(by 碧月はる

『ちいさなちいさな王様』という物語がある。ドイツの作家、アクセル・ハッケのベストセラー小説だ。ミヒャエル・ゾーヴァの挿絵が美しい本書は、一見御伽噺のような風貌を醸しつつも、哲学的な要素を持ちあわせている。

王様の世界は、年齢を重ねるごとに身体が縮んでいく。その代わり、想像の世界は雲のように膨らんでいき、年を経るごとに自由を手にする。人間の世界とは真逆の時間軸と価値観を持つ王様が、主人公である「僕」に放った印象的な台詞がある。

おまえたちは、はじめにすべての可能性を与えられているのに、毎日それが少しずつ奪われて縮んでいくのだ。……中略。おまえたちの想像の世界はどんどん小さくなっていき、知識はますますふくれあがっていく。そうじゃないのかね?

『ちいさなちいさな王様』より

やさしい言語で容赦なく内面を揺るがしてくる王様に、かすかな苛立ちと羨望を覚える。それなのに、何かに行き詰るたび、気がつくとこの本に手を伸ばしている。赤いマントを羽織った小太りの王様は、いつも我関せずな顔をしてそっぽを向いている。まるで、「おれはおれの言いたいことを言っているだけだ」とでも言わんばかりに。

仕事、子育て、プライベート。ただ生きているだけで、悩み事は尽きない。解決していない悩みに、新たな悩みが加わる。そうやっていっぱいになった脳内は、急かすように心を蹴とばす。蹴とばされて委縮した心はみるみるパフォーマンスを落とし、余計に解決の糸口から遠ざかっていく。

煮詰まった頭を切り替えるべく、近所の水辺を散歩した。鬱蒼とした葦の茂みに、桃色の小花が彩りを添えている。木々の葉色は薄緑から濃緑へと移り変わり、紫陽花の花びらは趣深く色褪せている。草いきれの匂いがむっと立ち込めた。このむせ返るような匂いが、毎年夏を連れてくる。

何とはなしに歩いている途中、一羽の鴨が目についた。身体をおかしな方向に捻り、斜め後ろに首を傾げながらゆっくりと歩いている。どこか怪我をしているのだろうか。そう思い、じっと目を凝らした。進まんとしている方向と目線の位置が、大きくずれている。目線の先を見やると、何やら生き物の気配を感じた。唐突に顔を出したそれらを見て、思わず破顔した。薄茶色の産毛をまとった、鴨の雛がそこにいた。

全部で6羽の雛鳥たちは、一度顔を出すと臆面もなく傍に近寄ってきた。自然界の生き物らしからぬ警戒心のなさに、思わずこちらが狼狽えてしまう。親鴨は私をじっと見つめているが、威嚇する気配はない。この公園は日常的に人が多く訪れるため、餌付けされて人慣れしているのだろう。

「世の中は、“安全な人間”ばっかりじゃないよ」

思わずそう呟き、ひとり苦笑した。“安全な人間”とは、果たして何だろう。私は少なくとも、鴨の赤ちゃんを攫ったり危害を加えたりはしない。だからといって、私が“安全な人間”であるとは限らない。

「もしも私が“悪い人”だったら、どうするのよ」

「何言ってるの?」という顔で小首を傾げる雛たち。あまりにもあどけないその表情を前に、私は小さく笑いながらスマホカメラを構えた。カシャッというシャッター音が静かな水辺に響く。音に驚くどころか益々興味深げに近寄ってきた雛の一羽は、すぐにでも手が触れられるほどの近さだった。ふわふわの柔らかな産毛。温かそうな身体。昔一緒に暮らしていたウサギの毛並みを思い出し、手を伸ばしそうになった自分を慌てて押し留めた。人以外の生き物は、特に野生を生きる命は、人間の愛玩物ではない。気まぐれで与えた愛が、その生き物の命を縮めてしまうことも往々にしてある。幼い頃は、命を手なずけることが「やさしさ」だと思っていた。しかし、「手なずけたせい」で呆気なく命を落とす生きものがいることを、年と共に学んだ。知っているから踏みとどまれる。知っているから動けない。その狭間で生きる私の目の前で、好奇心丸出しの瞳がきょろきょろと動いている。黒曜石のように黒々とした球体。その奥の光に、しばし見惚れた。

生まれて間もない生きものは、無条件に愛しい。目にした途端、自然と頬が緩み、凝り固まった心がほどける。小さな身体を必死に動かす仕草。しぱしぱと瞬きを繰り返す濡れた瞳。全身から溢れ出る好奇心。ほとばしる生命エネルギーが、目には見えなくとも肌を押されるように内側に流れ込んでくる。

息子たちを生んだ日のこと、その後続いた怒涛の数か月を想起した。言語を持たない彼らは、「泣き声」という意思表示を持ってして、朝から晩まで「生きたい」と訴えていた。お腹が空いた。オムツが濡れた。寒い。暑い。眠い。不快だ。痛い。痒い。あらゆるSOSを、「オギャー」という叫び声で表現する。そこに一切の迷いや躊躇いはなく、いっそ清々しいほど、欲望に忠実だった。生まれてきた意味を考える余地など、微塵もない。自分は、愛され、守られ、育まれるべき生きものである。そう信じているからこその容赦ない甘えっぷりは、それはそれは見事だった。抱き上げてゆらゆらと揺れる私の目を、じっと見つめる。微笑むと、微笑み返す。どんなに振り回されようとも、それだけで最終的には満たされてしまう自分に、もはや笑う他なかった。

時を重ねるごとに、赤子特有の光はゆっくりと薄れていく。知識や経験、教養と引き換えに、私たちは二度と取り戻せない何かをどこかに置き忘れ、置き忘れたことにさえ気づかぬまま、日々に追いかけられている。

ちいさな王様は、「はじめにすべての可能性を与えられているのに、毎日それが少しずつ奪われて縮んでいくのだ」と言った。大人になることは、小さく狭くなっていくことなのではないか、と。それはまごうことなき事実であると思う一方で、それだけではないと反発したい自分もいる。私たちは、与えられた可能性のなかから「欲しいものを選び取ってきた」のだ。奪われて縮んだ心もたしかにあるだろう。だが、自ら捨てると決めたもの、代わりに手にしたもの、そこから生まれたものがある。「大人になってしまった」と憂いて生きるより、大人になれた自分がこれから何を選択していくのか、そこからどんな可能性が広がるのかを想像しながら生きるほうが、明日への足取りは軽い。

ぽちゃん、という音を立てて入水した鴨の親子が、悠々と湖面を渡る。雛の産毛は、しっかりと水を弾いていた。生まれた瞬間からサバイバルがはじまる野生動物は、小さなうちから環境に適した身体の構造を持ち合わせている。生まれる。生き延びる。大人になる。それを当たり前とする世界で生きているのは、おそらく人間だけだ。

「元気でね」

心で呟き、私も腰を上げた。夕暮れどきの風は、心地よく冷たい。水面を風が撫でる。巻き起こる小さな波紋を、鴨たちが横切った。その光景を眺めながら、煮詰まっていた脳内の温度がかすかに下がっていくのを感じていた。葦の葉が揺れる。さわさわと奏でる音の向こう側で、高く、水鳥の声が空を舞った。

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画像提供:碧月はる

 

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