人間であることを。そのことがずっと後ろめたくて、ある日とうとう酒の勢いに任せて打ち明けた。

「ぼく、男の人とも付き合ったことがあるんだよね」
努めて明るく、なんでもないことのようにそう言って、ぼくはハイボールを煽った。その日ぼくと彼女は狭いバルのカウンター席の端っこに並んで座っていたから、肩と肩がわずかに触れ合っていた。だからすぐに、さっきまではしゃいでいた彼女の体からすうっと熱が失われていくのがわかった。

彼女の顔を見ることが、できなかった。固い沈黙がぼくと彼女の間に横たわり、ぼくは息を詰めて彼女が言葉を発するのを待っていた。やがてぽつりと、落とすように彼女は言った。

「男の人もいけるんだったら、そっちにしときなよ。だって、結婚できるじゃん」

彼女の口元が引き攣ったように笑うのを視界の端で捉えたとき、「あ、終わった」と思った。もうきっとこれが、最後になるんだろうな。それがわかっていたのに、その日もぼくは彼女と手を繋ぐことができなかった。行き場を失った手のひらを所在なくひらひらと改札前で振って、いつも通り彼女の背中を見送った。堂々といちゃつく男女の、すぐ真横で。

ぼくが彼女に付き合おうと言えなかったのは、そしてイニスがジャックと一緒になる決意ができなかったのは、ぼくやイニスが臆病だったからだろうか。彼女のあの言葉に「どっちでもいけるからって男の人を選ぶわけじゃないし、今ぼくが好きなのはあなたなんだよ」と言い返せていたら、イニスがせめて離婚した時点で腹を括っていたら、ぼくは彼女と、イニスはジャックと、正式に恋人同士になれたのかもしれない。

でも、本当に? 本当に原因は、ぼくやイニスが意気地なしだったせいだろうか。

一緒に暮らそうと説得するジャックに対し、イニスは故郷で迫害されていた牧場暮らしのゲイカップルの話をする。ある日その片方が、ペニスを縛られて車で引き摺り回され惨殺されたこと。

ぼくたちは、ペニスを/クリトリスを縄で縛られ、千切れるまで車で引き摺り回されねばならないほどに、気持ちの悪い生き物なのだろうか。町中の人間に後ろ指を刺され、嘲笑され、尊厳を踏み躙られねばならないほどに、醜い存在なのだろうか。

ジャックは、イニスと一緒になる決意を固めていた。物語の終盤ジャックの訃報を受けてイニスが彼の実家を訪ねたとき「ジャックはイニスとともに実家の牧場を立て直すつもりだった」と、彼の父は言う。でもジャックは、ペニスを引きちぎられたあの死体を目撃していない。最後の逢瀬で「俺を楽にしてくれ、もう耐えられないんだ」と泣き崩れるイニスを責め抜けないのは、ジャックもそれをわかっていたからだろう。

物語の舞台は60年代から80年代、映画の公開は2006年。その2年後に、イニスを演じたヒース・レジャーは28歳で急逝した。それから約5年後、ブロークバック・マウンテンでしか愛し合うことができなかったイニスとジャックと同じように、2010年代のぼくと彼女は恵比寿駅改札前で手すら繋げなかった。そして今年、2021年。ぼくはとうとうヒースの年齢を追い越したというのに、今回の総裁選では同性婚について「結論に達していない」と主張する人が選ばれた。なにも変わっていない、こんなに時間が経っているのに。

ジャックがクローゼットの奥にこっそりと隠し持っていた、イニスのシャツ。その上に被せるように、抱きしめるように、自分のシャツをかけたジャックと、最後まで彼に「愛してる」とすら言わなかったイニスに、思いを馳せる。それを自らのトレーラーハウスに持ち帰り、イニスはジャックのシャツの上に自分のシャツを着せ直して保管していた。

最後の場面でイニスは、 “I swear…”と呟く。「永遠に一緒だ」という日本語訳がつけられていたが、ぼくは結婚式の誓いの言葉に限りなく近い気がした。そしてそれは、あまりにも遅すぎる告白だ。生きているあいだに、ジャックは聞きたかったはずだ。その言葉を20年間、彼はずっとずっと待っていた。でも、悪いのはイニスの臆病さじゃない。彼女に「付き合って」と言えなかった、ぼくの情けなさなんかじゃない。

愛する人と、生きたい。イニスとジャックが望んでいたのは、それだけだったはずだ。せめて現実の世界では、そうなれる社会にしていきたい。こんな胸の痛いラブストーリーなんて、「昔は大変だったんだね」とただ切なくなるだけにしたい。この映画を観て頭が痛くなるほど咽び泣いたりなんて、もう本当はしたくないのだ。

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(C)2005 Focus Features LLC/WISEPOLICY
「ブロークバック・マウンテン」映画.comページ

 

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