(by こばやしななこ)
うら若き16歳の春、私は新撰組に熱狂していた。
司馬遼太郎の歴史小説『燃えよ剣』のせいだった。
『燃えよ剣』は土方歳三がまだ何者でもない道場に通う若者だった頃から、新撰組の副隊長となって五稜郭の戦いで最期を迎えるまでを描いた作品だ。
かなりのエンタメ小説で、私はすっかり土方歳三と新撰組の虜になった。小説はなぜか土方歳三が野グソをするシーンから始まり、読み始めた時はかなりギョッとしたのだが……そんな野グソ男が途中からかっこよく見えて仕方なくなった。農民の階級で武士に憧れていた土方歳三が武士階級の男も敵わぬサムライ魂で本物の武士になる話にグッときまくっちゃったのだ。
新撰組に目覚めた私は新撰組をモチーフにした漫画を読み漁り、大河ドラマの『新撰組!』を全話レンタルし、図書館で司馬遼太郎の『新撰組血風録』を借りてきた。毎日のようにPCで「土方歳三」と検索し、夢小説なるものを初めて読んだ。
新撰組ブームは夏まで続き、土方歳三が1番だけど斎藤一も沖田総司もたまんないなぁなどと考えることに青春を費やしていた。
高校2年の夏休み、周りの友だちが皆オープンキャンパスに参加する中で私は母に「大学は見に行かなくていいから新撰組の屯所を見に行きたい」と頼んだ。
屯所(とんしょ)とは、兵士が駐在する警察署のような場所だ。新撰組は京都の治安維持(倒幕派の取り締り)をする組織で、京都市内の壬生屯所(みぶとんしょ)を拠点にしていた。
母は私の熱意に押されたのか、京都行きを快諾してくれた。生まれて初めて1泊2日のひとり旅をすることになった。
あと少しで土方歳三に会える(会えない)。そんな想いでバスに乗り込み、京都に着くまでずっと舞い上がった状態だった。遠距離恋愛の彼に会いに行くのってこんな感じなのだろうか。
ホテルに着いて荷物を置くと、はやる気持ちで屯所の跡地に向かった。
夏休みシーズンの屯所は観光客でごった返している。私はここにいる客の中で自分が最も土方歳三を愛していると疑わなかった。彼が実際にいた場所に足を踏み入れ「あぁ、今、私と土方さんは時代を超えてひとつになるのね……」みたいな意味不明なカタルシスを覚えていた。
ハイテンションになった私は、観光客の案内をするスタッフのおばちゃんに「燃えよ剣を読んで来たんです!」と言ってみた。そんなヤツは腐るほどいるはずなので「あぁ、そうですか」と淡白な反応しかなかった。
おばちゃんに受け止めてもらえなかった何かを持て余しながら、奥の間へと進む。
そこではガイドさんが部屋の鴨居に残る刀傷について解説していた。
刀傷は新撰組の最初の初代リーダーである芹沢鴨(せりざわかも)が暗殺された時についた傷である。
新撰組の局長といえば、近藤勇だ。しかし初期の新撰組は、江戸から来た近藤派と水戸から来た芹沢派が合流したものだった。局長は最初3人いて、芹沢鴨が筆頭局長になっている。
ある大雨の夜のこと。芸妓と酒を飲んで盛大に楽しんだ芹沢鴨は屯所で寝ていた。そこを土方歳三はじめとする近藤派が数人で襲い、芹沢鴨を暗殺したのだ。一緒に寝ていた芸妓のお梅まで殺された。
ガイドが話すこの「芹沢鴨暗殺」の話は、あらゆる創作物に書かれていたので当然知っていた。
知ってはいたが、本当は何も知らなかった。詳細を聞きながら刀傷を眺めていると、土方歳三や沖田総司が寝ているお梅を一思いに殺める様子が浮かび上がってきた。
ただならぬ気配で目を覚ます芹沢鴨。彼は丸腰で隣の部屋に逃げ込むが、呆気なく斬りつけられ倒れ込んだ。息絶えるまでどれほどだったのだろうか。
目の前の部屋が芹沢の血で染まっている光景を想像してしまった。血の匂いまでしてくるような気がした。
「土方さん……ただの人殺しじゃん」
サササー。と土方歳三への気持ちが冷めていくのを感じた。
せっかく会いにきたのに、酷いよ土方さん……あなたを知らず勝手に好きになった私が悪いの?
小説ではなんだか芹澤を殺すのに正当な理由があるような印象を受けたが、やはり複数人で寝込みを襲うなんて正気の沙汰じゃない。
殺人の現場をリアルに想像してしまってダウナーになった私は、夏の暑さとショックで意識も朦朧としてきてふらふらと屯所を後にするのだった。まだ着いたばかりなのに、京都に来た目的を見失って呆然としていた。
今でも新撰組のことを思うと、ふわりと血の香りがしてくるような気がしてならない。
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