(by ハシマトシヒロ

さて。

前回の記事を通じて、入門編としての“ヒーロー・千葉真一”を堪能してもらえたと思う。主演映画の面白さをわかってもらえたと思う。

本番はここからだ。今までの二作品は前座にすぎない。勝手に料金に加算されている、突き出しにすぎない。

この映画を見せるために、あえて“ヒーロー千葉ちゃん”を見せたんだ。大いなるギャップを味わってもらうために。ギャップに叩きのめされて、再起不能になってもらうために。

最後の作品は、『仁義なき戦い 広島死闘篇』(‘73)だ。刮目して観よ。

この作品は、深作欣二監督の不朽の名作である『仁義なき戦い』シリーズの二作目である。現実にあった、戦後すぐから二十年にわたる広島ヤクザの抗争を全五部作に渡って描く、日本映画界の“宝”である。

「五部作全部観なあかんの!?」と思った方。心配ない。この『広島死闘篇』は“番外編”的な位置づけなので、これだけ観ても大丈夫。いや、もちろん時間のある方は、全部観て欲しい。“映画好き”を自称する方なら、この作品はマストだ。時間がなくても作れ。大丈夫。人間二晩ぐらい寝なくても死なない。アマプラは初月無料だ。

このシリーズを通しての主役は言うまでもなく菅原文太だが、この『広島……』に限っては北大路欣也が主役だ。

“戦争に行き損ねた軍国少年・山中正治(北大路)は、無銭飲食を咎められ、大友勝利(千葉真一)率いる大友連合会の面々に半殺しの目に合う。あわや殺されそうなところを村岡組組長・村岡常夫と、その姪・靖子(梶芽衣子)に助けられた山中は、大友に復讐するために村岡組のヒットマンとなり、やがて靖子と恋に落ちる……”

戦争に行けなかった負い目を背負い、常に鬱屈して破滅へ破滅へ向かっていく“陰”の主人公・山中。

自らの欲望(主に性欲と金銭欲)に忠実に行動し、派手に無邪気に暴れまわる“陽”の悪役・大友。

この徹底的なコントラスト。本来主役は北大路なのだが、千葉ちゃん演じる大友に憧れる男子続出……だったと予想する。実際、学生の頃の僕がそうだった。

ただ、今回この記事を書くに当たり、「千葉ちゃん演じる大友は、今だとコンプライアンス的にギリギリだなぁ……」という懸念があった。

もう一度この作品を見直してみて、その懸念が杞憂であることがわかった。
「ギリギリ」ではなかった。完全アウトだった。

まずセリフがアウトだ。

「村岡が持っとるホテルは何を売っちょるの? 淫売じゃないの。言うならあれら、✕✕✕の汁でメシ喰うとるんぞ。のう、親父さん。神農じゃろうと博打打ちじゃろうとよ、わしら美味いもん喰うてよ、マブいスケ抱くために生まれて来とるんじゃあないの!?」

とりあえず僕は、“モテるライター”になることは諦めた。千葉ちゃんの素晴らしさを伝えるためには、そのような煩悩は捨てねばなるまい。大友は煩悩のカタマリだが。

ただ、“モテるライター”になることは諦めたが、“嫌いなライターNo.1”になりたいわけではないので、少しだけ自己弁護の時間をください。上記のセリフ、字面で見ると凄まじいし、女性の方なら嫌悪感を抱く方もおられよう。でも騙されたと思って、一度本編を観て欲しい。

嫌悪感、ない! いや、それどころか耳に心地よい! これは、千葉真一の天性のリズム感によるものである。

基本、このシリーズにおける広島弁は、低く渋くゆっくり喋るキャラが多い。ちゃんとこの作品を観てない方でも、菅原文太がドスの効いた広島弁を喋る映像などは、観たことがあるのではないだろうか。

本来千葉真一も、低く渋く喋るイメージだ。ただ、この作品においては、従来の自分のイメージを完全にぶち壊しにかかっている。高い声で早口でリズミカルに速射砲のように喋る! それがまた、音楽を聴いているように心地よいのだ。下品で暴力的なキャラなため、どぎついセリフのオンパレードなのだが、1ミリもイヤじゃない(僕的には。女性には、怖くて確認したことない)。

この作品、千葉真一の大友と北大路欣也の山中が、「ハナから当て書きだったんでしょ?」ってぐらいにハマっている。

だが実は、当初の予定では配役が逆だったのである。

“愛と純情の哀しきヒットマン”山中のセリフを全て覚え、演技プランも考え、役作りも完璧で、あとはクランクインを待つだけとなった千葉ちゃん。ヒロイックでナイーブで悲恋エピソードもプラスされた男前の主人公である。当時の千葉ちゃんは、ブロマイドの売れ行きもトップクラス、少女漫画誌の表紙を飾ったりもしていた頃である。「またこれでモテてまうやん!」と思ったかどうかは知らないが(少なくとも関西弁ではないだろうが)、ウキウキして撮影を待っていたと思われる。

だが、そんな千葉ちゃんのウキウキを、北大路欣也が打ち砕く。

クランクイン十日前になって、「大友役は下品だからイヤ。僕が山中をやりたい」と言い出した。

大スター・市川右太衛門の息子であり、いわばサラブレッドの北大路欣也。
かたや東映ニューフェイス出身の、いわば叩き上げの千葉真一。
会社がどちらの言うことを聞くかは、火を見るよりも明らかで。
かくして、千葉ちゃんの役作りも妄想も全て無駄となり、「北大路憎し」の憎悪の炎を燃やすのであった(筆者の想像)。

序盤、大友一味による山中への凄惨かつ長いリンチシーンがある。このシーンがどう見ても演技に見えない。これも、千葉ちゃんから北大路への「怒り」の現れであろう(筆者の想像)。

とまれ、北大路欣也のわがままから生まれた“化学変化”が、この映画を唯一無二の映画にしてしまった。

本来の配役のまま撮影されていたら、どうなっていただろう。千葉真一も北大路欣也も名優である。結局名作になったとは思う。ただ、“ナイーブさの中にも微妙にギラギラ感が見え隠れする山中”だったり、“下品な振る舞いの中にもついつい育ちの良さがにじみ出る大友”になってしまったような気もする。

やはり、これで良かったのだ。

****

昔、香港の若者が、憧れの“サニー千葉”に会うために東映京都撮影所を訪れた。千葉真一は、その若者にアドバイスをした。

「自分の役なのに、危ないシーンだけ他人に吹き替えさせていたら、それはもはや自分の作品ではない。自分で全部やってこその俳優だ。それが出来ないなら、役を受けるべきではない」

若者はアドバイスを忠実に守り、どんな危険なシーンでも自ら演じた。高さ20メートルの時計台から落下し、頸椎を損傷した。頭から岩に落下した時は、頭蓋骨を骨折した。生死の境をさまよいながらも“サニー千葉”からのアドバイスを愚直に守りとおした若者は、香港映画だけにとどまらず、世界的な大スターとなった。

若者の名は、「ジャッキー・チェン」と言った。

このジャッキー・チェンだけではなく、すべての“サニー千葉チルドレン”に千葉真一が伝えたかったことは、おそらくこの言葉に集約される。自らがアクション監督も兼任した『将軍家光の乱心 激突』(‘89)のキャッチコピー。

“命がけだから、おもしれぇ。”

僕たちも、命をかけるか。
僕たちも、“サニー千葉チルドレン”なのだから。

++++
(C)東映
『仁義なき戦い 広島死闘篇』映画.comページ

 

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One thought on “【武道家シネマ塾②】どんなに大人になっても僕等はサニー千葉の子供さ(後編)”

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