【乙女ゲームレビュー】『灰鷹のサイケデリカ』〜魔女に向けられた篝火が照らす数奇な運命〜

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(by すなくじら

女性向け恋愛シミュレーションゲーム、通称「乙女ゲーム」におけるの最大の魅力は、わたしたちプレイヤーが“神の視点”から登場人物の生き様を追いかけることができる点にあると考えている。

現実世界においてわたしたちは、自分の物語を紡ぐことを宿命としてこの世に生を受ける。自分は誰の生まれ変わりなのかも分からず、前世で縁あった人と再び出逢うことができたのかの答え合わせすらも叶わない。恋路に至ってはたった一人の誰かと添い遂げるが最後、幸か不幸か、他者と結ばれた際の物語の結末を目の当たりにすることは当然の如く不可能である。

乙女ゲームにおいてわたしたちの持つ“神の視点”によって、全ての情報はプレイヤーの手中に収められる。パラレルワールドの全ての結末を把握したうえで物語がどのような結末を迎えるのかを見守ることができるのは、まさに神の特権と言えよう。

そんな乙女ゲームの持つ特異性が最大限に活かされているのが、本作『灰鷹のサイケデリカ』(PS Vita)である。前提として、この作品は前作『黒蝶のサイケデリカ』(こちらについては過去記事を読んでいただけると大変喜ばしく思う)に続く作品である。しかし完全なるアフターストーリーとは異なっており、主人公含む登場人物も全くの別物。

ところがその中で輪廻転生を経て前作の記憶を持つキャラクターがいたり、結章では現代をテーマに前作と本作のつながりをチラつかせるような見事なエンドがプレイヤーの心をぐっと掴む。

物語の舞台は、雪に閉ざされたとある街。街は鷹(ファルジ)の一族、狼(ヴォルグ)の一族と称されるふたつの勢力がいがみ合っていた。

主人公の少女・エアルは感情が高ぶると赤くなる右眼を持って生まれる。そしてその赤い眼はこの街では“魔女の証”であり、彼女は禁忌の存在だった。

迫害を恐れない少女は、街外れの森にある朽ちかけた塔で男子として性別を隠しつつ暮らす。慎ましくも、仲間に囲まれ楽しく穏やかな生活は続いた。

しかし、この街にはある秘密があった。それは街全体が生と死の狭間である“サイケデリカ”であり、住民は皆迷える魂であるということだった。そしてその真実を知る者は、とある旅人ただ1人──。

この壮大なスケールの世界感と前作に続く「読ませるシナリオ」こそ、未だに乙女ゲームのファンの間で名作と語り継がれる作品の一つである所以であろう。『黒蝶のサイケデリカ』が雨の降り続く世界であったのに対して、『灰鷹のサイケデリカ』は雪が降り続く世界。一度迷い込んでしまえば、閉ざされた幽暗な物語から、わたしたちはもう出られない。

わたしが『灰鷹のサイケデリカ』において感涙にむせいだ1枚のスチルについて話そう。

わたしのお気に入りは、メインの攻略キャラクターである鷹の一族の息子・ルーガスが魔女狩りとしてエアルを粛清するスチルだ。つまり、結ばれるはずの王子が姫の命を奪う、という通常乙女ゲームにあるまじきストーリー展開がなされているわけであるが、これは街の平和を守るべくエアルが画策した事案でもあった。そしてこのスチルのタイトルは“英雄”だ。街の人にとっての英雄、そして彼女にとっても。

「……お前は、本当に魔女だな」

「え?」

「大勢の前で、愛する女を殺せと頼む……そんなことが頼める奴は、魔女以外の何者でもない」

「嫌な役目をさせてごめん……でも、ルーガスにしかできないことだから」

2人は街外れのスノードロップの花畑で最後の口づけを交わすが、スノードロップの花言葉は「希望」「慰め」そして「あなたの死を望みます」。意味を始めて知ったとき、あまりにも緻密な物語の構成に興奮で背筋が震えた。

『灰鷹のサイケデリカ』において特徴的なのはエアルのピンチにおいて【逃げる】【これは夢】というような選択肢が繰り返し登場することである。その選択の先に待つのはbadエンドではなく、現実から目を背け幸せな夢の中で思考を放棄した世界を示唆している。

前作に続き『灰鷹のサイケデリカ』でも、登場人物の視点によってかなりハッピーエンドの位置付けが異なることは印象深い。結章がいわゆる大団円ルートに値する内容にはなっているものの、その他多くの“メリーバッドエンド”によって救われるキャラクターも存在するが故に、「個々の幸せの形は一概には定義付け出来ない」というメッセージをわたしたちに伝えているようにも感じられるだろう。

わたしたちの暮らす現実世界は、ほんとうはいつだって複雑で多面的である。しかし神の視点を持たぬわたしたちは、自分の選んだ選択肢の結末に向かって、走る白ウサギを追いかけることしかできない。だから仮にその道中追うべきものから逃げてしまっても、道を引き返したとしても、選んだ先の結末が貴方にとっての幸せの在処である可能性を『灰鷹のサイケデリカ』は教えてくれる。

誰かにとっての英雄は、誰かにとっての魔女なのかもしれない。だからこそわたしは現実を生き抜くことが辛くなったとき、何度でも紅の瞳を持つ少女と灰色の世界を旅するのだろう。

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©2016 IDEA FACTORY
『灰鷹のサイケデリカ』公式ページ

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この記事を書いた人

本や映画のコラムを書きながら、日々の生きづらさをエッセイに昇華しています。Twitternoteも。