【乙女ゲームレビュー】『黒蝶のサイケデリカ』〜冥界の扉の前でわたしたちが望む幻とは〜

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(by すなくじら

──もう一度、会いたい。
──もう一度会えるなら。

“旅人が尋ねます。どうして君は泣いていたのか、と”
“蝶は答えました。大切な片割れがいなくなって悲しいのだ、と”
“それならば、サイケデリカへおゆきなさい”
“この道のずっと先に、サイケデリカと呼ばれる楽園があって。死んでしまったものたちは、幸せに暮らしているのです”

君の望むものが、もしそこにあるのなら──。

女性向け恋愛シミュレーションゲーム、もう少し砕けた言葉を使うなら「乙女ゲーム」に対して、高い創作性があることをイメージしにくい方もいるだろう。なぜなら、一般的に乙女ゲームに求められているのは「わかりやすくかっこいい二次元のイケメン」であり、複雑な伏線や推理、ましては絶望の欠片がそこかしこに漂うストーリーではないからである。しかしそんな乙女ゲームのイメージを根底から覆す作品が、ここにある。

それが本作『黒蝶のサイケデリカ』(PS VITA)だ。

『黒蝶のサイケデリカ』は、乙女ゲームというよりかは独特の美しいスチルが代表するような芸術要素を取り入れた小説に近い。恋愛要素の糖度も低く、どちらかというと「読ませる」タイプの乙女ゲームだ。そしてなにより、この世界観に漂う拭いきれない絶望感への導線が、ステンドガラスから舞い込む一縷の光を際立たせている。

舞台は謎めいた幻想怪奇な洋館。少女は気が付くと自分の過去の記憶を失った状態で、同じく洋館の中にいた男性たちと出会う。異形の化け物から逃げ惑う中、変わった拳銃を手にした彼女達は、化け物の持つ万華鏡の欠片を集めることになる。

乙女ゲームにありがちな主人公が記憶喪失者の設定かと思いきや、なんと登場人物全員が記憶喪失の状態で物語が始まる。館に対する知識やこの世界の常識が定めきれていない登場人物とまだ物語に踏み込めていないプレイヤーがリンクする幕開けであるとも捉えられるだろう。

『黒蝶のサイケデリカ』の魅力は、暗澹とした事実がグラデーションを描きながら、徐々に登場人物へ侵食していく心情描写に表れている。心にできた小さな染みは、いつしか館全体を包んでいく。それはまるで、「わかっていたけれど見ないようにしていた現実」にヒュウと喉をかき切られるかのように。

徐々に記憶を取り戻す中で、主人公一行が知るのは「自分たちは生と死の狭間にいる者」であるという事実だった。館のある者は現実世界では植物状態に、またある者は崖から落ちた直後で、 またある者は──すでに命の灯が消えていた。

登場人物たちにはふたつの名前がある。ひとつは、記憶喪失となった彼らがお互いを認識するために館で呼び合う名前だ。もうひとつは現実世界の本当の名前。主人公の紅百合は現実世界ではアイと呼ばれていた(以下「紅百合」と称する)。

明るく真っ直ぐな紅百合とは対照的に、攻略対照である男性キャラクターは多くの乙女ゲームがそうであるように何かしらの暗い闇を心に抱えている。しかし、『黒蝶のサイケデリカ』にはBADエンドらしいBADエンドが存在しない。『黒蝶のサイケデリカ』ではほぼ全てのルートが正規ルートとして描かれ、悲恋の結末も含めて、現実エンドと館エンドに分岐する。一般的な乙女ゲームだと悲恋を迎える結末はBADエンドの括りとして公表され、BESTエンドやGOODエンドがいわゆる“ハッピーエンド”だ。『黒蝶のサイケデリカ』のエンドの並びからは、現実世界に戻り恋人となる彼と生きて帰ることだけが幸福ではなく、過去と向き合うことから逃げ、館で泡沫の恋慕の海に溺れる末路すらもハッピーエンドに並ぶ美しい結末であると、暗示しているようにすら読み取れる。

また冒頭の蝶のお伽噺の結末も、なんとも『黒蝶のサイケデリカ』らしい最後で締め括られてい る。

長い長い旅を経て、いつしか真っ黒な体になった片割れの蝶は、ようやく見つけたサイケデリカの入り口を前にして引き返す。汚れてしまった姿で片割れにあうことを恐れた蝶は、白い蝶の幻影を見ながら独り砂漠で息絶える、といった内容だ。

現実よりも幻想を愛し、虚ろな偶像崇拝で心を満たす。谷崎潤一郎の「春琴抄」を彷彿とさせるようなこの場面に、胸打たれたプレイヤーも多いはずだ。御伽噺を通して『黒蝶のサイケデリカ』の世界に健在するこの思想は、画面一枚隔てた現実のわたしの心に低い音を立てながら共鳴し た。

人は変わる。それを受け入れられずに、過去の幻影を追い続けてしまった記憶は、誰にでもあるのではないか。または「あったかもしれない未来」に足を掬われて、今をうまく生きることができない人々。蝶が導くあの妖美な館でならば、あなたの大切にしていた「誰か」に逢えるかもしれない。たとえそれが、その場限りの幻想であったとしても。思念の力が本物を作り出す館、それは現実世界と向き合えない人々のために、サイケデリカが生み出した最期の救いであるとも考えられるだろう。

君の望むものが、もしそこにあるのなら──。
サイケデリカへ、おゆきなさい。

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©2015 IDEA FACTORY
『黒蝶のサイケデリカ』公式サイト

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この記事を書いた人

本や映画のコラムを書きながら、日々の生きづらさをエッセイに昇華しています。Twitternoteも。