(by 碧月はる

世界的に著名なミュージシャンである、ボブ・ディラン。彼は「音楽の神さま」と言われている。彼の存在を知ったのは、20代後半の頃。とある映画のなかで、私は“神さま”と出会った。

『アヒルと鴨のコインロッカー』。
伊坂幸太郎原作の小説を、中村義洋監督が映画化した。濱田岳と瑛太がダブル主演を務める他、関めぐみ、松田龍平、大塚寧々ら実力派俳優がそれぞれ個性的なキャラクターを見事に演じている。

大学進学とともに仙台に引っ越してきた椎名(濱田岳)。荷ほどきをしながら口ずさんでいたボブ・ディランの名曲、「風に吹かれて」をきっかけに、不思議な匂いのする隣人、河崎(瑛太)と出会う。
出会ったばかりの椎名に、河崎が言う。

一緒に本屋を襲わないか。

河崎は広辞苑がほしいのだと言った。隣の隣に住んでいるブータン人は、恋人を喪った痛みから引きこもりになっていた。彼を元気づけるために辞書をプレゼントしたい。そのために、本屋を襲いたいのだと。買ったものではなく、盗んだものでなければ意味がない。そう言いきる河崎に、椎名は気圧されながらも惹かれていく。

突拍子もない話の流れであるはずなのに、気がつくとすっかり奥深くに飲み込まれている。過去と現在を行ったりきたりしながら、謎をあちこちに散りばめていく。その伏線が回収される後半、圧倒的な哀しみが画面越しに溢れた。

世の中には、自分以外の生き物を傷つける行為を躊躇わない人間が一定数存在する。誰も彼もが人の痛みに寄り添い、誰かが笑えば喜び、誰かが泣けば泣く。そんな世界なら、きっとこの世に戦争なんてない。この作品のなかにも、そういう人間たちが登場する。彼らが傷つける対象は、自分より小さく弱い、抵抗さえも難しい生き物たちだった。

小学生の頃、野良猫にこっそり餌をやっていた時期がある。喘息持ちの姉がいた実家では、生き物を飼うことは許されなかった。給食の一部をこっそりランドセルにしまいこみ、帰り道を駆けた。いつもの場所でミャアと鳴く小さな子猫は、さして警戒心も見せず、私の手のひらからぴちゃぴちゃとパンや蒲鉾を食べた。私はその子をミイと名付け、ミイもまた、私という人間に信頼を寄せてくれた。

ある日、いつもの場所でいくら呼んでもミイは現れなかった。心配になり辺りを必死に探したけれど、見つからなかった。とぼとぼと家までの道のりを歩いている最中、ふと目に留まった溝のなかに白い毛並みが浮いていた。身体の上に、大きな石があった。背中からうなじにかけて、ぞわりとしたものが這い上がった。哀しみを凌駕する怒りが、私の内側で暴れていた。

喪われた命は、決してかえらない。どれだけ願っても、どれだけ叫んでも、その声は空に吸い込まれ、やがて土に還る。哀しみの総量がただ降り積もる。そんな日々を独りきりで繰り返した先に狂気が生まれたとして、それを責めることが誰にできるだろう。

河崎が本当に盗みたかったのは、広辞苑ではなかった。彼が取り戻したかったものは、空高く舞う鳥よりも、はるか遠くにいってしまった。

この世に生きている限り、誰しも何らかの罪を犯している。「神さまは見ている」とよく言うけれど、本当にそうなら神さまは一体どこで何をしているのだろう。心ある人ほど己の罪に苦しみ、心ない人により多くのものを奪われていく。
神さまに見られてさえいなければ。そう思った瞬間が、私にもあった。生涯に渡りどうしても許せない人たちがいて、でも私には、河崎のように本屋を襲う勇気はなかった。奪いたいものを奪うよりも、逃げる道を選んだ。

神さまに、見て見ぬふりしてもらおうよ。

そう言って、椎名はボブ・ディランの曲をリピート再生にしたラジカセを駅のコインロッカーに入れた。

これで神さまを閉じ込めた。

罪の後ろ側にある人の想いに触れたとき、断罪する気持ちがふわりと宙に浮く。それが正しいことだとは思っていない。わかっている。何をどう言おうと、罪は罪だ。だからこそ、私は神さまに問いたい。どうしてあなたは、他者の痛みを想像できない人間をこの世におつくりになったのですか。

The answer is blowing in the wind…

ボブ・ディラン~『風に吹かれて』

答えは風に吹かれている。正解も不正解も、正義も悪も、やさしさも憎しみも、どれもこれもが重なりあい、混ざりあい、雑多ななかで人々は日々を生きている。

神さまの声は、今も駅のコインロッカーで鳴り続けているのだろうか。椎名が言ったように、神さまは”見て見ぬふり”をしてくれただろうか。風に乗って流れていくあらゆる声と涙は、いつだってそれぞれの着地点を探している。

音楽の神さま、ボブ・ディラン。彼の歌声を聴くたび、椎名と川崎のことを想う。そして、隣の隣に住むブータン人のことを。私自身が抱えている幾つかの罪とともに、古傷が痛むような気持ちを、ぼんやりと持て余しながら。

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(c) ザナドゥー
『アヒルと鴨とコインロッカー』映画.comページ

 

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