(by みくりや佐代子

生活の中に「キリトリ線」がある。それをプチ、プチと少しずつ千切っていくような2週間だった。産休前の引き継ぎを通して「わたししかできない仕事」は「他人にもできる仕事」へと移行した。キリトリ線を千切り終えた時、「働く自分」が社会から完全に剥がれてしまった。

最終出社日に貰った花束を花瓶に生けたら1週間で枯れた。しおれて縮んだひまわりの黄色を人差し指で撫でながら、どうしようもない不安に駆られていた。やりがいのあった仕事を出産で離れてしまうこと。同じ業務に戻れる確証はどこにもないこと。仕事や出産が終わっても、今度は終わりなき育児が待っていること。

中でも最も大きな不安として心にこびりついていたのは、上のふたりを育てているために「こなせる人」だと思われてしまうことだった。誰もが(もちろん私も)、「一度経験があれば二度目はもう大丈夫」と解釈してしまう。
現に今、私は数多くの「おめでとう」に囲まれながら、「ダメかもしれないです」とは絶対に言えなかった。ダメかもしれないです。怖いです。だって、何にも覚えていないです。10年前と7年前に、二度の出産を乗り越えたことを。

そんな時はいつも「母は強し」という言葉を恨んでしまうのだった。確かに母親ならば、何かに耐えねばならない場面がある。腹を括らないといけない場面がある。けれど本当は足が震えていたことも、隠れて涙を拭いていたこともある。

だから「母は強し」は真理なのではなく、これまでの多くの母親たちの強がりの連鎖なのかもしれないと、そんなふうに考えてしまうのだった。

とある梅雨の日、ネットニュースを見て思わず「うそ、」と声に出た。一緒にいた友人の「どうしたの?」に、情報を整理して返すのにも時間がかかった。

「死産だって。信じられん」

出産予定日が近くて勝手に親近感を抱いていたタレント夫婦がSNSで死産を報告していた。真摯な文章から悲痛さが感じられ、読んでいるこちらまで苦しくなる。会ったこともない、一方的に応援していただけのその女性は偶然にもちょうど同世代だった。

「かわいそうに。28週の壁ってやつかな?」

友人の口にした言葉に気持ちがさらに沈んでしまった。そうだ、「28週の壁」、聞いたことがある。28週とは無事、妊娠後期にさしかかる時期のこと。

私はこの「壁」という言葉が本当に苦手なのだ。

これまで「壁」という言葉を数々耳にしてきた。妊娠9週の壁。つわりのピークでもあり、一度確認された胎児の心拍が突然途絶えてしまうことがあると言われている。それから16週の壁。安定期に入るかどうかの瀬戸際。32週の壁もある。32週を過ぎれば、たとえ早産となっても一気に生存率が上がるらしい。

妊娠以外にも「壁」はある。103万の壁……税金の配偶者控除について。小1の壁……母親の仕事の続けにくさについて。そういえば婚活に励む友人が、結婚の年齢にまで壁という言葉を用いて言及していた。

壁、壁、壁。さすがに多すぎやしないか、壁。女性の前にばかり立ちはだかる壁。もっと恐ろしいのは、新たな「壁」が造語となって、これからも増え続けていくのだろうということ。

ネットニュースを閉じて、心の中で唱えた。この先どんな選択をするにせよ、タレントである彼女の生活が笑顔で溢れますように。届かない「メディアの向こう側」を想像し、静かに祈るしか私にできることはないのだった。

夜中、ひきつるような痛みで目が覚めた。妊娠8か月を超えた時期から胎動がより激しく、一晩通して眠れないほどになっている。
おなかの中を泳ぐ、くらげのような私の赤ちゃん。くらげが身体の借主で、家主は私のはず。それなのに遠慮もなくグイグイと皮膚の内側を押して圧をかけてくる様子が、なんともあつかましくて笑ってしまう。

「この時期の赤ちゃんは20分ごとに寝たり起きたりしてるんだって」

以前息子にそう話したことがある。20分だけ眠るくらげ。手も足も生えたくらげ。目が覚めたらうごめいて、その存在を知らせてくるくらげ。こちらの都合などお構いなし。そのあつかましさを命の不思議と呼んで、私たちは受け入れてきたのだった。

「お母さん大丈夫?」
「うん、大丈夫」

ついでにトイレに立ったことで起こしてしまったのだろうか、小学生の息子が寝ぼけまなこで尋ねてきた。普通なら親が夜中に目覚めたことに対して子供が「大丈夫?」とは聞かないだろう。無意識のうちに変なうめき声でも出していたのかもしれない。

ふと「壁」のことを思い出した。妊娠初期の出血や、数々の「壁」を乗り越えて妊娠9か月となったくらげは、強い子なのだろうか。死産となってしまったあの女性の子供は、弱い子だったのだろうか。

それは違う、と強く思った。強い子、弱い子、遺伝子、運命。それらは私たちが勝手にそう呼んで、勝手に納得しようとしているだけ。

痛いほどの胎動の「あつかましさ」よりも、親の私たちの解釈のほうがよっぽどあつかましくて身勝手だった。

妊娠や出産を選択することも、数々の「壁」を設けることも、命を強さと弱さで分けることも、あつかましさと身勝手さの上で成り立っている。

7年前の帝王切開で残ってしまった、縦に伸びる10センチほどの跡。ここを再び丁寧に割いて、8月、くらげは産まれてくる。

産休というキリトリ線で社会から切り離され「会社員」から「主婦」になった私は、出産までの1か月間のんびりと過ごしている。おなかの中のくらげと身体を共有して、大きさの違う2つの心臓をおさめている。

「お母さん大丈夫?」

夏休みに入ってずっと家にいる息子は、朝も夜も飽きずに同じことを尋ねてくる。「うん、大丈夫」と返すそのたびに、この子もかつてはおなかの中のくらげだったのだと思い返して不思議な気持ちになる。

くらげがこの世界に生まれ落ちて、10年かけてこの兄のような優しさを育むのを、私はもう一度眺めるのだろう。忙しかった20代、覚えていることより忘れていることの方が多いくらいだ。今度はちゃんと見つめたい。逃さず見つめたい。

「どっちにする?桃とりんご」
「りんご」

冷凍庫からアイスを取り出して、並んで食べた。私と息子とくらげ。テレビではオリンピックで獲得したメダルのニュースが流れている。身勝手さの上に成り立つこの幸せを、「日常」という宝物のフォルダに保存した。

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画像:kazukanさんによる写真ACからの写真

 

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